第十話 初心者向け依頼?
ガルディアの東門を出ると、景色は一気に開けた。
「おお……」
思わず声が漏れる。
城壁の外には、どこまでも畑が広がっていた。青々とした作物が風に揺れ、その向こうには小さな村が見える。街道には荷馬車が行き交い、農民らしき人々が畑仕事に精を出していた。
迷わずの森とは、まるで別世界だ。
「平和だな」
「はい」
マインが答える。
「走ればすぐ着くけど、今日は歩いて行こう」
「よろしいのですか?」
サラが尋ねる。
「ああ。せっかくだし、街の外も見たい」
異世界に来たのだ。
目的地へ最短で移動するだけではもったいない。
ゲームなら移動時間なんて無駄としか思わなかったのに、不思議なものだ。
「あの作物、何だろう」
街道脇の畑を指差す。
「バル麦だと思われます」
夏が答えた。
「知ってるの?」
「先ほど街で売られているものを見ましたので」
「へえ。パンになるのかな」
「恐らくは」
俺は畑を眺めながら歩く。
作物。
村。
水路。
荷馬車。
何でもない風景なのに、全部が新鮮だった。
「迷わずの森が近いのに、よくここまで畑作れるな」
「……」
マインがこちらを見る。
「何?」
「いいえ」
まただ。
最近、俺が何か言うたびにマインが考え込む。
「何か変なこと言った?」
「いえ。ただ、あるじ様は既にこの地の食料生産にも目を向けておられるのだと」
「いや、単純に気になっただけだけど」
「承知しております」
絶対承知してない。
マインは黙って前を向いた。
だが、その思考は既に別の方向へ進んでいた。
(人口二万の防衛都市。その周辺を支える農地。街道による物流。森に近いにもかかわらず、一定の生産力を維持している……)
街では人口と種族構成。
外では食料と物流。
偶然にしては確認する順序が整いすぎている。
(……あるじ様は、この都市を“点”ではなく、“構造”として見ている)
もちろん俺は、何も考えていなかった。
ただ珍しかっただけだ。
一時間ほど歩いたところで、街道脇に小さな森が見えてきた。
依頼書に書かれていた場所だ。
――その森は、最初から少しだけ“おかしかった”。
木々の間に入る前から、空気がわずかに重い。
風が通っているはずなのに、音が薄い。
鳥の声が、妙に遠い。
まるで森そのものが、外界の気配を拒んでいるようだった。
「この辺りかな」
俺は紙を開いて確認する。
ガルディア東方、街道沿いの林。
ゴブリン十数体の可能性あり。
だが、森の入口に立った瞬間、違和感が一つ増えた。
足元の草が、妙に踏み荒らされている。
それも“最近”ではない。
乾いた跡と、新しい跡が重なっている。
何度も、何度も、同じ方向へ。
「まず探すか」
「私が偵察を」
サラが一歩出る。
「いや、ちょっと試したい」
ゲーム時代によく使っていた索敵魔法を思い出す。
魔力を薄く広げるように意識する。
「《サーチ》」
視界そのものが変わったわけではない。
だが、周囲に存在する生き物の位置が、頭の中へぼんやり浮かび上がった。
「……いた」
「数は?」
マインが尋ねる。
「待って」
一。
三。
七。
十。
「……多くない?」
さらに奥。
二十。
三十。
まだいる。
「四十……いや、五十近いな」
「五十?」
エルが少し驚いた声を出す。
「依頼書には十数体だったよな」
「はい」
明らかに情報と違う。
しかも、一か所に集まっているわけではない。
林の中へ広く散らばっていた。
――そして、その“散らばり方”が妙だった。
まるで何かから逃げるように、外へ外へと押し出されている。
森の中心を避けるように。
「面倒だな」
俺が呟くと、マジカが顔を上げた。
「五十体を前にして、面倒……」
「いや、散らばってるから」
一匹ずつ探して倒すのは効率が悪い。
なら、やることは一つだ。
「じゃ、集めてくる」
「あるじ様御自ら?」
「いつものやり方だから」
俺は地面を蹴った。
景色が一気に後方へ流れる。
その瞬間、森の“奥”から、ほんの一瞬だけ――
冷たい視線のようなものが、こちらを撫でた気がした。
気のせいかと思うには、あまりにも“整いすぎた圧”だった。
だが次の瞬間には消えている。
「……?」
少しだけ引っかかりながらも、俺は最初の反応へ向かった。
「いたいた」
木陰に三体のゴブリンがいた。
緑がかった肌。小柄な身体。粗末な棍棒。
ゲームにいたものと大きくは変わらない。
だが一つだけ違う。
こいつらは森の“外側”を向いている。
奥へ背を向けるようにして、落ち着きなく周囲を見ていた。
俺を見るなり叫び声を上げる。
「ギャッ!」
「はいはい、こっち」
少し近づいて、すぐ離れる。
三体が追ってくる。
次。
五体。
その次に七体。
さらに奥。
走る。
引っかける。
走る。
また引っかける。
懐かしい。
完全にゲーム時代の狩りだ。
ただ一つ違うのは、画面越しではなく、本当にゴブリンの叫び声と足音が後ろから聞こえること。
そしてもう一つ。
追ってくるゴブリンたちの“恐怖”が、明らかに俺ではない何かに向いている。
「結構迫力あるな」
思わず笑ってしまう。
俺を追うゴブリンは、あっという間に三十体を超えた。
*
ゴブリンたちにとって、それは理解不能な獲物だった。
銀髪のエルフ。
一人。
武器すら構えていない。
捕まえられる。
そう思って追った。
だが届かない。
あと少し。
そう思った瞬間には、既に遠くにいる。
別の群れが加わる。
さらに別の群れ。
いつの間にか数十体が同じ獲物を追っていた。
それでも、捕まらない。
そして彼らは気づいていた。
自分たちが“逃げている”のではなく、“逃がされている”ことに。
森の奥から、何かが見ている。
それだけは本能で理解できた。
だから彼らは、必死に外へ外へと流れた。
*
「四十……四十五」
もう少し。
索敵に残っている反応は少ない。
だが、森の奥の“空白”だけが異様に濃くなっていく。
そこだけ、何も見えないのに“圧”だけがある。
遠くからマインたちの気配も感じる。
追っては来ているが、手出しはしていない。
俺がやると言ったからだろう。
最後の集団を引っかける。
「よし」
全部集まった。
そう思った瞬間だった。
「……ん?」
一体だけ、逆方向へ走っていくゴブリンがいた。
俺から逃げている?
いや。
違う。
“逃げている方向”が、森の中心だ。
まるで――戻っている。
「待てよ」
俺は足を止めた。
追ってきたゴブリンたちが一斉に迫る。
右手を上げる。
範囲魔法なら一発だ。
でも。
「《サーチ》」
もう一度、索敵範囲を広げる。
ゴブリン。
ゴブリン。
ゴブリン。
そして、そのさらに奥。
――“そこだけ”が、空白ではない。
何かが“息をしている”。
しかも一つではない。
いくつかの強い反応が、まるで“巣”のように重なっている。
だがそれ以上に異常なのは、その周囲の反応だ。
生き物が、近づかない。
近づけない。
まるで境界線のように、そこだけがぽっかりと空いている。
「……何だ、これ」
大きい。
今までの反応とは明らかに違う。
しかも一つではない。
いくつかの強い反応が、さらに深い場所に固まっている。
そしてその中心には――“動かない何か”がある。
方向は――。
「迷わずの森側か」
追いついてきたマインが隣へ並ぶ。
「あるじ様。殲滅いたしますか?」
迫ってくるゴブリンを見る。
この数なら問題ない。
でも、妙だ。
森の奥が、まるで“こちらを見ている”。
「いや」
「……?」
「こいつら、元々ここにいたんじゃないかもしれない」
マインの瞳が僅かに動く。
「と、申しますと?」
「何かに追い出されたんじゃないか?」
最近になって急に数が増えた。
街道近くまで出てきた。
そして奥には、より強い何かがいる。
だったら単純に繁殖しただけでは説明がつかない。
「ゴブリンだけ倒しても、また来るかもしれないだろ」
「……なるほど」
「原因が別にあるなら、そっち確認した方が早い」
俺としては、それだけだった。
だがマインは違った。
(目の前の敵ではなく、その敵を動かした原因を見る……)
五十体近いゴブリンですら、あるじ様にとっては“現象”に過ぎない。
重要なのは、その背後。
その発生源。
(最初から、ゴブリンなど見ておられなかった……?)
「あるじ様」
「何?」
「御意のままに」
「いや、まだ何も命令してないけど」
俺は逃げていったゴブリンの方向を見る。
その先。
森の中心。
そこだけ、空気が“沈んでいる”。
音が消えているのではない。
音が“吸われている”。
何がいるのか。
少し気になる。
「行こう」
「どちらへ?」
「森の奥」
五人は誰一人として反対しなかった。
そしてその瞬間、森の奥の“何か”が、初めて明確に動いた気配がした。
――こちらへ、ではない。
“待っていたものが揃った”というように。
初心者向けのゴブリン討伐。
そのはずだった。
だがこのときの俺はまだ知らなかった。
これから向かおうとしている場所が、ガルディアの冒険者たちから――
鉄級が決して踏み込んではならない場所
と呼ばれていることを。




