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『あなたに最適な人生です』  作者: Yukiya


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1-5:これは、誰の人生なんでしょうか

1-5:これは、誰の人生なんでしょうか


 面談室に、しばらく沈黙が落ちた。


 壁に映る淡い空だけが、変わらずゆっくりと流れている。

 雲の動きは穏やかで、光の強さも一定だった。

 この部屋では、沈黙すら不安になりすぎないよう調整されている。


 それでも、玲央にはその沈黙が少しだけ重く感じられた。


 玲央は、水無瀬の反応を待った。


 多くの市民は、最初は戸惑っても、具体的な数値を見れば落ち着く。


 未来が不確かだから、人は不安になる。

 選択の結果が分からないから、足が止まる。

 どちらへ進めばいいのか見えないから、迷う。


 ならば、未来を予測し、道筋を示せばいい。


 収入はどう変わるのか。

 健康リスクはどれほど下がるのか。

 人間関係は安定するのか。

 孤独は避けられるのか。

 後悔する可能性はどれくらいあるのか。


 それらを数値にし、形にし、理解できるようにする。


 それが玲央の仕事だった。


 だが、水無瀬蒼は安心したようには見えなかった。


 テーブル上には、水無瀬の未来が静かに浮かんでいる。

 職務の上昇。

 居住区の変更。

 健康維持。

 高適合パートナー候補。

 交友関係の維持。

 孤独リスクの低下。


 どれも整っていた。


 それなのに、水無瀬はその未来を見つめたまま、どこか遠くへ置き去りにされたような目をしていた。


「瀬川さん」


 水無瀬が、静かに口を開いた。


「はい」


「この人生は、間違っていないんですよね」


 問いというより、確認に近かった。


 玲央は端末の表示を一度確認し、答える。


「ORACLEの予測では、現時点で最も安定性が高く、水無瀬さんの幸福度を最大化しやすいプランです」


 水無瀬は小さく頷いた。


「失敗しにくい」


「はい。長期的な生活破綻リスクは低く抑えられています」


「後悔しにくい」


「その可能性が高いです。特に職務選択と居住環境に関する後悔リスクは、現在の選択肢の中では最も低い数値です」


「周りにも迷惑をかけにくい」


「社会適合性も高いプランです。職場、居住区、将来的な人間関係のいずれにおいても、周囲への負荷は低く予測されています」


 玲央は、いつも通りに説明した。


 正確に。

 穏やかに。

 相手の不安を増やさないように。


 水無瀬は画面に表示された自分の未来を見つめたまま、かすかに笑った。


「完璧ですね」


 その笑みには、喜びがなかった。


「完璧ではありません」


 玲央はすぐに訂正した。


「予測には変動要素があります。社会環境の変化や、水無瀬さん自身の状態変化によって、プランは随時調整されます。ただ、現時点で最も望ましい選択肢であることは確かです」


 いつもの説明だった。


 いつも通りの言葉。

 いつも通りの声。

 いつも通りの理屈。


 この説明で、多くの市民は落ち着く。

 完璧ではない。

 だが、最善に近い。

 状況が変われば、ORACLEが再調整する。

 だから大丈夫だと理解する。


 しかし、水無瀬の目は、そこから少しも救われていなかった。


「僕は、昔から間違えるのが怖かったんです」


 水無瀬は、ぽつりと言った。


 声は淡々としていた。


 感情が高ぶっているわけではない。

 泣き出しそうでもない。

 怒っているのでもない。


 ただ、長い間胸の奥に置いていた言葉を、ようやく取り出したような声だった。


「学校も、仕事も、人間関係も、全部ORACLEの推奨通りにしてきました」


 玲央は黙って聞いた。


「実際、困ったことはほとんどありませんでした。進路で大きく失敗したこともない。仕事も安定しています。人間関係も、深刻なトラブルはありません。大きな失敗もなかった。怒られることも、ひどく傷つくことも、誰かを大きく傷つけることもなかった」


「それは、とても安定した歩みだと思います」


 玲央は自然にそう答えた。


 それは慰めではなく、事実だった。


 水無瀬の記録は安定している。

 問題は少ない。

 破綻もない。

 社会適合度も高い。


 この社会において、それは望ましい人生だった。


「そうですね」


 水無瀬は頷いた。


 けれど、その頷き方には、自分に言い聞かせるような響きがあった。


「たぶん、僕は恵まれているんだと思います。ORACLEに従っていれば、困らない。間違えない。失敗しない。誰かを失望させることも少ない」


 水無瀬は、テーブル上の光を見つめた。


 そこには、彼の十年後までの未来が線になって示されている。

 安全で、合理的で、なだらかで、破綻の少ない線。


「でも、最近ふと思うんです」


 玲央は、何も言わなかった。


 端末の補助表示が視界の端で更新される。


 自己決定感に関する発言。

 推奨対応、本人の承認履歴を提示。


 玲央はその表示を見たが、すぐには従わなかった。


 水無瀬の声が、続いた。


「僕は今まで、一度でも自分で選んだことがあったんだろうかって」


 玲央の指が、端末の上で止まった。


 その問いは、面談で想定される不安とは少し違っていた。


 仕事を変えるのが怖い。

 住む場所を変えるのが不安。

 結婚相手をAIに示されることに抵抗がある。

 そうした相談なら、玲央は何度も受けてきた。


 だが、水無瀬の問いは、もっと根の深いところに触れていた。


 自分で選んだことがあったのか。


「水無瀬さんが承認した選択は、すべて記録されています」


 玲央は、訓練通りに答えた。


「進学、就職、居住地、生活習慣、人間関係調整。いずれも最終的には水無瀬さんご本人の承認を経ています」


「承認はしました」


 水無瀬は、静かに言った。


「でも、選んだんでしょうか」


 玲央は、すぐには答えられなかった。


 承認と選択。


 その二つは、同じもののはずだった。


 ORACLEは強制しない。

 人生プランを提示し、市民はそれを確認し、理解し、承認する。

 そこには手続き上の同意がある。

 本人の意思が記録されている。


 だから、それは選択である。


 少なくとも制度上は。


 だが、水無瀬が尋ねているのは、制度上の話ではないのだと玲央にも分かった。


 水無瀬は顔を上げた。


 その目が初めて、まっすぐ玲央を見る。


 静かな目だった。


 責めているわけではない。

 助けを求めているようでもない。

 ただ、どうしても分からないことを、目の前の人間に差し出している目。


「これは、誰の人生なんでしょうか」


 問いは、大きな声ではなかった。


 面談室の空気を震わせるような叫びでもない。

 怒りも、反抗も、皮肉もなかった。


 ただ、純粋な疑問のように差し出された。


 だからこそ、玲央は一瞬、言葉を失った。


 面談室の空調音が、やけに遠く聞こえた。


 壁に映る淡い空の映像が、ゆっくりと流れている。

 その青は整いすぎていて、雲の形さえ不自然なほど穏やかだった。


 玲央は、自分の内側にわずかな空白が生まれるのを感じた。


 誰の人生なのか。


 答えは分かっているはずだった。


 水無瀬蒼の人生。

 水無瀬蒼の幸福を最大化するために設計された人生。

 水無瀬蒼本人が承認する人生。


 だが、それをそのまま言えば、何かがすり抜ける気がした。


 端末の補助表示が更新される。


 推奨回答。

 ORACLEは本人の幸福最大化を目的とした支援システムであり、最終決定権は本人にあります。


 玲央は、その文章を一瞬だけ見た。


 そして、口を開いた。


「あなたに最適化された人生です」


 訓練された通りの答えだった。


 間違ってはいない。


 水無瀬の生活データ、健康状態、職業適性、対人関係、感情変動、将来リスク。

 それらすべてをもとに設計された、水無瀬のための人生プラン。


 だから、それは水無瀬に最適化された人生だ。


 水無瀬は、しばらく玲央を見つめていた。


 その沈黙の中で、玲央は自分の答えが、どこか薄く響いたことに気づいていた。


 やがて水無瀬は、少しだけ寂しそうに笑った。


「そうですよね」


 その笑みは、納得した人の笑みではなかった。


 あきらめた人の笑みにも似ていた。

 けれど、それほどはっきりしたものでもなかった。


 もっと静かで、もっと薄い。


 まるで、ずっと探していた扉の前まで来たのに、その扉が壁に描かれた絵だったと気づいたような笑みだった。


 玲央の胸の奥で、何かが小さく引っかかった。


 ほんの小さな違和感。


 痛みと呼ぶには弱い。

 不安と呼ぶには形がない。

 疑問と呼ぶには、まだ言葉になっていない。


 だが、確かにそこにあった。


 玲央は端末を見る。


 心理的抵抗、軽度。

 面談継続、可。

 受容可能性、やや低下。


 数値は、変化を捉えていた。


 しかし、玲央の胸に生まれた引っかかりまでは、まだ何も表示しなかった。


 水無瀬は再び、画面に映る自分の未来へ視線を戻した。


 そこには、彼にとって最適な人生が静かに光っている。


 玲央は、その光を見つめながら、初めて思った。


 最適とは、何なのだろう。


 だが、その問いはすぐに形を失った。


 面談はまだ終わっていない。

 自分は職員として、目の前の市民に必要な説明を続けなければならない。


 玲央は、いつも通りの姿勢に戻ろうとした。


 それでも、水無瀬の言葉だけが、面談室の淡い空の下に静かに残り続けていた。


 これは、誰の人生なんでしょうか。


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