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『あなたに最適な人生です』  作者: Yukiya


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7-3:玲央自身の人生

7-3:玲央自身の人生


 水無瀬の記録を閉じたあと、玲央はしばらく端末を見つめていた。


 画面には、自分の顔が薄く映っている。


 落ち着いた表情。

 少し疲れてはいるが、大きな乱れはない。

 髪も乱れていない。

 姿勢も崩れていない。

 目の下にわずかな影はあるものの、管理都市にいた頃と同じように、見た目だけなら玲央は整っていた。


 だが、内側は違っていた。


 水無瀬のメモが、玲央の中に残っている。


 問題がないことが、少し怖い。


 その一文が、何度も胸の奥で繰り返された。


 玲央は、自分の人生を思い返した。


 問題の少ない人生だった。


 幼いころから、生活は整えられていた。


 朝起きる時間。

 食事の内容。

 学習の順番。

 休む時間。

 人との関わり方。


 玲央が迷う前に、ORACLEが最適な選択肢を示してくれた。


 勉強でつまずきそうになれば、課題の難易度が調整された。

 友人関係で負荷が高まりそうになれば、距離の取り方が提案された。

 疲労が蓄積する前に、休息の時間が組み込まれた。


 大きく失敗する前に、いつも道は整えられた。


 進路で大きく迷ったことはない。


 ORACLEが、玲央の認知特性、感情安定性、対人負荷耐性、社会需要をもとに進学先を示した。


 公共政策系の進路。

 分析力と説明能力を活かせる分野。

 将来的な職業接続率も高く、生活安定度も良好。


 玲央は、それを承認した。


 就職で悩んだこともない。


 人生最適化庁・適合支援局が最も適していると判定された。

 市民の不安を整理し、ORACLEの提示した人生プランを分かりやすく伝える仕事。

 共感しすぎず、冷たすぎず、一定の距離で人に向き合える玲央には、適した職務だとされた。


 玲央は試験を受け、採用された。


 生活も整っていた。


 食事。

 睡眠。

 運動。

 交友関係。

 休息。

 休日の過ごし方。


 どれもORACLEが調整してくれた。


 無理をする前に休む。

 疲れる前に予定を減らす。

 相性の悪い人とは距離を置く。

 感情が乱れる前に呼吸を整える。

 迷いが深くなる前に、判断材料を提示してもらう。


 その結果、玲央の人生は大きく破綻しなかった。


 進路に失敗して絶望したことはない。

 仕事を失って生活に困ったこともない。

 誰かとの関係で深く傷ついたこともない。

 選択を誤り、眠れないほど後悔した夜もない。


 それは、良いことのはずだった。


 人は、傷つかない方がいい。

 苦しまない方がいい。

 迷い続けない方がいい。

 後悔に押し潰されない方がいい。


 玲央は、ずっとそう信じてきた。


 だが、水無瀬の記録を読んだあとでは、その安定が少し違って見える。


 自分は本当に、何かを選んできたのか。


 玲央はその問いを避けられなくなっていた。


 承認はした。


 進学先も。

 就職先も。

 住む場所も。

 生活習慣も。

 人間関係の距離も。


 ORACLEの提示に対して、玲央は自分の意思で承認ボタンを押してきた。


 誰かに手を取られて無理やり押されたわけではない。

 強制されたわけでもない。

 制度上、それは玲央自身の同意だった。


 しかし、水無瀬は言った。


 承認はしました。

 でも、選んだんでしょうか。


 玲央はベッドに腰掛けたまま、両手を見つめた。


 自分の手で何かを選んだ記憶が、うまく思い出せない。


 もちろん、小さな選択はあった。


 休日に読む本を選ぶ。

 飲み物を選ぶ。

 通勤時に少しだけ歩く道を変える。

 食事の候補の中から、気分に合うものを選ぶ。


 だが、それらの多くも推奨範囲内だった。


 ORACLEが示した安全な選択肢。

 生活リズムを乱さない範囲。

 感情負荷を上げすぎない範囲。

 将来リスクを高めない範囲。


 その中から、最も違和感の少ないものを選んできただけではないのか。


 それは、自分で選んだと言えるのか。


 玲央の胸が苦しくなった。


 呼吸が少し浅くなる。

 手のひらに汗がにじむ。

 喉の奥が、わずかに詰まる。


 端末が反応した。


 感情負荷の上昇を検知しました。

 呼吸調整を推奨します。


 画面に、いつもの円が表示される。


 四秒吸って、六秒吐く。


 その通りにすれば、心拍は落ち着く。

 思考の乱れも少しずつ収まる。

 胸の苦しさも、やがて扱いやすい形に整っていく。


 玲央は、手を伸ばしかけた。


 これまでなら、迷わず従った。


 不安は放置しない方がいい。

 感情の乱れは早めに整えた方がいい。

 苦しみは長引かせない方がいい。


 ORACLEの提案は正しい。


 今も、たぶん正しい。


 だが、玲央の指は画面の手前で止まった。


 今この苦しさを、すぐに整えてしまっていいのだろうか。


 この苦しさは、ただの不調なのか。


 それとも、自分が初めて自分の人生に触れようとしている痛みなのか。


 玲央は端末を伏せた。


 呼吸は乱れたままだった。


 胸の奥は重い。

 考えはまとまらない。

 頭の中では、水無瀬の言葉と、莉奈の言葉と、神崎の言葉が交互に響いている。


 人間は、自由に耐えられるほど強くない。


 間違えたときに、それでもこれは自分が選んだ道だって言えること。


 これは、誰の人生なんでしょうか。


 玲央は目を閉じた。


 苦しかった。


 けれど、その苦しさをすぐに消してしまうことの方が、今は少し怖かった。


 誰かに分類される前の、自分の感情。


 それは不快だった。


 名前がない。

 対処法もない。

 正解もない。

 この先どうなるのかも分からない。


 だが、どこか確かでもあった。


 この苦しさは、ORACLEに与えられたものではない。

 誰かに命じられたものでもない。

 水無瀬の記録を読み、自分の過去を振り返り、自分自身で気づいてしまったものだった。


 玲央は、自分の胸に手を当てた。


 鼓動が速い。


 安定していない。

 最適ではない。

 整っていない。


 それでも、その鼓動は確かに自分のものだった。


 玲央は、しばらくそのまま座っていた。


 部屋の外では、誰かが階段を上がっていく音がする。

 隣の部屋からは、小さな笑い声が漏れている。

 窓の外を、何人かの足音が通り過ぎていった。


 この街は、玲央の感情に合わせて静かにはならない。


 誰も、玲央のために光を調整しない。

 誰も、玲央のために音を消さない。

 誰も、玲央の苦しみにすぐ名前をつけてはくれない。


 だからこそ、玲央は初めて、自分の内側で起きていることを、自分で感じるしかなかった。


 自分は本当に、何を選んできたのか。


 その問いは、答えのないまま胸に残った。


 けれど玲央は、その問いをすぐに閉じようとはしなかった。


 水無瀬を追っているうちに、いつの間にか自分自身の人生まで問い直している。


 そのことに気づき、玲央は小さく息を吐いた。


 自分は水無瀬を探している。


 だが同時に、今まで見ないようにしてきた自分自身の空白も探しているのかもしれない。


 画面を伏せた端末は、まだ静かだった。


 玲央は、それを表に返さなかった。


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