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『あなたに最適な人生です』  作者: Yukiya


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5-3:桐生莉奈との出会い

5-3:桐生莉奈との出会い


 桐生莉奈は、自由選択区域で生まれたわけではない。


 それを知ったのは、古本屋へ向かう道中だった。


 莉奈は、迷いのない足取りで通りを進んでいく。


 管理都市の人間のように端末を確認することはない。

 道の角で立ち止まり、誰かに短く声をかけ、返事を聞く前にもう歩き出す。

 ときどき店先に顔を出し、何かを受け取ったり、逆に紙袋の中から何かを渡したりする。


 その動きに、玲央はついていくのがやっとだった。


 彼女には決まった目的地があるようで、ないようでもあった。


 古本屋へ向かっているはずなのに、途中で八百屋の店主に声をかけ、路地の奥にいた子どもにパンの欠片を渡し、崩れかけた掲示を手で押さえて貼り直した。


 どれも予定外の行動に見える。


 だが、莉奈にとっては自然なことらしかった。


「あなたは、もともとこの区域の人ですか」


 玲央が尋ねると、莉奈は少し意外そうに彼を見た。


「急に個人情報?」


「失礼しました。回答したくなければ――」


「別にいいよ」


 莉奈は軽く肩をすくめる。


「もともとは管理都市の東区」


 玲央は足を止めかけた。


 管理都市東区。


 その名を聞いて、いくつもの指標が頭に浮かぶ。


 生活安定指数、高。

 教育支援水準、高。

 医療予防接続率、高。

 住宅環境、優良。

 職業配置支援、安定。

 孤独リスク、低。


 管理都市の中でも、東区は特に整った区域だった。


 住民の生活リズムは安定し、犯罪予兆も少なく、教育や職業支援も高水準で接続されている。

 ORACLEの支援を最も受けやすい区域のひとつ。


 玲央にとって、それは「出る理由のない場所」に思えた。


「では、なぜここへ」


「出たかったから」


 莉奈はあっさり言った。


 玲央には、それだけでは答えになっていないように思えた。


「ORACLEの支援を離れてまで、ですか」


「うん」


「生活は不安定になります」


「なったね」


「職業支援も制限されます」


「されたね」


「医療予防プログラムの優先度も下がります」


「それも知ってる」


 莉奈は、どこか楽しそうに玲央を見た。


「管理都市の職員さんって、本当に説明が上手だね。脅し文句みたいなのに、すごく丁寧」


「脅しではありません。制度上の事実です」


「分かってるよ」


 莉奈は笑った。


「そういうところ、いかにも向こうの人って感じ」


 玲央は少しだけ困惑した。


 彼女の話し方は、管理都市の人間と違っていた。


 遠慮が少ない。

 言葉がまっすぐで、時々刺がある。

 相手の反応を過剰に調整しようとしない。


 だが、不思議と攻撃されているようには感じなかった。


 管理都市では、人を傷つけないために言葉は整えられる。

 相手の心理負荷に合わせて、声の大きさも、語尾も、説明の順番も調整される。


 莉奈の言葉には、その調整が少ない。


 だから、少し荒い。


 けれどその分、言葉の温度が直接伝わってくるようでもあった。


「あなたは、なぜ私に協力してくれるのですか」


 玲央が尋ねると、莉奈は少し考えた。


「水無瀬って名前に聞き覚えがあるから」


「どこで聞いたのですか」


「昨日、駅裏の共同食堂で」


 莉奈は、通りの奥を指さした。


「管理都市から来た男の人が、未登録区域への行き方を聞いてたって話を聞いた」


 玲央の表情が変わった。


「未登録区域?」


「自由選択区域のさらに外側。ORACLEの接続がもっと薄い場所」


 その言葉に、玲央の胸の奥が冷たくなる。


 未登録区域。


 研修資料で名前だけは知っていた。


 管理都市の外。

 自由選択区域のさらに先。

 ORACLEの支援接続がきわめて弱く、公共データも不完全な地域。

 居住者の登録も不十分で、医療、雇用、生活支援の接続が安定していない場所。


 安全性は低い。


 生活破綻リスクも高い。


 正式な用語としては、支援未接続地域。


 だが、多くの人はそこを未登録区域と呼ぶ。


「そこは危険です」


「うん。危険だよ」


 莉奈は否定しなかった。


 軽くも言わなかった。


 それが事実だと、よく知っている声だった。


「でも、行く人はいる」


「なぜですか」


「もっと記録されたくないから。もっと自分で選びたいから。あるいは、誰にも見つけてほしくないから」


 玲央は、胸の奥が重くなるのを感じた。


 水無瀬は、そこへ向かったのか。


 自由選択区域ですらなく、さらにその外へ。


 なぜそこまで。


 自分の人生を選びたいという思いは、そこまで人を動かすものなのか。


「あなたは、その場所を知っているのですか」


「入口くらいなら」


「案内してもらえますか」


 莉奈はすぐには答えなかった。


 その代わり、玲央をじっと見た。


 その目は、昨日駅前で初めて会ったときよりも少し真剣だった。


「あなた、仕事で来てるんだよね」


「はい」


「水無瀬さんを連れ戻すため?」


 玲央は言葉に詰まった。


 連れ戻す。


 その言葉は、玲央の中で重く響いた。


 制度上、玲央にその権限はない。

 水無瀬は自由選択権を行使している。

 強制的な帰還はできない。

 本人の意思に反して管理都市へ戻すことは、支援ではなく介入になる。


 だが、神崎ならどう言うだろう。


 再接続を促せ。

 自由の重さに潰れる前に、支援へつなげ。


 玲央は、答えを探した。


「確認するためです」


「何を?」


「彼が安全かどうか」


「それだけ?」


 莉奈の問いは短かった。


 だが、玲央は答えられなかった。


 それだけ。


 本当に、それだけなのか。


 水無瀬の安否確認。

 担当職員としての責任。

 自由選択区域への移行適性の確認。

 ORACLEの判定に対する疑問。

 自分自身の人生への違和感。


 いくつもの理由が絡み合っていた。


 そのどれが本当なのか、玲央には分からない。


 莉奈は、玲央の沈黙を見て小さく笑った。


「自分でも分かってないんだ」


 玲央は少しだけ眉を動かした。


「どういう意味ですか」


「水無瀬さんを探してるのか、それとも水無瀬さんが見たものを知りたいのか」


 玲央は何も言えなかった。


 その言葉は、玲央がまだ自分でも形にできていなかったものに触れていた。


 水無瀬を探している。


 それは確かだった。


 だが同時に、自分は水無瀬が向かった先を知りたがっている。


 なぜ彼は、最適化された人生を拒んだのか。

 なぜ支援を手放し、記録されない場所へ向かったのか。

 その先に、彼はいったい何を見ようとしたのか。


 玲央は、それを知りたかった。


 知ってしまえば、自分の中の問いがさらに大きくなるかもしれないのに。


 莉奈は歩きながら続ける。


「管理都市の人って、迷うのが下手だよね」


「迷うことは、基本的に推奨されません」


「だろうね」


 莉奈は笑う。


「でも、ここでは迷うよ。たくさん。どの店に入るか、誰を信じるか、どの道を選ぶか。全部自分で決める。間違えることもある」


「それは危険です」


「そう。危険」


 莉奈はあっさり認めた。


「でも、それが嫌じゃない人もいる」


 玲央は、莉奈の横顔を見た。


 彼女の声には、自由を美化する響きはなかった。


 自由は素晴らしい。

 管理都市は間違っている。

 ORACLEから離れれば幸福になれる。


 そうした単純な主張ではない。


 莉奈は、危険だと知っている。

 不便だと知っている。

 失敗することも、生活が不安定になることも、よく分かっている。


 それでも、ここにいる。


「あなたも、間違えたことがありますか」


 玲央が尋ねると、莉奈は少しだけ目を細めた。


「あるよ。たくさん」


「後悔は」


「ある」


 即答だった。


「でも、戻らないのですか」


「今のところはね」


「なぜですか」


 莉奈は少しだけ考えた。


「その話は、もう少し仲良くなってから」


「仲良く、ですか」


「そう。管理都市の人は、すぐ情報だけ欲しがる」


 莉奈はそう言って、少しだけ意地悪く笑った。


「人には順番ってものがあるの」


 玲央には、その順番が分からなかった。


 必要な情報を、必要なときに確認する。


 それが合理的な会話のはずだ。


 だが、この街ではそれだけでは足りないらしい。


 古本屋の前に着いた。


 小さな木造の店だった。


 通りに面した引き戸は古く、木枠には細かな傷がついている。

 窓の内側には本が積み上げられ、外からは中の様子がよく見えない。

 看板には、手書きでこう書かれていた。


 古書・記録・なくした言葉


 玲央は、その文字を見つめた。


 なくした言葉。


 書店の名前としては奇妙だった。


 入口の横には、営業時間の札が下がっている。


 開いているときは開いています。


 玲央は思わずそれを見つめた。


「……これは営業時間と言えるのですか」


 莉奈は声を出して笑った。


「言えないね。でも、今日は開いてる」


「なぜ分かるのですか」


「匂い」


「匂い?」


「中でお茶を淹れてる匂いがする。店主がいる」


 玲央は、店の隙間から漂ってくるかすかな香りに気づいた。


 古い紙の匂い。

 木の匂い。

 そして、温かい茶のような匂い。


 そんな情報で判断するのか。


 玲央には驚きだった。


 端末には何も表示されていない。

 営業中かどうかの案内もない。

 店主の在室情報もない。


 けれど莉奈は、匂いで分かると言う。


 彼女は引き戸に手をかけた。


「行こう」


 そして、玲央の方を振り返る。


「正解のない街へようこそ、瀬川玲央さん」


 その言葉には、皮肉もあった。


 管理都市から来た玲央への、少し意地悪な挨拶。


 けれど同時に、ほんの少しだけ歓迎の響きもあった。


 玲央は店の前で立ち止まる。


 この先に、水無瀬の手がかりがあるかもしれない。

 ないかもしれない。


 店主が覚えているかもしれない。

 何も知らないかもしれない。


 ORACLEは答えを示さない。


 莉奈は引き戸を開けた。


 古い木が軋む音がする。


 玲央は、その音を聞きながら、一歩を踏み出した。


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