はちみつジンジャーティー
「皆なかなか帰ってこないもんだから〜、今のうちにステラっちの大好物の草を取ってきちゃおって思ったわけ。
ヒョイと刈り取ってすぐ家の中に戻ろうと思ってたんだけど、思ったより時間かかっちゃってさ!
ステラっちに助けられたわぁ〜。
いやー、寒さ舐めたらあかんわ〜」
ヌッちゃんは毛布を頭からかぶって暖炉の火にあたりながら、まだやや紫色の唇を震わせながらそう言った。
家の中へと入ってからもう結構経つはずだが、まだカタカタ小刻みに震えていて、鼻からは透明な鼻水がサラリと流れ出ていた。
優しいステラは、相変わらずヌッちゃんの横にピタリとくっついてヌッちゃんを温め続けていた。
「ヌッちゃん、また鼻水出てるよ。
サラサラした、どんどん垂れてくるタイプの鼻水だよ。
だってヌッちゃん、そんなペラペラな服で外出ちゃうんだもん。そりゃ寒いよ。
はい、はちみつジンジャーティー。体が芯からあったまるよ。
体が冷えた時や風邪引いた時にね、いつも母さんがこれを作ってくれるんだ」
私はキッチンで作ったはちみつジンジャーティーをヌッちゃんの元へと届けながらそう言った。
母さんに教わった通りに作ったから、絶対美味しく出来ているはずだ。
マグカップを覗くとべっこう色のジンジャーティーの中で、すり下ろされた生姜達がふわふわと回っている。
生姜の、嗅ぐだけでポカポカとするあの良い匂いが立ち昇ってきて、それを嗅いだ私の体も少し温まっていった。
「きゃー、美味しそ〜! 体あったまりそ〜!
このはちみつと生姜のあったかい匂い……なんという幸せの匂いなの……あらやだどうして? 涙が出て来ちゃう……
そして、生姜って言うのとジンジャーって言うのでは、同じ物なのになぜこうも語感が違うの……」
はちみつジンジャーティーの匂いを嗅ぎ、幸せ溢れる満面の笑みを浮かべたヌッちゃんが、目に光る涙を浮かべながら言った。
「はい、ティッシュ。
確かにジンジャーの方がなんとなく可愛いね。生姜だとちょっとシブい感じする」
はちみつジンジャーティーの中に鼻水が入りそうだったため、私はすぐそばにあったティッシュを箱ごと渡した。
「いやーん、至れり尽せり〜!
愛しているわ、リッちゃん。ヌッちゃんのラブを食らえ〜!
でもこの寒さ、天体観測にはうってつけかも。
こんなに寒くっちゃ湿度も低くなるから、その分空気の透明度は高くなるもんね。
きっと、くっきりはきっり、星の砂子ちゃん達がいーっぱい見えるわよ!」
今渡したティッシュで鼻をかみながらヌッちゃんがそう言うと、ジャイム様がこちらへやって来て私達の話の輪の中に入った。
「しかも今日は新月だ。
月明かりの影響を受けずに、最大限の輝きの星の砂子を見ることが出来るだろう」
「あら! 言われてみれば今日って新月だったわ〜!
一日中雲ひとつない快晴が続くみたいだし、あんもうっ、天体観測にはこれ以上無いコンディションじゃない! 神に感謝〜」
「メ〜〜」
「ステラも天体観測楽しみなんだね。
一緒に星の砂子をたくさん見ようね」
「メッ! メッ!」
こうして今日の夜の天体観測へのワクワクを一段と高めた私達なのであった。
今日やって来る双角海蛇座流星群は、今までサンティ=ハイメ神領島で観測してきた数百の流星群を遥かに超える規模の流星群らしい。
そんな一生に一度見られるかどうかという大規模の流星群を、新月、透明度の高い澄んだ空気、快晴という超好条件下で見られるだなんて、本当に超ラッキーである。
複雑な状況下ではあるが、是非瞳の奥の奥まで焼き付けて一生の思い出にしたい。
……エリオットは。エリオットは、双角海蛇座流星群を見るだろうか。
エリオットは星が大好きで、星座の本や星座にまつわる神々や伝説の本をよく紹介してくれた。
それらの本をエリオットと顔を寄せ合って一緒に熱心に読んだから、私も星が好きになったのだった。
あの日からエリオットは一度も姿を見せていないがあの愛の言葉を聞いてしまった限り、エリオットが私を諦めたとは思えない。
だから今日の天体観測も外へは出ずに、明かりを全て消したジャイム様の家の中で行うことにしたのだった。
それでも、エリオットがまたあの日のように無理矢理ジャイム様の家へ押し入ろうとして来ることも十分想定出来ることであるため、隠し部屋の中にいつでも戻れるようにしていた。
炉床の扉を含めて暖炉の内部に使われている素材は何か特殊な加工をしているらしく、暖炉の火を消した一秒後にでも炉床の扉を開けることが出来る。
そして炉床の扉を閉めた後向こうからすぐに火を起こせば、私が隠し部屋に入って石の扉を閉めるまでの時間稼ぎになる。
そして隠し穴の中に入るために必要な、あの形の像の隠し場所もジャイム様から教えてもらっていた。
しかし、そういう風にエリオットから逃げ隠れる為の準備を万端にしている中であっても、エリオットも一緒に双角海蛇座流星群を見られれば良かったのに、という非常に自分勝手な気持ちがあるのも事実だった。
心とはなんてアンビバレントなものなのだろうか。
真っ向から対立する、相反する二つの感情が常に心の中で互いの領土を広げようと戦争しているようだ。
エリオットとずっと一緒にいたいという感情は、どんなにそれがゼロに近くなった時も、決して消滅することはない。
しかし、エリオットから離れて自由になりたいという感情もまた、確かに存在している。
自分の内側で起こっているこの戦争を、抑えることも止めることも出来ない。
無力だ。
「ちょっと、ちょっと。リッちゃんたら、そんな暗い顔しなーいの!
そうだ! この最高に美味しいはちみつジンジャーティーの作り方をヌッちゃんに教えてちょ!
はちみつジンジャーティーのおかげですっかり体があったまったから、今度はヌッちゃんがリッちゃんにはちみつジンジャーティーを作ってあげるわ〜」
「分かったちょ」
「リッちゃん。前から思ってたけど、リッちゃんの『ちょ』の使い方多分少し違うわよ」
立ち上がったヌッちゃんはそう言いながら優しく私の腕を取って自分の腕と組ませると、キッチンまで連れて行ってくれた。
ステラもトコトコ一緒に来てくれた。
ヌッちゃんに母さん直伝のはちみつジンジャーティーのレシピを教えると、ヌッちゃんはすぐそれを覚え、完璧に再現した。
「メーー」
「ステラが、ヌッちゃんが生姜をすり下ろしてる姿は絵になるって。
すり下ろしてる物は絶対ジンジャーじゃなくって、生姜だろうって」
「え? どゆこと!? どゆこと〜!」
私はヌッちゃんが作ってくれたはちみつジンジャーティーをフーフーしてから、ゆっくり飲んだ。
最高に美味しかったそのはちみつジンジャーティーを飲んでいる間は、心の中の戦争も止まっていた気がした。
夜になり、あと少しでいよいよ双角海蛇座流星群かやって来る時間になった。
私達はみんなでキノル湖に面した部屋の一番大きな窓の前に座った。
その窓はとても大きく、遮る物無く星の砂子を見ることが出来そうだ。
ヌッちゃんの作ってくれた夜食と、すっかりみんなのお気に入りとなったはちみつジンジャーティーをすぐそばに置き、もう天体観測の準備は万端という時、ふとある事が気になった。
「そう言えば、双角海蛇座流星群って、なんで双角海蛇座流星群っていうの?」
「それはね、流星群の星の砂子はみんなある一点から落ちてくるよう見えるのね。その一点を放射点っていうの。
そんで、流星群は大体、その放射点に重なってる星座の名前を取って名付けられるのよ。
双角海蛇座流星群の放射点は、双角海蛇座の額の部分の星に一番近いから、双角海蛇座流星群って名付けられたの。
もうなんなら、その星から星の砂子出てきてる? ってくらいにその星と放射点がピタリと一致してるのよ!」
「へー、そうなんだ! なんていう名前の星?」
「その星の名前は、アムニアと言うんだよ」
ジャイム様がそう言った瞬間、ほんの一瞬だけ頭がギギーーッと痛んだ。
しかしすぐにその痛みを感じなくなった。
全く別の痛みに襲われたからだ。
それは、左手薬指の、あの痛みだった。
あの朱いアザがありえない程強く、左手薬指の根本を締め付けていた。
痛さによって縛り付けようと、留めさせようとするような、そんな痛みだった。
その痛みの中に、エリオットの気配を感じた気がした。




