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リシュリー・アルコは約束が出来ない  作者: 入海詩魚
第二章 金色の羊の毛のお守り
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湖畔を滑る風

「……ジャイム様」


 ジャイム様に声を掛けるか、声を出すギリギリまで悩んだ。

 今この時はきっとジャイム様にとって、とても大切な時間だ。

 内側にある大切な何かに大事に触れている、そんな時間だ。

 しかしきっとジャイム様は、私とステラに気付いている。

 だったら、何も言わず立ち去るのは良くないことだと思った。


「リシュリーちゃん。

 今日は太陽が生まれ変わる日だ。

 一度死を迎え、新たな太陽へと再生するんだよ」


 ジャイム様が振り返りながら言った。

 頬に落ちた涙を隠すことはしなかった。


「だから再誕日っていうんだよね」


「ああ、そうだよ。

 再び誕生する日だからね。

 この日は誰もが皆、太陽の復活と再生を祝福し歓喜する。

 もちろん、それで良いのだ。

 太陽は私達にあらゆる物をもたらしてくれる。

 それは命そのものだとすら、言えるかもしれない。

 私達のうち誰一人として、太陽の無い世界で生き延びることは出来ない。

 太陽が滅ぶことを望む者など、いない。

 太陽に永遠の生を望むことは、生を受けるものとして至極当然のことだ」


「そうだね」


「だけどね、リシュリーちゃん。

 皆、生の方ばかりを見てしまう。

 明るく喜ばしいものの方ばかり見てしまう。

 忌々しい死のことについては、誰も考えようとしないし、見ようともしない。

 人は痛みや悲しみの方をどうしても見たがらない。

 そんなものなど存在しないというフリさえ、自分は全くの無傷だというフリさえする。

 しかし、死が無ければ、再生は起こらない。

 死が無ければ、新たな始まりは起こらないんだ。

 飽和と停滞が、ただ延々と続くだけだ。

 それは決して、本当の生では無いんだよ」


「そうなのかもしれない」


「しかし死があまりに辛いものだということも、紛れも無い真実だ。

 死を迎える者と死を迎える者を愛する者にとって、死は苦しみ以外の何者でもない。

 何度経験しても決して慣れることなどない、耐え難い別離の苦しみだ。

 死が、何もかもの終わりではない事を知ったとしても、苦しまずにはいられない。

 そこに愛がある限り、そこに生がある限りな」


「うん。ジャイム様」


 確かにそうだ。

 死は辛い。死は悲しい。

 もしも愛する誰かが死んでしまったら。そう考えるだけで恐怖で身がすくみ上がり、目の前が真っ暗になってしまう。

 愛する人達には皆、永遠に生きて欲しいと本気で思う。

 少なくとも私よりも先に死なないで欲しい。

 愛する人が死ぬところをどうしても見たくない。

 愛する人ともう二度と会えないなんてこと、出来るなら一生体験したくない。

 心の底からそう思う。


 だが、死が無ければ。


 新しい生は始まらない。いや、ちゃんと始まれない。

 シエラがまだ完全に死ねていないせいで、リシュリー・アルコとしての生が不完全なまま始まってしまったのだとすれば。

 正しく死ぬこと。

 正しく死ぬことによって、正しく終わらせること。

 それは真に再生するために、必要不可欠なことなのかもしれない。

 

「ジャイム様は、誰か大切な人を亡くしたことがあるの?」


「ああ。ずいぶん昔にな」


「とても悲しかった?」


「ああ。とても。

 その死の先を見ても、悲しいことに変わりは無かった」


 ジャイム様が言っていることは良く分からなかったが、それがとても辛い体験だったということはジャイム様の声と表情から十分伝わって来た。

 

 凍りついたキノル湖から、澄んだ風が吹いてきた。

 その風はとても冷たかったが、吹き渡りながら触れたものを治癒していくような癒しの風だった。

 ジャイム様の家を抱くようにそびえる大木の葉がその風によってこすれ、音を出した。

 その音はなぜか鐘の音のように聞こえた。


 その音を聞いた時、とても大きな誰かが私の頬に触れてくれたような気がした。

 あのことをジャイム様に話しても良いのだと、言ってくれたような気がした。

 ここ数日頭から離れてくれないあの考えを話しても良いのだと。


「……シエラにとって死は、もしかして救いだったのかもしれない。

 シエラは自分で死を選んだんじゃないかって、なんとなく思うの。

 自分で自分を殺してしまったんじゃないかって。

 その時の事を思い出した訳では無いから確定した事ではないんだけど、そんな気がするの」


「そうなんだね」


 ジャイム様はそう言うと、しばらく遠くを見つめていた。

 そこには私やシエラを責めるようなニュアンスは一切無く、ただひたすらに心を痛めている気配が伝わってきた。

 

 私はジャイム様が見つめている方を見た。

 晴れ渡った空の向こうに、カラフルおケツちゃん達が飛んでいた。

 カラフルおケツちゃん達は、キノル湖の真上を大きな円を描くように飛んでいた。


「リシュリーちゃん。

 リシュリーちゃんは今、リシュリーちゃんとして生きる生を満喫しているかい」


 ジャイム様が静かな声で言った。


「……うん。

 最近はエリオットとのことで悲しかったり辛かったりすることもたくさんあるけど、それでも生きることは面白いことだと思う。

 この自分としてならばそのうち、悲しみだって素晴らしいものとして受け入れられるような気がする。

 きっと、周りに好きな人達がいてくれるからだけれど。

 でも、生きていることをちゃんと味わえてると思う」


「そうか。それなら良かった。

 そうやって生きていくだけで、それで十分なんだよ。

 シエラは、リシュリーちゃんが笑ったり、悲しんだり、怒ったりしながら生を満喫する様子を、リシュリーちゃんの中からきっと見つめている。

 だからリシュリーちゃんがただ、リシュリーちゃんとしての生を全うするだけで、シエラも癒されていくよ」

 

 その声は、今まで聞いたジャイム様のどの声よりも優しかった。


「そっか……良かった。

 本当に良かった。

 私、シエラと友達になってあげたいと思ったの。

 シエラはとても孤独だったから」


「それはとても良い考えだ。

 友達どころか、大親友になったら良い。

 そしてシエラの生を、リシュリーちゃんが新しく捉え直してみるんだ。

 シエラを慈しむリシュリーちゃんのまなざしがシエラの生に新しい意味を与え、それが温かな変容を起こすかもしれない。

 今はまだ悲しみや苦しみばかりのように見えるシエラの生を、別の角度から解釈しようとすることは決して無駄にはならない。

 シエラの生はリシュリーちゃんの生へと繋がっているのだからね」

 

「そうだね、ジャイム様。

 私、シエラと大親友になりたい。きっと、なる。

 あ。そう言えば、ジャイム様の家に来てからというもの、ジャイム様に対してすっかり友達口調を使ってしまっていた。ごめんなさい」


「良いのだ。もう家族みたいなものじゃないか。

 友達口調大歓迎、タメ口大歓迎だよ」


「ありがとうジャイム様。

 じゃあお言葉に甘えて、そうする!」


 私とジャイム様は互いに笑顔になった。

 ジャイム様に話して良かったと、心から思った。


 湖から澄んだ風が吹いてきた。

 その風は私の頬に優しく触れてから、まるで湖畔を滑るように遠くの方へ吹き抜けていった。

 その風の清らかな姿が見えるようだった。


「あ、ぶえっっくしょーい!!」


 すると、ヌッちゃんのどでかいくしゃみ声が聞こえてきた。

 声がしてきた方を見ると、ヌッちゃんが少し離れた場所でステラの大好物の草をせっせと刈り取っていた。

 ヌッちゃんは私とジャイム様の視線を察知したのか顔を上げた。

 そして、笑顔で腕を大きく振ってくれた。

 しかし、唇が真紫だった。鼻水も両鼻から出ているように見える。


「メー、メメメー」


 ステラはそう言うと、ヌッちゃんの方へ走っていった。

 そして、ぴったりくっついてヌッちゃんを温めてあげていた。

 ヌッちゃんの騒がしいほどの感激の声が湖畔中に響いている。


「リシュリーちゃんとヌトがここに来てから、ステラはすっかりお姉さんになったよ。

 君達の面倒を見ることが楽しくて仕方ないみたいだ」


 そう言うジャイム様の顔は、優しい父親の顔だった。

 

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