大氷蛇
湖面全体が凍りついたキノル湖の色はいつもとは違う、水色に近い淡く薄い白だった。
その、凍りついた湖面に浮かび上がっている一本の線を、私はじっと見つめていた。
その線は、湖岸から湖岸へと蛇行するようにギザギザと引かれているように見えた。
そんな様子を見ながら吐いた息があっという間に窓ガラスを白く曇らせた。外はとても寒いようだ。
「おはようリッちゃん。
今日は一段と寒そうね〜。
ムムムっ? あれってば、まさかまさか、大氷蛇?
珍しい〜! 吉兆〜!! 見られてラッキー!
ヒャッホー!!」
やって来たヌッちゃんが私の隣で窓の外を見て、テンションが爆上がった様子でそう言った。
「おはようヌッちゃん。
とってもご機嫌さんだね。
ところで大氷蛇ってなに?」
「ここ数日すごーい冷え込みが続いていたでしょ?
特に昨日の冷え込みなんてヤバかったわよね。
そんな風にすごい冷え込みが数日間続くと〜、凍りついた湖面の上に、線状に氷が盛り上がることがあるの。
なぜそんな現象が起きるかっていうとね、冷え込んだ寒い日にも、お日様がさして暖かくなる時ってあるでしょ?
そういう風にして起きる寒暖差によって、氷は膨らんだり縮んだりを繰り返すのよ。
そして、その膨張と収縮による圧力によって氷が盛り上がり、湖面にこの大氷蛇が出来るわけ!
なんだかすごく大きな氷の蛇が、凍りついた湖面を這っているように見えるでしょう?
だから、大氷蛇っていうのよん!」
「へー、確かに大きな氷の蛇に見えるや!
そんな自然現象があるなんて、全然知らなかった」
「サンティ=ハイメ神領島ではめっっっったに見られない、超超超レア自然現象だからね!
あたしだって、生で見たのは生まれて初めてよ。
しかも今日は再誕日! そんな日にこんな縁起の良いもの見られるなんて、めっちゃ幸先良いわよ〜」
「そうなんだね。
そんなすごいものを見られて嬉しいな。
だけど、渡り鳥達は大丈夫かな? みんなどこ行ったんだろう」
「渡り鳥ちゃん達ならプロメナリウム海浜公園に避難してると思うわ。
あそこにもかなり大きな水場があるからね。
キノル湖ほどは、ごはんは美味しくないと思うけど、あそこでも普通に過ごすことは全然出来るから。
みんな元気にしてると思う〜」
「そっか、それなら良かった」
安心した。
そして、渡り鳥達がキノル湖にやって来る目的が美味しいごはんだったことを今知った。
確かにキノル湖には、丸々太った美味しそうな淡水魚や貝がたくさん住んでいる。
それにしても、キノル湖はいつから凍りついていたのだろう。
隠し部屋から地上に上がって来たのが久しぶりだったので、外の様子を見るのもしばらくぶりだった。
あの日エリオットが自分の意志でここから引き上げたことが関係しているのか、湖底の空間から地上に戻ると、あの蔓はジャイム様の家の中にも外にも、どこを見渡しても居なくなっていた。気配も全く感じなかった。
しかし、朱いアザは左手薬指の根本にあるままだ。
生命力を持ったまま、自分の領域を広げようと、心臓へと近づこうと、そのチャンスを虎視眈々とうかがっている気配を感じる。
だから、私はあの日以降も隠し部屋に隠れ続けていた。
カラメルちゃんがアビエラお婆さんの薬を届けてくれて、それを飲むことで調子を落とさずすんでいたし、朱いアザも大人しいままだった。
だが、あの形の像があれ以来恐くなってしまった。
またあの恐ろしいイメージが蘇ったらと思うと、同じ部屋にあの形が存在しているだけで恐かった。
なので、ジャイム様にそのことを申し訳無いと思いながらも話した。
するとジャイム様は、ひどく申し訳なさそうな、その辛さを自分の内にとどめる事が出来なさそうな、そんな様子になりながらあの形の像を私に見えない場所に隠してくれた。
それはいつも自分の感情をしっかり統制しているジャイム様らしくない様子だった。
そんな風に隠し部屋に隠れ続けていた私だが、今日は隠し部屋から出ても大丈夫とのことだった。
ジャイム様によると再誕日にはサンティ=ハイメ神領島を包む守りの力が一年で一番強くなるらしい。
その守りの力はとても強く、隠し部屋どころかジャイム様の家から出ても、あの蔓に絡みつかれることも、朱いアザが成長することも心配しなくて良いとのことだ。
ただしエリオットが物理的な力を使って実力行使してきた場合は、それは守りの力がどうこう出来る範囲では無いので、それについては細心の注意を払わなければならなかった。
「さあさあ、今日は久しぶりにリッちゃんが自由に過ごせる日なんだから、目一杯楽しみましょ!
まあ、色々なことを考えればキノル湖畔からは出ない方が良さそうだけどね」
「うん。今日はすっごく寒そうだし、ジャイム様の家の中で暖炉に当たりながらのんびり過ごせればそれで十分幸せだよ。
あ、夜はみんなで双角海蛇座流星群が見たいな」
「見ましょ、見ましょ〜!
みんなで楽しく流星群ウォッチングしましょ〜。
あたし、美味しいお夜食作るから!
今日だけは、夜中のグルメも、夜中の高カロリーも無礼講〜」
「メー、メメー」
「オッケー、ステラっちにも美味しいお夜食作るから楽しみにしてて!
ステラっちの大好物の草取ってきてあげますからね。大丈夫、凍死しないよう気をつけるから」
ヌッちゃんは、もうすっかりステラの言葉が分かるようになっていた。
そして私もヌッちゃんほどではないが、ステラが何を伝えたいか、その大枠は分かるようになった。
ステラとヌッちゃんと私は、あの日からますます仲良くなっていた。
みんなで一緒に過ごすのはこの上無く楽しくて、私達は本物の姉妹なのではないかという気すらしてくるほどだった。
性別や種など、大きな違いはあるが。
「よーし、じゃあ再誕日の飾り付けをしましょうか。
今すでに飾ってあるやつ以外も、じゃんじゃん飾り付けていきましょうよ。
なんてったって今日は一年でただ一度の再誕日だもの。
再誕日を楽しみましょ〜」
「よし! 飾りつけるぞー! 楽しむぞー!」
「メー! メー! メー!」
こうして私達は、再誕日の飾り付けを始めた。
ヴェネラ貝の吊るし飾りを更に増やした他にも、ヌッちゃんが準備しておいてくれた中くらいのアベトの木に、大小様々な金色の顔料で装飾済みヴェネラ貝の貝殻を飾り付けていった。
アベトの木の飾り付けが完成した後木の近くで蝋燭に火を灯すと、その光を受けたヴェネラ貝が輝き、その輝きによってアベトの木そのものが光る木へと変化したように見えた。
光るアベトの木はとても美しく、人の心の奥底にまでその光を届ける力を持っていた。
「いやーん、なんつー素敵な木になったんでしょ!
世界で一番素敵な木が、今ここにあるわあ」
「ンメ〜〜」
ステラがうっとりとした声で鳴いた。
顔もうっとりとしている。
いつも十分可愛いのに、もっと可愛くなっていた。
見ているこちらを幸せにするような、素敵で可愛いものを見つめている時の女の子の顔だ。
そう言う私も、おそらくいつもより女の子らしいうっとりした顔でキラキラ光るアベトの木を見つめていた。
「ジャイム様にもこれを見せようよ!
きっとすごく良く飾り付けられてるって、喜んで褒めてくれるよ。
私、呼んでくるね」
私はジャイム様を呼びに行った。
しかし、なかなか見つからなかった。
家中くまなく探したが、いない。
「メー」
「あ、ステラ。
一緒にジャイム様を探してくれるの?
ありがとうね」
「メメッ!」
ステラはそう鳴くと、迷いなく歩き始めた。
どうやらステラはジャイム様のいる場所が分かっているようだ。
私はステラの後ろについていった。
ステラに案内してもらってばかりの今日この頃である。
やっと見つけたジャイム様は裏口を出た先の木のデッキの上にいた。
ただじっと、太陽を見つめていた。
後ろから見えたジャイム様の左頬には、何粒もの涙が伝っていた。




