水と湿度
しかし厳密に言えば、その渇きの感覚は血楔病によって起こる渇きの感覚と全く同じものでは無かった。
非常に似ているが、少し違う。
血楔病によって起こる渇きの感覚は、エリオットの血を飲むまでは決しておさまらず、耐えることなど出来そうにはないが、今感じているこの渇きはなんとかすれば耐えられそうだった。
血楔病によって起きる渇きの感覚の方が、数百倍は激しい。
そして血楔病によって起きる渇きの対象はエリオットの血のみだが、今感じているこの渇きは、何かもっと大きなものに対してのもののような気がした。
「さようなら、エリオット」
私は自分にさえ聞こえない音量でそうつぶやくと、祭壇へと歩いていった。
その時なぜ、行ってくるねではなく、さようならと言ったのか自分でも分からなかった。
渇きの感覚に耐え、歯を食いしばりながら歩いた。
思った通り、歩いていくうちに渇きの感覚はやわらいでいき、次第に消えていった。
エリオットの声はもう聞こえなかった。
私とステラは祭壇の下にもぐり、大きく空いた穴の中へと入った。
ヌッちゃんが言っていた通り、確かに少しカビ臭い。
「ちょっとぉ、遅いわよ〜!
リッちゃん〜、ステラっち〜!
ヌッちゃん、体中カビ臭くなっちゃってる気がするぅ〜!」
ヌッちゃんが自分の体中を嗅ぎながらそう言った。
「ごめんごめん。
ちょっとやりたい事があって。
ねえ、ヌッちゃん。やっぱりこの穴どこかに続いてるみたい。
暗くて良く見えないけど、向こう側から風と水の匂いがしてくる」
「そうなの! あたしも今それ言おうと思ってたとこなの。蝋燭とマッチはここにあるから、火をつけて進んでみましょう」
ヌッちゃんは自分であらかじめ持って来ていたのか、それとも隠し穴の中に備え付けられていたのか、隠し部屋の中にあるのと同じ銀の燭台を手に持っていた。
ヌッちゃんはマッチで燭台に火をつけると、風が吹いて来る方へとそれをかざし、照らした。
そこにはやはり、道があった。
いや、道というよりも、それは通路のようだった。
周囲を囲む壁は剥き出しの土で、地下に掘られた地下通路というのがピッタリ来る感じだ。
「メー」
するとステラが、ここはあたしに任せなさい、という感じで私とヌッちゃんの前へと、トコトコと歩いて出てきた。
振り返り、男前な凛々しい顔で私達を見ている。
ステラは女の子のはずだが、今のステラはなにやらとても男らしい感じだ。
「あらステラっち、案内してくれるの?
キャッ、頼もしー! そんじゃよろしく〜」
「ンメッ!」
ステラはそう言うとトコトコ歩き出し、ヌッちゃんと私はステラの後について行った。
地下通路は緩やかな坂道になっており、どうやら通路を進めば進むほど、より深い地下へと降りていっているようだった。
この通路は誰によって作られたのだろうか。
普通に考えればそれはジャイム様なのだろうが、それにしてはこの地下通路は古過ぎるという感じがする。
そう感じたのは、なんだかまるで遺跡のような雰囲気がここに漂っていたからだ。
実際に遺跡に行ったことなどないが、遥か昔に栄えた文明がこの地下通路の先に眠っている、なんて言われればすぐ信じてしまうような、そんな雰囲気がここにはある。
道を進むにつれ、水の匂いも強くなっていった。
じっとりはしているが、清らかな感じの匂いだ。
この匂いは、嗅ぎ慣れた匂いだ。
もうすっかり慣れ親しんだ匂いだ。
これはキノル湖の匂いだ。
「ヌッちゃん、この匂い、キノル湖の匂いだね」
「うん? クンクン。そう言えばそうね。
私達きっと今、多分キノル湖にすごく近い場所にいるのよ。
キノル湖の底の、その下にいたりして。
あ、まだそんなに深く降りてはいないか」
「でも、そうだとしたら、なんかすごいね。
なんか大冒険って感じだね!
隠し部屋に空いた隠し穴の先には、一体何があるというのでしょうか……!」
「あらっ、リッちゃんのテンションが上がってる?
でも、確かに、ワクワクするわっ!
冒険! 探検! おさな心が甦るぅ〜!」
私達はワクワクしながら、道を歩いていった。
歩いていくうちに、水の匂いが強まるのは勿論、水の気配もどんどん強くなっていった。
耳をすませば、水の音が聞こえてきそうだった。
水の音だけではなく、キノル湖に住む魚や貝が泳ぐ音も、その気配とともに聞こえてきそうだ。
歩みを進めるにつれてどんどん湿度が高くなっていった。
肌はじっとりとして、髪もペタペタになった。
しかし決して不快ではなかった。
むしろこの湿度によって、先程感じた渇きや、生きながら体を焼かれたあのおぞましい記憶の残像が癒されていくのを感じた。
水や湿度は、私の味方なのだという気がした。
だってなんとなく、水や湿度から私に対する友好的な雰囲気を感じる。
気のせいと言えばそれまでではあるが、あの朱いアザが今はとても弱々しくなっている。
そして、私自身がとても元気になっている。
生命エネルギーに満ちまくっちゃっている感じだ。
そして、そうして癒されていくうちに、隠し部屋でエリオットとの間に起きたことを、まるで夢だったように感じ始めた。
どうにも現実感を伴って思い出すことが出来ない。
こちらの方が、水や湿度に囲まれている今が、圧倒的に自分の現実の世界という気がしてくる。
これまで感じたことのない変な感覚だった。
だいぶ長いこと歩いた。
ステラはどんどん進んでいき、ヌッちゃんはだんだん疲れ始めた。
「ステラっちー、まだなの〜?
あたし、疲れてきたわ……」
「メ〜〜」
「ふむ? もうちょっとだから頑張りなさい?
根性入れろ、ですと?
キャー、ステラっち手厳し〜!」
私達はしばらく歩き続けた。
ただひたすらに、歩いた。
ヌッちゃんは無言になった。
こんなになにも喋らないヌッちゃんを見るのは初めてだ。
顔もげっそりしている。
静かな地下通路の中、私達の足音だけが反響していた。
もうおそらく、隠し部屋よりだいぶ深い場所まで降りてきていた。
ふと、ある事に気が付いた。
風が強くなっている。
おそらく、風が吹き込む場所に近付いているのだ。
その場所には、きっと何かがある。
単に地上の空気を取り入れるための換気口があるだけかもしれないが、とても気になる。
私は早歩きで、風が吹き込んでいるのであろう場所へと向かった。
途中から、とても狭い場所を風が通る時に鳴るような音が聞こえ始めた。
動物の唸り声のようなあの音だ。
その音の方へと進んだ。自分でも気が付かないうちに走っていた。
無我夢中だった。
そして私は扉を見つけた。
その扉は、おそらく何かの金属で出来た両開きの、とても大きな扉で、見るからにとてつもなく古かった。
今までに見た扉のどれよりも遥かに古いのは勿論、今まで見た物体のどれと比べても遙かに古いという気がした。
「扉だ! 扉があったよ!
早く来てー!」
私は興奮していた。
まるで本当に遺跡を探し当てたような気分だった。
「ハァ、ハァ、ゼェ、ハァ……
リッちゃん、元気ね……さすが十代半ば……若さー!
あら! なんだか物凄い扉があるじゃない!!
なんか、すんごい古そうな扉ね!
あらまーー」
「メーー!」
「分かった、ステラ。
開けてみるね。
ヌッちゃん、手伝って。口からヨダレ出てるよ」
「いやはや、あんまりにも扉がでかくて、古いもんだから、驚きのヨダレが出ちゃったわ。失敬失敬。
じゃあ、せーので押しましょう!」
「「せーの!」」
その古く大きな扉が開く時に出た音を、私はどこかで聞いたことがあった。
錆び付いた扉が、開いたり閉まったりする時に出る、ギギーッというような音を。
頭が痛くなるような、この音を。
そして思い出した。
この音は、まだ自分がシエラだったことを思い出す前にシエラの夢を見た時、夢を見た後に記憶の扉が閉まっていく音と、そっくりだった。




