燃える呼び声
「ギギギギギギギギギギギギギギギギギギギ」
嫌な音は、止むことなく鳴り続けた。
この音をずっと聞き続けたら気が狂ってしまうと思った。
私は両耳を強く両手で押さえた。
しかし、効果は無かった。
その音は、いくら強く耳を押さえても、耳を押さえる前と全く同じ音量で聞こえ続けたのだ。
この音は、普通の音ではない。
おそらく普通の音が発生する法則とは違う法則によって発生している音なのだ。
空気の振動によって起きている音ではないのだ。
「エリオット! どうしたの!?
これはなんの音!?」
「リ、リシュリー……」
「ギギギギギギギギギギギ」
「ちょっとエリオット、大丈夫!?」
私は扉の向こうの蔓の様子を見ようと、目を凝らした。
蔓が、異常なまでに成長していた。
蔓は石の扉を覆い尽くし、石の扉の周囲の壁や、更には炉床の扉へと続く階段の方へも拡大しつつあった。
そして、蔓は燃えていた。
夢の中のカインを燃やしていたような、朱い炎を纏い燃えていた。
私には、その朱い炎が蔓を異常に成長させているように感じた。
おそらく朱い炎があの蔓の栄養になっているのだ。
きっとエリオットから蔓へと燃え移ったのであろう朱い炎は、蔓の糧なのだ。
扉の向こうのエリオットの気配を感じ取ることが出来ない。
それは、エリオットの気配が消えてしまったということではく、エリオットの気配と蔓の気配が一体化してしまったために、どれがエリオットが発している気配なのか判別出来ないということだった。
「リシュリー」
それは、確かにエリオットの声の音だった。
しかし、いつものエリオットの声とは何かが違った。
先程までのように、ふわふわした声ではなく、むしろ芯の通ったはっきりとした声だった。
こちらの方がいつものエリオットの声色に近い。
しかし、何かが違う。
いつものエリオットの声とは何かが違う。
返事をしてはいけない。
本能がそう言っていた。
「リシュリー」
子供が甘えるような声だった。
しかし、その内側には恐ろしく激しい渇望が秘められている。
そのアンバランスさが恐ろしかった。
決して返事をしてはいけない。
私の名前を呼ぶこの声にもし一度でも返事をしてしまえば、何か重大なものが私の中から失われる。
正しくは、何かとても大切なものを取られてしまう。
一度その大切なものを取られれば、二度と取り返すことは出来ない。
大切なものが一体なんなのかは分からないが、強くそう感じた。
「リシュリー」
その声は、私の名前を呼び続ける。
その呼び声には終わりが無い気がした。
決して返事をしてはいけないのに、返事をしてしまいそうになる。
この声は、呼ぶ者を誘う力を持っている。
恐ろしい誘惑の力だ。
その時、手にこそばゆい感覚を感じた。
手を見ると、ステラが私の右手の甲をペロペロ舐めていた。
私がそれに気が付いたことが分かると、ステラは強いまなざしによって私に語りかけて来た。
「もはやエリオット話し合うことは出来ない。少なくとも今は。だからもう行きましょう」
ステラは私の服の袖の端を引っ張り、祭壇の下の方へと連れて行った。
確かに、そうだ。
私はあの声に返事をすることは出来ない。
それだけは決して、してはいけない。
そして、エリオットが纏うあの炎を消すことは、今の私にはまだ出来ない。
しかし、いつかあの炎を消せるという、微かな予感を感じる。
ならば今はもう、扉が破られないと信じて祭壇の下で隠れているしかない。
今じたばたすれば、命取りになる。
私はステラと一緒に祭壇の下へと戻った。
呼び声は途切れること無く続いている。
また、ギギギギギギギという音も相変わらず鳴り続けていた。
「ごめんね、ヌッちゃん。
やっぱりちゃんとエリオットと話せなかった。
ヌッちゃんの言う通りじっとしていれば良かったかもしれない」
「いいの、いいの。
リッちゃんの、ちゃんと伝えたいって気持ちがなにより大事だったのよ。
それはエリオット氏にも伝わったわよ。
多分。いや、二割くらいの確率で?」
「でも、こんな変な音まで鳴り始めちゃったし」
「え? なんの音?
この、リッちゃんを呼んでるエリオット氏の声のこと?」
「ギギギギギギギって音、ヌッちゃんには聞こえない?」
「聞こえなーい」
「そっか。やっぱり、この音は普通の人には聞こえないのか……」
「なになに? ギギギギギって音が今してるの?
ってか、リッちゃんてなかなかに不思議な力持っちゃってるわよね〜! うらやま〜
天性のものなのかしら? あん、うらやま〜
巡礼の旅がひと段落ついたら、神殿に入れば?
あたし、推薦しちゃうわよ〜」
「ありがと。でもいいや。
私、牧場の仕事愛しちゃってるもんで」
「そっかぁ。もったいないけどリッちゃん、根っからの牧場野郎だもんね!」
「野郎じゃないよ」
ヌッちゃんと小声でいつものようにおしゃべりすると、それまで感じていた胃を締め付けるような緊張がほどけていった。
解放された胃が温かいもので満たされていく感覚さえした。
だが、私を呼ぶ声もギギギギギギギという音も全く止まない。
それどころか、だんだん大きくなっていった。
そして、ドスンッ、ドスンッというものすごい音とと共に石の扉が揺れた。
その揺れ方からは扉を打ち破ろとする明確な意思が感じられた。
「あらま。いよいよヤバいって感じがするわ。
あたし、祈る。リッちゃんがここをなんとか乗り越えて、巡礼の旅に出られますようにって。
てかさ〜、この世に生きとし生ける全ての者は、自由に羽ばき、どこへでも旅立って良いはずなのに。
旅立って、知らない人と出会ったり、自分の知らない自分と出会う自由を持ってるはずよ。
なんでリッちゃんだけ、こんなものすごい抵抗にあわなきゃいけないわけ〜」
「なんでだろう。うーん……
もしかしたら、牧場の家に生まれたからかな?
考えてみたら、牧場の動物達には牧場の外に旅することなんて絶対許さない癖に、自分は自由に旅立ちたいだなんて、ひどいことだよね。
動物達のことを家族だとか、愛してるとか言っておきながら、動物達の自由を奪っていることには変わらないもん。
そんで、自由を奪った動物達を自分が生きる為の糧にしちゃってるんだもん。
エリオットと私は同じなのかもしれない。
私は、愛してると言いながら自由を奪う因果の中にいるんだろうなー」
「い、いやん!
前から言おうと思ってたけどさ、リッちゃんて本当に十代? なんか精神年齢謎に高い気がするんだけど。気のせい?」
「あ、それ割と言われる」
「メエエ!」
ステラが痺れを切らした感じで私達に向かって鳴いた。
その姿はなんとなく、長女、という感じがした。
「あら、あたし、また羊語わかっちゃったわ。
ステラっち今、いい加減にしなさいよあんた達、って言ってたわ。キャー!」
「ステラ、ごめんね。
でも私もヌッちゃんも、どうして良いか分からないの。ねえステラ、もしこの状況からの突破口があれば教えてほしいな。なんでも構わないから」
「ンメー」
ステラは、仕方ないわね、という様子で鳴き私の袖を引っ張り祭壇の下から引っ張り出した。
そして、祭壇の上の方を見ながら何度か鳴いた。




