開けられない扉
炉床の扉が開く音がし、その後に続いて階段を一段、また一段と下ってくる足音が聞こえてくる。
なぜエリオットは分かったんだ。暖炉の炉床が隠し部屋に通じる扉になっていることが。
誰かに教えて貰わない限り、そこが隠し扉だとは決して気が付かないくらいに、炉床の隠し扉は分かりづらく作られていたはずだ。
しかし、もはやそんなことを考えることが出来ないくらい私はパニックになっていた。
かと言って出来ることなど何も無く、ただひたすらに祭壇の下で息を潜めた。
階段を降りて来る足音はトン、トン、と音を大きくしながら鳴り続け、とうとう止まった。
今まさにエリオットが、隠し部屋の石の扉のあちら側に立っているのだ。
石の扉の向こう側から、強い気配を感じる。
しかし、たった今私が感じているこの気配は、これまでのエリオットが発していた気配とは明らかに違った。
エリオットには子供の頃から妖艶な雰囲気を纏うのと同時に、凪の海のような、鎮まった気配があった。
しかし今、扉の向こうから感じるのはまるで炎のような気配だった。
まるでエリオットが全身に燃えさかる炎を纏っているかのようだ。
昨日夢に出て来たカインと同じように。
「リシュリー、ここにいるんでしょ?」
まるで夢を見ているようなエリオットの声が聞こえてきた。
やはりフワフワとした宙に浮くような声だ。
エリオットの魂がちゃんとエリオットの体に入っているか疑わしく感じるくらいに、声に力が無い。
燃えさかる炎のような強い気配を発しながら、こんな声を出しているなんて……
やはり今のエリオットは何かがおかしい。
私は何も答えなかった。
今この扉を開けてしまったら、何もかも終わりだと分かっていた。
この扉を開けることは出来ない。
どうしても、出来ないのだ。
扉を開けられないのに、エリオットの呼びかけに答えることがいかに残酷なことかくらいは、私にだって流石に分かった。
「リシュリー、お願いだからこの扉を開けて。
僕を部屋の中に入れて」
とても悲しそうなエリオットの声が聞こえてくる。
雨に滲んだ窓ガラスのような声だった。
いつもと同じように、エリオットのことがとても可哀想で仕方が無くなってくる。
心がひどく痛む。まるでたくさんの針にプツプツと心を刺され続けているようだ。
私はこれまで、エリオットにこう言われた時は、エリオットを自分の部屋へ入れていた。
はじめはそれを拒んでいたとしても、結局最後はエリオットを部屋に入れた。
子供の頃から今まで、ずっとそうだった。
でも、今回ばかりはそうするわけにはいかない。
今回ばかりは、それをやってしまったらこれまでやってきた何もかもが水泡に帰してしまう。
エリオットを散々傷付けたことだって無駄になってしまう。
扉を開けたとしても、エリオットと一緒に帰るわけにはいかないのだから。
そして結局そのことはエリオットをまた傷付ける。
それに……
私は自分の左手を見た。
朱いアザが薬指の根本でうねっていた。
見るからに先程よりも力強く動いている。
それから石の扉の方を見た。
エリオットの発する炎のような気配の他に、おびただしい数のあの蔓の気配を感じた。
おそらく、あの蔓は向こう側に張り付き、這い回り、石の扉をなんとしてでも開けようとしている。
もしも扉を開けてしまったら、あっという間に全身をあれに覆い尽くされるだろう。
そしてきっと、血楔病の症状が一瞬の内に出て来る。
渇いて、渇いて仕方がなくなり、エリオットの血を激しく欲するだろう。
この場でエリオットの血をすぐに飲まなければ死んでしまうくらいの渇望に襲われるだろう。
だからダメだ。
決して今、この扉を開けてはいけないのだ。
「リシュリー、開けて。扉を開けて。
僕を入れて。部屋の中に、僕を入れて」
しかし、辛い。
エリオットの声が聞こえないフリをして、こうして私を呼び続けるエリオットのことをを無視し続けるのはあまりに辛すぎた。
あまりに辛すぎて、頭がぼんやりして来た。
そうすると、意識の奥底から記憶が浮かび上がってきた。
シエラの記憶だ。
「シエラ! この扉を開けて!
早く! 早く開けて!
どうしてもう僕と会わないなんて言うんだ!
一刻も早くそんな言葉取り消してよ!
お願いだから早く扉を開けて、部屋の中に僕を入れて!」
それは、いつも夢の中で聞くカインの声よりも、だいぶ幼く高い声だった。
シエラは閉められた扉にうずくまりながら寄り掛かっていた。
シエラもまだ小さく、子供だった。
我ながら可愛い。ほっぺたがまんまるだ。
十歳くらいに見えるが、もう少し幼いような気もする。
「カイン……
ごめんね、私カインとはもう会わない……」
「なんで……?
嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!!
理由は!?
そうだ、また誰かに何か言われたんだ、そうに決まってる!」
「え? う、うん……
私の呪われた瞳に見つめられた人は寿命が縮むんだって。
カインは私とたくさん遊んでくれてるから、その分寿命がたくさん縮んじゃうんだって。
親戚にいっぱい聖職者がいる子が言ったことだから、多分本当だよ。
カインは大切な友達だから、たくさん長生きして欲しいんだ。
だからもカインとはもう会わないし、遊ばない」
「そんなの嘘に決まってる。
どうせまたアイビーだろ。
あんな奴の言うことなんて気にしなくていいんだ。
それに、あいつより僕の家の方が聖職者の数は多いし、僕も僧院に通ってる。
もしシエラの瞳が本当に呪われていたとしても、そんな呪いなんてことないくらいの力を身につけられるから大丈夫だよ。
だから早くこの扉を開けて。今日は何して遊ぶ?」
「うーん……
でも、カイン。このまま私と遊んでいたら、カインにまで悪い噂が立っちゃうかもしれない。
やっぱりもう会わない方がいいよ」
「嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!
開けてよ! 扉を開けてよ!!」
扉がドンドンと叩かれた。
というより、叩かれまくった。
子供のカインがシエラの部屋の扉をめちゃくちゃに叩いているようだ。
ドンドンという音は、次第にドカ、ボカ、ボコというような音になっていった。
シエラは立ち上がったものの、その音に困惑し、しばらく扉の前で立ち尽くしていた。
しかし、扉を叩く音に混じってカインの泣き声が聞こえてくるとすぐに扉を開けた。
そこには涙と鼻水で顔がぐしょぐしょになったカインがいた。
そんな風になっても、カインは十分美しかった。
まだ漆黒の髪は短く顔もまんまるだが、もう既に並外れた美貌の片鱗がそこかしこに現れていた。
「シエラ! シエラ!!」
小さなカインは泣きながらシエラに抱き付いた。
ぴったりくっつき、ぎゅうぎゅうとシエラを締め付けていた。
「カイン、ごめんね。本当にごめんね。泣かないで。
……ぅっ! くるしい……!」
「シエラ、もう二度とこんなことしないで!
もう二度とこんなことしないって約束して」
「分かった。もう二度とこんなことしない」
「約束だよ」
「うん。約束する」
「良かった……
…………
ねえシエラ、もうこんなことはあっちゃいけない。
僕達が絶対離れないようにするためにはどうすればいいんだろう」
小さなカインは豪華な絨毯が敷かれた床を朱い瞳で見つめながら、じっと何かを考え込んでいた。




