足音
階上から聞こえてきたダン!ダン!という音に、私達は顔を見合わせた。
ヌッちゃんは目を見開き、声を出さずに口だけを「マジか」と動かした。
「やっぱりいらっしゃいましたか、エリオット氏……
そうよね、ここにリッちゃんが居る確率が高いと思ったら、そりゃ来るわよね。
ここでじっとやり過ごしましょう。
きっとしばらくすれば、エリオット氏のイケメンお兄様達がやって来て、この前みたいに家に連れ帰ってくれるわ。多分。
もしそうでなくても、この部屋に居れば大丈夫よ。
なんたって隠されてる隠し部屋だし、石の扉はかなり頑丈だし、あたしとステラっちがいるし」
「ンメッ」
「ありがとう二人とも。
そうだね、なんとかやり過ごそう」
私達は息を潜めた。
ダン!ダン!という玄関扉が叩かれる音は、かなり長い間続いた。
微かにエリオットの声も聞こえてきていた。
この隠し部屋の中からエリオットまで合計で三枚の扉に隔てられているのに、ここまで声が聞こえて来るということはエリオットは相当な大声を出しているということだ。
シルビアちゃんが現れるまでエリオットが大声を出しているところなんて見たことが無かったから、エリオットが大声を出すということに未だに違和感を感じる。
しかし、こういった一面も間違いなくエリオットの一側面なのだ。
確かにエリオットについてよく分からないと思うところもあったけれど、私に見えていたエリオットの姿がエリオットの全てではなかったことは、純粋にショックだった。
エリオットとの関係がこんな風になってしまっても、そう感じた。
しばらく経つと、音と声は止んだ。
じっと耳をすませて様子をうかがうが、特に何の物音もしない。
私達は数分間様子をうかがい続けたが、無音の状態は破られることはなかった。
諦めて帰ってくれたのだろうか。それとも、お兄さん達がエリオットを連れに来てくれたのだろうか。
「音、止んだわね〜 帰ってくれたのかしら」
「うん、そう思いたい」
私は言った。本当にエリオットは帰ったと思った。
ホッとして体の力が抜けそうになった。
しかし、そんなわけはない、気を緩めてはいけない、という心の声のような、直感のようなものが心の奥底から浮かび上がってきた。
その直後、バリーンッと、ガラスが割れる音が聞こえてきた。
「え? まじ?」
ヌッちゃんを見ると、細い目が限界まで見開かれていた。
額には青筋が浮かび上がっている。
だがそうなるのも当然だ。
私もまさかエリオットがそこまでやるとは思っていなかった。
私も内心かなり慌てふためいていたが、ここでその慌てふためき加減を表現してしまったら自分で自分の恐怖を抑えられなくなると分かっていたため、頑張って平静を装った。
ステラが一番冷静で、私の方に背を向けて背中の毛を撫でさせてくれた。
ギシ、ギシ、ギシという音が聞こえてきた。
この音はきっと、足が床を踏みしめる時に出る音だ。
エリオットが、ジャイム様の家の中を歩き回っているのだ。
「リシュ……ここ……るのは……分かって……
お願……はやく……てきて」
エリオットが私を探す声が聞こえてくる。
現実感がないような、ふわふわとした声だった。
夢遊病者がさまよい歩く時に発するような。
正気を完全に失ってるような、理性が働いていないような。
なんとなく今のエリオットはかなりヤバイという気がする。
秘密の花畑の時もヤバかったが、今はその時とは比べものにならないくらいヤバイ。
ヤバイ、ヤバイとヤバイの連呼をすると、そのヤバさは自分が伝えたいヤバさからどんどん遠ざかっていく気がするが、ヤバイと言うことをやめられないくらいに、とにかくそれくらいにヤバイのだ。
私の知っているエリオットは、人様の家の窓ガラスを割るなんてことは何があってもしない。
私の知っているエリオットがエリオットの全てではなかったことは痛い程分かったが、それでも、エリオットは本来こんなことをする人間では決してない。
どんな側面を持っていたとしても、こんなことをする人間ではないのだ。
だから今、とてつもないヤバさを感じているのだ。
「エリオット氏……まさかここまでやるとは」
「ヌッちゃん、万が一のためにまた祭壇の下に入ってようよ。
あと、扉の前に簡易ベッドでバリケード作っといた方が良いかも。
多分今のエリオット、相当ヤバい状態だよ。
本当は絶対にこんなことする人じゃないもん」
「オッケイ、バリケード作りましょ!
そうよね、あたしもエリオット氏について深く知ってるわけじゃないけど、簡単に人んちの窓ガラス割るタイプの人間じゃあないわよね」
私とヌッちゃんはなるべく音を立てないように簡易ベッドを扉の前に置いた後、祭壇の下へと隠れた。
ステラは私にぴったりくっついていてくれた。
「……シュリー…………シュリー……」
エリオットの声が聞こえてくる。
先程までは遠くの方から聞こえてきていたギシ、ギシという床を踏みしめ歩く音は、次第に暖炉の方へと近付いて来ている。
「……シュリー…………シュリー……」
分かるはずはない。
分かるはずはないのだ。
まさか暖炉の炉床が隠し扉になっていて、そこが隠し扉へ続く入り口だなんて、分かるはずはない。
そもそも、エリオットはジャイム様の家に隠し部屋があることすら知らないはずだし、普通、家の中に隠し部屋なんて無い。
だからまず、隠し部屋を探そうという発想にすらならないはずだ。
だからきっと、この隠し部屋は見つからない。安全だ。
自分の手は気付かないうちに震え始め、呼吸は浅くなっていた。手のひらはじっとりと汗ばんでいる。
胸の前で手を組み合わせた。
この隠し部屋は見つからない、見つからない。
必死に自分に言い聞かせた。
見つかるわけない、大丈夫。
しかし、そんなわけない、という声が再び聞こえた。
その声はどうしても頭から消えていかない。
「……シュリー…………シュリー……」
隠し部屋の天井からギシ、ギシという音がしてきた。
今まさにこの隠し部屋の上を、エリオットが歩いている。
エリオットは円を描くように同じ場所を歩いているのか、同じ所からギシ、ギシという音がし続けている。
「……シュリー…………シュリー……」
ギシ、ギシという音が止んだ。
嫌な感じがする。ものすごく嫌な感じがする。
今、もしかするとエリオットは、炉床に手を這わせて、ここへと続く扉を開けようとしているのではないか。
だってギシ、ギシという音が止んだのは、ちょうど暖炉の前あたりのような気がするのだ。
頭はエリオットが炉床の扉の存在に気付くことは無いと思いたがっている。
しかし、私の直感のようなものは、きっとエリオットは炉床の扉を開けるだろうと言っていた。
しばらくの間、何の音もしなくなった。
自分の心臓の鼓動の音だけが聞こえていたが、その音をどうしようもなくうざったく感じた。
「……シュリー…………シュリー……」
ギーッという音がした。
炉床の扉が開く音だった。




