リシュリーとシエラ
夢から醒めた後も、カインが言い放った呪詛のようなあの言葉が頭から離れなかった。
「ねえシエラ、本当に残酷なのは一体どちらなんだろうね」
一体どういう意味なのだろう。
だって、シエラを裏切ったのはカインの方だ。
おそらくではあるが、カインはティハナ様と結ばれたいがためにシエラを捨てた。
シエラよりも、ティハナ様の方を強く愛したのだ。
あの渇きの夢では、暑苦しい程に二人が愛し合っている様子がうかがえた。
そこらへんのことについて、ちゃんと全てを思い出せないのがも非常にもどかしいが、なんとなく、あの二人の間には子供が出来たという気がする。
まだシエラとの婚約がきちんと解消されていない状態にも関わらず。
シエラが壊れてしまったのは、それが大きな原因の一つだったという気がする。
先にシエラを壊すくらい悲しい目にあわせたのはカインなのに、自分が拒絶されたらあの言葉。
これを逆ギレと呼ばず、何を逆ギレと呼ぶのだ?
しかし、とりあえず夢から醒められて良かった。
カインが焼かれながらこちらへ歩いて来た時、とてつもなく怖かった。
あの恐怖は、おそらくシエラの恐怖だ。
信じられないくらいの恐怖だった。
大丈夫だよ、シエラ。
私が一緒にいるからね。
不思議な感覚だ。
シエラは過去の私ではある。
しかし、今の私では決して無い。
自分の一部という感じもするが、自分の中に居る別の人格という気もする。
シエラの記憶をまだ完全に得られていないから、より一層そう感じるのかもしれない。
だからかシエラに対して強い慈しみの気持ちを感じる。
私とシエラでは、生きた世界も、置かれた環境も、経験したことも違うことばかりだろうし、私よりシエラの方が遥かに過酷な人生だっただろう。
シエラのことを正しく理解してくれた人は、シエラが生きた世界においては誰一人として居なかった。
きっと、いや、確実にそうだ。これには確信がある。
だったら、リシュリー・アルコとしての今の私が、シエラのことを理解してあげたいと思った。
リシュリー・アルコとしての今の私は、シエラがその生涯を通して得られなかったであろうものを、幸運なことに得られている。
家族からの愛情や、心を許せる友達や、自分の居場所である牧場の仕事などのそれらは私を強くしてくれ、その強さによって今の私はシエラの悲しみに寄り添うことが出来る。
それが人間一人の精神を壊すくらいの悲しみだったとしても、今ならきっとそれを消化することが出来る。
あの悲しみは、おそらくまだ私の中にある。
だからこそ私は壊れたシエラの夢を何度も見ていたのだ。
そして、シエラはまだあの悲しみに囚われ続けている。
だから、リシュリー・アルコとしての私があの悲しみを消化し分解する。自らの糧にさえしてみせる。
シエラのためだと思えば、どんなに辛かったとしてもそう出来る気がする。
そして、シエラを悲しみから解き放つ。
私は自分の体温でちょうど良く温まった簡易ベッドの中で、そう決心した。
左手薬指の朱いアザが私のその決意に反発するかのようにうねうねと動いていたが、見えないフリをした。
「リッちゃーん、おはようございまーす。
朝ですわよ〜」
「メエエエエ」
隠し部屋の扉が開いて、ヌッちゃんとステラが部屋へと入って来た。
ヌッちゃんは朝ご飯が乗ったお盆を持っていた。
朝ご飯は目玉焼きが乗ったパンと、よく煮込まれた温かい野菜と豆のスープだった。
「うわあ、美味しそう。
起きたばっかりなのにおなかペコペコだから、もう、すぐ食べたい!」
「ちょっとお待ち!
この隠し部屋にいる間、運動不足になることを避けるため、リッちゃんには食前にヌッちゃん考案の体操をしてもらいまーす。
三分で出来る上に、体のあちこちをまんべんなく動かせる最強の体操なのよ!」
「えー……食後じゃだめ?
すぐご飯食べたいんだけど」
「つべこべ言わない!
ほらベッドから出て! あたしとおんなじ動きをして。それ、いっちにー、いっちにー」
私はつべこべ言うのをやめて、ヌッちゃんと同じ動きをした。
なかなかに珍妙な動きであったが、体の全ての部位を効率的に動かすことが出来て、体の隅々までほぐすことが出来る、すごい体操だった。
たったの三分なのに、爽やかな汗をかくことが出来た。
肉体的にスッキリサッパリしたのが関係あるのか、左手薬指の朱いアザがほんの少しだけ薄くなった気がした。
「いっただっきまーす」
私は簡素な椅子に座り、同じく簡素な机の上に乗せられた朝ご飯にありついた。
見た目通り、とても美味しかった。
疲れのせいで体がエネルギーを欲しているのか、ものすごい食欲を感じて、ガツガツと食べてしまった。
「あらぁ、その食べ方見てると、神官養成学校の食堂を思い出すわぁ。
成長期真っ只中の男の子はみんなそういう食べ方をするのよね。
その食事というより補充って感じ、懐かしー」
なんとなく悪口を言われている気がしたが、そんなこと気にしている余裕も無いくらいの食欲だったので、ガツガツと食べ続けた。
朝ご飯を完食してすっかりお腹が膨れると、現実のことに気を回す余裕が出て来た。
「ヌッちゃん、ごちそうさま。すんごい美味しかった。
今日はこの後どうするの?
もちろん私はこの隠し部屋に居るけど、エリオットがやって来た時のために上の体制はどうするのかなぁって思ってさ。
そういえばジャイム様は? 上にいるの?」
「ジャイム様なら、レナトゥス大神殿まで出かけてるわ。ちょっと昨日の地震関連のことでね。
きっと夕方くらいには帰ってくるでしょ。
あたしとステラっちは今日一日はリッちゃんと隠し部屋で過ごすわ。
居留守大作戦って感じ〜
もちろん上の戸締りは万全だし、万が一を想定して窓とか防御力が弱そうな場所はちょっくら補強してきたわよ。
エリオット氏がそれらをぶっ壊して入ってくることは無いと信じたいけどね。
居場所がバレた以上、リッちゃんがここにずっと居るとはエリオット氏も考えないと思う。ていうか、思いたい。
この隠し部屋、おトイレとかまであっておこもりにはうってつけだし、今日は一日ゲームして過ごしましょ!」
「やったあ、ゲーム三昧の一日、大賛成!」
「メエ、メエ」
「あら、ステラっちもなんかして遊びたいのかしら?
リッちゃん、羊でも遊べるゲームってあるっけ?」
「椅子取りゲームとかは?」
「メエエ!」
「あら、やりたいって言ってるわ!
羊語分かっちゃった! きゃー!」
私達は朝ご飯の後片付けをした後、簡素な椅子を部屋の真ん中に置き椅子取りゲームをした。
圧倒的に有利なはずの笛を吹く役は、圧倒的に弱そうという理由で私がやらせてもらえたが、私は一回も椅子に座ることは出来なかった。
ヌッちゃんとステラが熱戦というより乱闘と言った方がふさわしい戦いを繰り広げたからだ。
二人に弾き飛ばされひっくり返った私は、椅子に触れることすらできなかった。
しかし、全体的にはとても楽しい椅子取りゲームだった。
ヌッちゃんとステラの戦闘力の高さも分かったし。
そんな風に楽しく過ごしていると、まるで今が非常事態だということを忘れそうになってしまう。
しかし階上から聞こえてきた玄関扉が叩かれているのであろうダン!ダン!という音によって楽しい気持ちは一瞬でしぼみ、緊迫した空気が隠し部屋を支配した。




