生きていた約束
「約束はまだ生きている。
僕達はまだ婚約したままだ。
この約束がまだ生きていたからこそ、僕達はまたこうして出逢えたんだから。
この約束が生きてる限り、僕達の繋がりは消えない!」
あの時、あの時、何があったのだっけ。
思い出さなければならないのに、思い出せない。
シエラが壊れてしまっていたあの夢で、何が起こったんだ。
とてつもなく悲しいことだ。
そして何かが断ち切られた。
そして、それによってカインとシエラの繋がりも切れた。そう思っていた。
少なくとも、シエラは。
つまり私は。
しかし、そうではなかったの?
確か、それが起きた時、私は激しく悲しみながらもどこかで安堵していた。
これで全てから解放されると思っていた。
これでカインとの縁は切れたと思っていた。
なのに、どうして。
しかし、一体何が起きて自分がそう思ったのかを思い出すことが出来ない。
そして、そうだ。カインとシエラは婚約していた。
まだこういう具体的な関係性を完全に思い出せてはいなかった。
断片的にシエラだった時の記憶のカケラと、シエラの感情が蘇ってくるものの、それはまだ互いに繋がることなくバラバラに離れて脳内を浮遊している感じだった。
しかし、カインとシエラが恋仲だったことは知っていたけれど、婚約までしていたのか。
なのに、裏切られた。
ちょっと酷すぎやしないか。
なのに、まだ婚約状態が続いてるなんて言うなんて。
エリオットが今正気ではないのは分かっているが、こんな無茶苦茶な事を言うなんて。
でも、もしかするとエリオットは、ずっとこんな狂気を隠し持っていたのだろうか。
こんな、無茶苦茶で支離滅裂な狂気を。
「そんな約束なんて、もう無効だよ!
だって私はもうシエラじゃないし、確かにエリオットももうカインではない。
違う人間として生まれ変わったんだから、どんな約束も無効になるはずだよ」
「そうだよ。僕はもう、カインじゃない。
リシュリーも、シエラじゃない。
でも、僕達の魂を繋ぐ約束は生きている。
あの約束は、人格ではなく、魂によってされたものだから。
だから、永遠に有効なんだよ」
なんなんだ、その約束は。
そんな強い拘束力がある約束なんて聞いたことがない。
死んでも破れない約束なんて。
「でも、その約束さえ無かったことに出来れば、私達の繋がりも消えるってこと?」
「……そんなことさせない!!
絶対にさせない!!!!」
エリオットが鬼のような形相で叫んだ。
でも、恐れちゃダメだ。
私は約束をすることは出来ないが、約束を破ることが出来ないとは言われていない。
まだやったことは無いが、やってみる価値はあるはずだ。
だが、約束を破るということに、つまり約束を殺すということに、ひどく心が痛む。
なぜだか、とても悲しくなる。
決してやってはいけないことだという気もする。
しかし、今それをやらなければここから逃げられない。そう思った。それ以外に方法は無いと。
「私、その約束を無かったことにする!
何もかも無かったことにする!
シエラだった時にカインとした婚約を、破棄する!」
……なんだかとても変な感じだ。
自分の言葉が全然響かない。
心にも、頭にも。
なんなんだ、この感覚は。
こんな感覚、感じたことが無い。
言葉が言葉になっていかない、言葉に魂が宿らないこんな感覚は!
「……やっぱりそうだ。
ははは、ははははははははは!!
リシュリーがこの約束を殺すことは出来ないよ。
この世界にいる限り、どうしたってそんなこと出来やしないんだ。だって……
ははははははは! ははははは!」
エリオットは、いよいよ本物の狂人のように笑い続けていた。
心の底から嬉しくて嬉しくて仕方がないという風に、揺れ続ける真っ白い世界の中で笑い続けていた。
私は、あまりの喜びも人を狂わせることを知った。
「リシュリー、何をしても無駄だよ。
僕達の婚約が消えることなんてない。
誰にも消すことは出来ない。
あの女にはもちろん、リシュリーにすら、この約束を殺すことは出来ない。
僕達は結婚して夫婦になるんだよ。今度こそ必ず」
一体どうして、約束を破れないのだ。
婚約を破棄できないのだ。
約束なんて、簡単に破れるものじゃなかったの?
……カインが私との約束を簡単に破ったように!
そうだ、カインは私との約束を破った。沢山破った!
なのに、今更なんなんだ!
一体、なんなんだ!!
私はもう自由になりたいのに!
カインから、エリオットから自由になって、あんな悲しい思いはもう二度としたくないのに!!
あんな渇きの苦しみは二度とごめんなのに。
「もう、いい加減にしてよ!!
もう私を自由にしてよ!
私はもうエリオットと離れたい。
もう二度とあんな悲しい思いはしたくないの。
多分、シルビアちゃんがティハナ様なんでしょ?
だったら、シルビアちゃんと仲良く暮らせばいいじゃない。
嫌なお邪魔虫はもう二度と運命の二人の邪魔なんてしないから、私のことは放っておいてよ!」
きっとそうだ。シルビアちゃんがティハナ様なのだ。
あの渇きの夢に出てきた聖女のティハナ様はシルビアちゃんにそっくりだった。
外見というより、醸し出す雰囲気や目の光などに現れる魂の波形が同じだった。
だとしたら、エリオットとシルビアちゃんこそがやはりお互い運命の相手じゃないか。
生まれ変わっても、再び出逢っているじゃないか。
もうそれで良いじゃないか。
私は今度こそ自由になりたい。
今回のこの人生こそ、自由に生きたい。
リシュリー・アルコとしての人生を、自由に、大切に生きたい。
そして、シエラとして生きていた時に叶えられなかった全ての願いを叶えたい。
それだけが今望むことだ。
決してエリオットとシルビアちゃんの邪魔はしない。
出来ることなら、約束したい。出来ないけれど。
でも、絶対しない。
なのに、どうしてエリオットは私の邪魔をするの。
もう邪魔をしないでよ。
邪魔をしないでよ!!
その時、音が聞こえた。
低く重い音だ。
まるで地鳴りのような、海鳴りだ。
先程の大きな爆発音とは違う。
この音を聞いたことがある。
どこでだっただろうか。
そうだ、プロメナリウム海浜公園だ。
あの、巨大な一角の海蛇を見た時、この音を聞いたのだ。
それはイハの海から、うねるような、渦を巻くような音を出しながらこちらへ近付いてきている。
私にはそれが分かった。
とてつもない突風が吹いた。
それは地面に深く積もった雪を舞い上げた。
エリオットの血に染まった真っ赤な雪も、空へと舞い上がっていった。
雪だけではなく、雪の下で眠っていた草や、地面の下で春への芽吹きの日を待っていた実達をも荒々しく巻き上げた。
来年の春、もうここに花は咲かないだろう。
もうあの花畑を見ることは出来ない。
巨大な一角の海蛇の大きな首が、すぐそこにあった。
エリオットのことを、その美しい金色の瞳で睨みつけていた。
それは、とても怒っているようだった。




