ホワイトアウト
エリオットは口の端から血を大量に流しながら、私を見つめている。
濁り、腐りかけた瞳で。
エリオットが何を考えているのか分からない。
とても穏やかな顔をしているが、全体的に危うい雰囲気を漂わせている。
ヌッちゃんはエリオットから見えないように、茂みの中に隠れていた。
ずっと行方をくらましていた私がヌッちゃんと一緒に出てきたら、エリオットが良からぬ誤解をしてしまうかもしれない。
そしてその刺激でエリオットがどうなってしまうか分からない。
だから秘密の花畑に近付くと同時に、ヌッちゃんはだいぶ距離を取りながら私について来ていた。
「エリオット、血がたくさん出てる。
そのままだとまずいよ。
私に血を飲ませて。そして、その傷を治させて」
私は出来るだけエリオットを刺激しないように、落ち着いた声を出そうとした。
しかし、自分の喉から発せられた声は震えていた。
エリオットが死ぬのではないかという不安と、何を考えているか分からないエリオットへの怖れの感情のためだ。
相対するような二つの感情が、胸の中で混じり合って渦を作っていた。
そういえば、もうどのくらいエリオットの血を飲んでいないのだろう。
だいぶ長いことエリオットの血を飲んでいない今の私が、エリオットの血を飲んだらどうなってしまうのだろう。
ヌッちゃんが言っていたようにまた血楔病の渦の中に戻るのか、それともエリオットの血を飲んでなお、今のこの状態を保つことが出来るのか。
どうか、エリオットの血を飲んだ後も今のこの状態を保てますように。
もう、血楔病の渦の中には戻りたくありません。
どうしても、巡礼の旅に出たいんです。
私は、居るか居ないかも良く分からない神様に祈った。
「リシュリー。ありがとう。
分かった。
じゃあ僕の血を飲んで。
この傷口から」
エリオットは血を流しながら、とても嬉しそうに笑った。
私はエリオットへ近付いていった。
一歩、また一歩、雪に足をとられながらゆっくり進んでいった。
あの小さな揺れはまだ続いている。
あまりに長いこと揺れの中にいるからか、平衡感覚がおかしくなっているようだ。
それに加えて、雪のあまりの白さと、エリオットの血の匂いとで、ある種のトランス状態に陥りそうになる。
上下も方角も分からない、ただただ真っ白な世界の中にエリオットと二人だけで存在しているような感覚になる。
前へ進めば進むほど、金色の羊の毛のお守りが発する光が強くなっていくことに気がついた。
私を強く守ろうとしているようだ。
そして、その光はただ私を守るだけではなく、重要な何かを思い出させようとしている。
この光を浴びていると表面の意識が揺らいできて、もっと深い意識の底から何かが浮かび上がってくる。
そう感じる。
どうしてだか、エリオットがカインに見えてきた。
カインも今のエリオットがしているような表情をして、見つめていたから。
私のことを。
穏やかなような、不安定なような、何かを恐れているような、そんな表情で。
え、違う。何。
カインと私が会ったことなんて一度も無いのに。
カインは夢の中の世界の人なのに。
エリオットとなんの関係も無いのに。
一体どうしてしまったの、私。
やはりトランス状態になっているのだ。
雪とエリオットの血の匂いせいでおかしくなっているのだ。
……でも、確かに私はカインと会ったことがある。
カインの匂いや声を覚えている。
そしてカインのことがとても好きだった。
優しい優しいカインのことが。
私は大好きだったのだ。
でも、最後は、とても憎かった。
愛していたからこそ、とても憎かった。
頭が混乱している。
なぜこんな時に、こんな変な状態になってしまうのだ。
現実が揺らいでいる。
でもいい、そんなことはどうだっていい。
今やりたいことはただ一つなのだから。
カインを知ってたって、なんだって、今はエリオットの血を止められればそれでいい。
エリオットを助けなければ。
エリオットを死なせたくない。
ただそれだけだ。
しかしそう思った瞬間、強い頭痛に襲われた。
後頭部を誰かに強く殴られ続けているかのようだ。
もう、エリオットの目の前まで来ているのに。
早く血を飲まなければいけないのに。
「っ!……痛い!!」
「リシュリー? どうしたの?
どこか痛いの!?」
……本当に、エリオットを助けて良いのだろうか。
あの時、私はカインを助けようとした。
なのに、あんなことになってしまった。
自分の運命は分かっていたけど、あんな目にあうなんて思いもしなかった。
そして、もう二度と会いたくなかったのに。
永遠に会いたくなかったのに。
だからここまで逃げてきた。
カインとティハナ様から。
私は一生懸命逃げて来たのだ。
なのに、どうしてまた会ってしまったのだろう。
わざわざここまで追いかけて来て、二人でまた私を苦しめ尽くそうとしているの?
あの時みたいに。
「リシュリー! 大丈夫!?
頭が痛いの!?
大丈夫!?」
目の前で頭を押さえてうずくまる私を、エリオットがとても心配している。
子供の頃からずっとそうだ。エリオットは私が少しでも痛がると、大げさ過ぎるくらいに心配する。
それが面白くて、たまに痛みがおさまっても薄目を開けてエリオットの様子を見ていたっけ。
そしてそれに気がつくと、エリオットはホッとしながらほんの少しむくれてた。
その顔がとても可愛かった。
……自分で痛めつけておきながら、心配するなんて、狂人のすることなのに。
今までずっとエネルギーが枯渇していたのも、そのせいで調子が悪かったのも、一人でどこにも行けなかったのも、エリオットのせいなのに。
私の力を奪って、一人ではまともに何も出来ないようにしていた。
エリオットがカインだった時も同じだった。
一人では立てないようにしておきながら、他に好きな人が出来ると私を捨てた。
そして私は……
なのに、また私を苦しめようとここまで追ってきて、また私を一人では何も出来ない人間にしようとしている。
なんて酷いの。
そんなこと、許せるの?
だめだ! さっきから頭の中がぐちゃぐちゃだ。
意識の底から浮かび上がってくる声と、今の自分の心の声が入り混じって、自分でもどちらが本当の自分の考えなのか分からない!
「リシュリー!
どうしよう! どうしよう!
頭の後ろの方が痛いんだね。
今さするからね。少しは良くなるかもしれない!」
エリオットの左手が頭へと伸びてくる気配がした。
もう嫌だ、エリオットを助けたいのに!
意識の底から浮かび上がってくる声が邪魔で邪魔で仕方がない。
今も、その声はエリオットに自分を触らせて良いのか、許して良いのか、ずっと呪詛のように言葉を紡ぎ続けている。
うるさい、うるさい!
私はエリオットを助けるんだ!
それが私の真実なんだ!
私は伸びてきたエリオットの左手を強く払いのけ立ち上がると、エリオットの唇の傷に自分の口をつけ、血を飲んだ。
エリオットの血はもう甘くも美味しくもなかった。
錆びた鉄の匂いの、ただの血だった。




