十六歳の誕生日
目覚めて迎えた十六歳の誕生日の朝は、静かで、空気が澄んでいて、とても良い朝だった。
キノル湖に面した窓を開けると、気持ちの良い湖の風が吹き込み、鎖骨よりほんの少し長く伸びた私の白い髪をふわりとなびかせた。
キノル湖からの風は、その中に不純なものが一切含まれていないような、冷たく澄みきった透明な風だった。
この風を感じているだけで、心も体も癒されていく。
私はしばらくの間、窓の近くに座ってその風に当たっていた。
この風を浴びることが出来ただけで、もう私の十六歳の誕生日は十分素敵な日だと思った。
あの、とても可哀想なシエラの夢のことは今日だけは考えないようにしよう。今日だけは。
カインの心変わりに傷つき、生きることに絶望していた可哀想なシエラ。
私には見えなかった何かを見て、希望をその瞳に浮かべていたシエラ。
あの時、シエラは確かになんらかの希望を感じていたように見えたけれど、ひどく悲しい顔をしていた。
見ている者の心を震わせるような、悲しみに満ち溢れた顔だった。
シエラの生きている世界の全てを諦めたような顔だった。
そんな顔をしたシエラを、出来ることならギュッと抱きしめてあげたかった。
とても孤独そうなシエラの友達になってあげたかった。
明日から、シエラのことをもっと考えていこう。
もっと掘り下げていこう。
きっとシエラはそうされたがっている。
そんな気がした。
この前ははぐらかされてしまったけれど、今のこの状況でならヌッちゃんももっと色々考えてくれるかもしれない。
でもとりあえず今日だけは、私の十六歳の誕生日を楽しみたかった。
気をつけながら窓に近付いてキノル湖を眺めた。
鈍色の厚い雲の合間から、何本もの朝日の光線が湖へと射していた。
その光線によって起きる光の反射で、まるで湖面に無数の輝く鱗があるように見えた。
そして少し経つと、朝日に起こされた渡り鳥達の朝の挨拶の声が湖畔中に響き渡り始めた。
カラフルおケツちゃん達も空を仰ぎ、鳴いている。
湖の周りに生い茂っているあの丈の長い草もまた、渡り鳥達と挨拶を交わすように、風になびきながら音を出し揺れていた。
朝の湖畔の風景はとても美しく、私が生まれてきたことを世界が祝福してくれているような気待ちになった。
しかしすぐ、自分が本当はまだ半分くらいしかこの世界に生まれていないことを思い出して、悲しくなった。
それはきっとこの世界はまだ、完全には私を受け入れていないということだと思ったから。
「リッちゃん! お誕生日おっめでとー!!!」
ダイニングに入ると、ヌッちゃんが鼓膜が破れそうなくらいの大声でお祝いしてくれた。
テーブルの上には、蝋燭が立てられたとってもカラフルなケーキがある。
そして私の好きな食べ物がたくさん並んでいる。
ありとあらゆる御馳走がダイニングテーブルの上にたっくさん。
朝から私のためにこんなことをしてくれるなんて……
あまりの感動でぼんやりしてしまった。
「耳が……!
ヌッちゃん、ありがとう!
とっても嬉しいよ。
本当に本当にありがとう」
「うふふっ!
あたし頑張っちゃった!
大事なリッちゃんの誕生日ですもん。
腕によりをかけまくって早朝からお料理三昧よ!
昼も、夜もごちそう作るから楽しみにしててね。
実はヌッちゃん、お料理上手なのよ〜」
「うん。キャンプで食べたヌッちゃんのカレーもすごく美味しかったもん。
あれを食べた時、ヌッちゃんは絶対お料理上手だと思った」
「嬉しいー!
じゃあお昼はあのカレーもまた作ってあげましょうね。
今こそヌッちゃんが三十年の人生でためこんだレシピ達の出番だわっ!」
「え、ヌッちゃんて三十歳なの!?」
「あら? 言ってなかったっけ。
そうよ、三十歳よん」
「そうだったんだ……!
なんかすっごく可愛いから、フェルマー兄さんより少し上くらいかと勝手に思ってたよ」
「いやん、リッちゃんたら嬉しいこと言ってくれちゃって!
まあ、あたしは永遠の十八歳を自認してるからねん。
永遠に若くて可愛いヌッちゃんのままだから、安心してっ。
そうそう、ジャイム様も何品か作ってくれたのよ。
このヴェネラ貝のステーキとか。
ジャイム様の手料理が食べられるなんて、サイコー!」
「はっはっは。君達のお口に合うかは分からんが、私も精一杯作ったぞ。
リシュリーちゃん、誕生日おめでとう。
君にこれからも数多の祝福がどうか降り注ぐように。
ほら、見てみなさい。
ステラちゃんも、お祝いの意を表しているようだぞ」
ジャイム様がとてもにこやかな顔でやって来た。
こんなに楽しそうなジャイム様は見たことがない。
そんなジャイム様を見られて私も嬉しかった。
手料理を作ってくれたことも、もちろんとっても嬉しかったけれど。
ジャイム様に言われた通りステラの方を見ると、ステラが私をじっと見つめていた。
まん丸のつぶらな瞳はいつ見ても、とても可愛い。
そしてなんとなくステラも機嫌が良さそうな雰囲気だ。
私はステラに笑顔で手をひらひらと振ってみた。
すると、ステラがこちらへ向かって歩いてきてくれた。
「ステラ、こっちへ来てくれてありがとう。
今日もとっても可愛いね」
ステラは私の前までとことこ来ると、後脚で私の胸あたりの高さまで立ち上がった。
そして私の顔を下から覗き込み、ぱちぱち瞬きをした。
なんとなく顔を近づけて欲しいのかなと思ってそうすると、ステラは私の右のほっぺにちゅーっと可愛いキスをしてくれた。
「わあ! ステラありがとう。
ステラもお祝いしてくれてるんだね。
素敵なキスをありがとね」
ステラはまたぱちぱち瞬きをして、ちょっと照れている感じを隠すように自分の場所へとすたすた歩いていった。
でもしばらくすると何気なく戻って来て、私達の近くにいてくれた。
ヌッちゃんとジャイム様が作ってくれたとても豪華な世界一の朝ごはんは、もちろん最高に美味しかった。
ヌッちゃんはいつも通りのハイテンションで、ジャイム様はいつもより饒舌だった。
みんなでとりとめもなく色々なことを話しながら、笑いながら食事をした。
しばらくすると雪が降り始め、外の景色を白く変えていった。
白い雪に覆われつつある湖畔の中、キノル湖の水面からは白い蒸気が立ち上り、渡り鳥達は身を寄せあって互いを温めていた。
その様子はとても寒そうだったけれど、その何倍も幸せそうで温かい感じがした。
朝のごちそうと一回目のケーキを食べ終わった後、私は暖炉の前にステラと座って、そのモコモコの背中の毛を撫でさせてもらっていた。
ステラは私の膝の上に頭を乗せてくれていて、私は背中の毛を撫でているのとは反対の手でステラのほっぺを撫でていた。
ここに匿われた当初はステラとこんなに仲良くなれるなんて、思いもしなかった。
これまでは体を撫でさせてくれていても、どこか心を許されていない感じがしていたけれど、今は信頼してくれている気がする。
自分がなんともややこしい大変な状況にいて、そのせいでジャイム様やヌッちゃんに負担をかけてしまっていることは十分承知しているが、ジャイム様の家での生活はとても居心地が良いものだった。
だけど。
今頃エリオットはどうしているだろう。
エリオットのことは考えない方が良いのに、どうしてもふとした時にエリオットを思い浮かべてしまう。
ヌッちゃんやジャイム様が手料理を作ってくれて、それがとても美味しかったこと。
ステラが心を許してくれてほっぺにキスしてくれたこと。
嬉しいことが起きるといつでも、エリオットにそれを話したくなる。
ちょっと前までは毎日そうしていたのに。
エリオットと私の距離が今、いかに離れてしまったのか実感した。
寂しかった。
去年の私とエリオットの合同誕生日パーティーを思い出した。
去年は私の誕生日にアルコ牧場でアルコ家とフェレール家が全員集合してお祝いしてくれた、とても最高で楽しかったパーティーのことを。




