渇きの夢
ジャイム様の家に滞在するようになってから使わせてもらっている石造りのベッドに横たわって、窓ガラスの先に見えるキノル湖を見つめていた。
これから一晩眠れば、朝には私は十六歳になっている。
そう考えると、ドキドキして上手く寝付けなかった。
十五歳はまだまだ子供な気がするが、十六歳となるともう半分は大人という感じだ。
実際、婚約者がいる人はその結婚準備を始めたり、家業を継ぐ人は一人前に働けるように修行により力を入れたりと、十六歳の一年は成人年齢を迎えるまでの準備期間という意味合いが強い。
フェレール家も十六歳から一年かけて自分だけの力でピアスを作るならわしがあるとのことだったし。
……エリオットはピアスを作れるだろうか。
今のあの状態では、難しいだろう。
今のエリオットは自分で自分を見失っているから。
でも私は、エリオットがエリオットだけのピアスをどうか作れると良いなと思った。
きっとそれは、エリオットが千分の九百九十九の世界のエリオットにならずに済む鍵を握っているような気がしたから。
どうか自分だけのピアスを作っていく過程の中で、エリオットがエリオット自身と、エリオットの大事な答えを見つけられますように。
キノル湖に浮かぶたくさんの星と眠る渡り鳥達を見つめながらそう祈った。
手を伸ばして石造りのベッドの脚の部分を触った。
スベスベしていて気持ちが良い。
このベッドはパッと見非常に簡素に見えるが、とても眠りやすく不思議と温かく感じる。
全てが石から造られているベッドなんて、もっとゴツゴツしていて硬くて、冷たいような気がするのに。
あ。それは、このジャイム様の家についても同じだ。
ジャイム様の家も石で出来ているけれど、寒々しい感じは全くしない。
家の中全体が温かい雰囲気で満たされている。
その温かさは石の壁や、石の屋根など石そのものから発せられているような感じがする。
とても頑丈な物に守られている安心感がそう感じさせるのだろうか。
そういえば今も、何かとても大きなものに守られている感じがする。
一体この気配はどこから来るのだろう。
石からだろうか。それとも、ジャイム様の家を抱くようにそびえ立っている大木からだろうか。
その気配はとても優しく、全てを許してくれているような気がした。
なんだか変な例えだが、それは羊のステラのモコモコのおなかに顔を埋めた時に感じる感覚に少し似ていた。
そんなことを考えていたら、だんだん眠くなってきて、私は十五歳最後の眠りについた。
そして、シエラの夢を見た。
シエラは、あのシエラの部屋と思しき部屋で、大きな窓の側に立っていた。
窓の外に見えるのであろう何かをじっと見つめている。
顔色は悪く、目の下にはクマができ、とてもうつろな表情をしている。
なぜか左手の薬指の根本を右手全体でギュッと握りしめていた。
夢の世界をよく見回すと、シエラの部屋には高級そうな家具や調度品がそれはたくさん置いてあった。
ひと目見るだけで、それらはサンティ=ハイメ神領島ではとても手に入らないようなレベルの高級品だと分かる。
しかし、そんな豪華で美しい物達に取り囲まれていても、この夢でのシエラは、もう全く、幸せそうでは無かった。
シエラの視線の先を見た。
そこには、庭園があった。
シエラの部屋と思しき部屋がある建物と同じ敷地の中にある庭園なので、シエラの家の庭園なのかもしれない。
その庭園には私が今まで一度も見たことが無い植物ばかり植えられていた。
そして、今まで見たことないような不思議な形に木の枝や葉が切られている。
カクカクとしていたり、変にまるっとしていたり。
そういう風に切られた木の様子からは、人間の勝手な意思を感じた。
あるがままよりも、人工的に整えてあげた方が美しいという押し付けがましい意思を。
木に魂などあるわけがなく、ただ人間のためだけに存在する被造物なのだという、とても強い意思も感じた。
それは狂信と言っても良いほどの強い意識の痕跡だった。
同じように人の手が入っているはずのプロメナリウム海浜公園の南国風庭園にはそんなこと感じなかったのに、この庭園からはとてつもなく嫌な印象しか受けなかった。
そして、その庭園の中にはカインがいた。
カインだけではなく、他にも数人の人がいた。
カインのすぐ側をとても可憐な女の子が歩いている。
潤んだピンクベージュの長い髪をしている。
瞳は新芽のような黄緑色だ。
清純そうで、純粋そうな、とても可愛い子だ。
どことなくシルビアちゃんに似ている。
カインとあの女の子が二人並んでいる姿は、これ以上を探すことは難しいと感じるくらいに絵になっていた。
シエラには可哀想だが、あの二人も神様が造った対の人形なのだと感じた。
エリオットとシルビアちゃんと同じように。
二人は腕を組んでいた。
女の子が体をカインに寄せ、二人はとても楽しそうに話していた。
二人の後ろからは、何人かの男性が二人に付き従うようにして歩いていた。
その人達は皆、カインと同じ左胸に紋章の入った服を着ていた。
女の子が急に立ち止まり、カインを見つめた。
その黄緑色の瞳は恋に溺れていた。
生命の芽吹きそのものの色のような甘美な色が、日の光で発色していた。
二人は互いにうっとりと見つめあっていた。
そして女の子はカインの美しい顔に、自らの顔を近づけた。
カインはそれに応え、女の子を引き寄せると深く口づけた。
後ろに付き従っている人達の目があるというのに、二人は互いにかたく抱き合って長いこと、甘く、命に溢れた官能的な口づけを何度も深く交わし合っていた。
それを見て私は、この二人の間に新たな命が芽吹くのは時間の問題だという気がした。
シエラはそんな二人の様子を見ると、すぐ窓から離れ、部屋の隅へ身を隠すようにうずくまった。
そして自らの喉を抑えて屈み込んだ。
上手く呼吸することが出来ないようだった。
その目からは涙がたくさん出ている。
とても可哀想だ。
出来ることなら、その体をまるごと抱き締めてあげたいと思った。
すると、苦しみもがくシエラの心の声が聞こえてきた。
苦しい。
体も心も、渇いて渇いてどうしようもない。
あまりの渇きで死んでしまいそう。
カインがもう、心も体もティハナ様のものだっていうことは分かっているのに、そのことをちょっと考えるだけで死んでしまいたくなるくらいに分かっているのに、この渇きのせいでカインを諦めることが出来ない。
カインがまた私を愛してくれれば、この渇きから解放されることが出来るなんて浅はかなことを思ってしまうから、またカインに縋り付いてしまう。
カインに約束を守って欲しいと取り縋ってしまう。
そんなこと、起こりっこないのに。
カインとした約束が叶うことなんてもう決して無いのに。
なんてみじめなんだろう。
なんて愚かなんだろう。
本当はもう、カインが私の元に帰って来ないことなんて分かりきってる。
カインがもう私のことを愛していないことを私は十分知っているのに。
どうしたらこの地獄から抜け出すことが出来るの?
どうしたらこの、渇きの地獄から去っていくことが出来る?
誰か教えて。誰か、助けて。
シエラはそう心の中で呟くと、涙を流しながら顔を上げた。
そして何かに気が付き、天井をじっと見た。
変わった所は特段無いはずのその場所に、シエラは何かを見ることが出来ているようだった。
そしてそこに確かにいるのであろう何かを見て、シエラはとても驚いていた。
その、虹色の瞳を見開きながら。
見る角度によって何の色も見出すことが出来る、そのとても珍しい瞳の中には、私がこれまで見たことがない種類の希望の色が浮かび上がっていた。




