腐りゆく瞳
エリオットはそれから何時間もずっと、ジャイム様に懇願し続けた。
私の居場所をなんとかして知りたいと。
その手がかりを掴む方法をどうしても教えて欲しいと。
しかしジャイム様は上手くそれをかわし続け、エリオットはとうとうエリオットのお兄さん達や涙を流しながらエリオットの腕を掴むシルビアちゃんに半ば強引に家へと連れ帰られた。
「リシュリーを見つけないと……
必ず見つけ出さないと。
そして今度こそ」
淀み、濁り始めた瞳で、低くこもった声でそう呟きながら。
エリオットがいなくなると、これまで張り詰めていた緊張の糸がぶつりと切れた。
体から変な風に力が抜け、ソファに座ったまま体を前にかがめ込みうずくまった。
深呼吸をしようとするが、空気が上手く体に入っていかない。
何度息を吸っても頭が痺れ、はっきりしてこない。
知らないうちに頭を含む体中が強張っていた。
でも、とりあえず今は、見つからずに済んだ。
今は大丈夫、今は安全だ。
今はエリオットはここには居ない。
しかし、見つかってしまうことがとても怖い。
エリオットのあの言葉を聞いてから、エリオットに見つかることがとても怖くて仕方が無い。
エリオットのあんな様子を見て心の底からエリオットを可哀想に思うのは本当なのに、その一方でエリオットが怖くて怖くて仕方ない。
夢で、千分の九百九十九の世界のエリオットを見てしまったからだろうか。
あの腐った瞳のエリオットを、この世界のエリオットの中に見てしまったのだろうか。
この世界のエリオットはまだ、あそこまで狂ってはいないのに。
……いや、違う。
私は、一度失敗している。
あと少しというところで見つかってしまった。
あとほんの少しというところで、捕まってしまったのだ。
今回はどうしても、失敗したくない。
見つかりたくない。
強くそう感じた。
だけど、それがどういうことなのか分からない。
自分の中に浮かんでくることなのに、完全に理解することが出来ない。
どうして、どうして、どうして。
「ちょっと、リッちゃん! 大丈夫!?
まぁ無理もないわよね。
あたしも怖かったもん。
なに、今の。ホラー過ぎでしょ!
エリオット氏、大丈夫なのかしら。
壊れかけてる感じがしたわ……」
「リシュリーちゃん、辛かっただろう。
エリオットのあんな様子を、声だけとはいえ聞いているのは。
エリオットは今、相当危うい。
リシュリーちゃんを欲する心に飲み込まれている」
ジャイム様が玄関から私とヌッちゃんがいる部屋へと来てくれた。
私は自分の膝に埋めていた顔を上げ、ジャイム様の方を見た。
ジャイム様は厳しくも慈愛に満ちた目をしていた。
その慈愛は、私だけではなく今ここにはいないエリオットにも注がれていた。
「ジャイム様、エリオットは千分の九百九十九の世界のエリオットになりつつあるの?
私が巡礼の旅に出ようとしてるから、エリオットはああなってしまったの?
巡礼の旅に出ることが千分の一の世界へ行くために必要なことだと思ったけど、それは本当は違くて、私が巡礼の旅に出ようとしてることでエリオットがあんな風になるのなら、私どうしたらいいのか分からない。
エリオットは、もう元のエリオットには戻らないの?」
「それは、エリオット次第だ。
もし、エリオットが今すぐリシュリーちゃんを見つけ出すことが出来ても、エリオットの瞳は腐っていくだろう。
もし、リシュリーちゃんが巡礼の旅に出ることが出来ても、エリオットの瞳は腐っていくだろう。
エリオットの瞳は、エリオット自身が何らかの答えを見つけ出さない限り腐りゆく」
「そんな。
私、さっきのエリオットの言葉を聞いてとても怖かった。
エリオットが怖かった。
絶対に今、エリオットに見つかってはいけないと思った。
だけど、そのせいでエリオットがあんな風になって、千分の九百九十九の世界のエリオットのような腐った瞳になっていくのは辛すぎる。
エリオットには幸せでいて欲しいのに、あんなのちっとも幸せなんかじゃない」
「リシュリーちゃん。
真の意味でエリオットを幸せにしたいなら、今は自分の道を歩くことだ。
エリオットがどのような運命を歩むのかはエリオット自身にしか決められない。
それを侵すことは誰にも出来ない。
いくらリシュリーちゃんであっても。
どんなにリシュリーちゃんがエリオットに自分と離れた場所で他の人と幸せになって欲しいと願っても、エリオットがそれを望まなければ何も起こらない。
どんなに不幸になってもリシュリーちゃんの側にいる道を選ぶだろう。
しかし君達にはとても強い繋がりがある。
リシュリーちゃんが巡礼の旅の中で自分の答えを見つけようとすれば、その心の動きはきっとエリオットにも伝わるだろう。
リシュリーちゃんが自分の運命に真摯に向き合う覚悟をこの世界に見せれば、エリオットも自分の運命に向き合わざるを得なくなる。
君達の絆はそういう類のものなのだ。
だから、今は自分の道をゆきなさい」
ジャイム様の言葉はいつものように難しかったが、先程ぐらぐらと揺らいでいた巡礼の旅への決意と勇気を取り戻させてくれた。
そうだ。今エリオットの元に姿を現しても、こんな風に突然エリオットの前から姿を消してしまったという事実は消えない。
エリオットの中にはずっと恐怖が残り続けるだろう。
そして、その恐怖はエリオットを蝕んでいく。
エリオットの瞳は腐っていき、エリオットは千分の九百九十九の世界のエリオットになってしまう。
そんな気がする。
金色の羊の毛のお守りを手に入れることが出来たとして。
そして巡礼の旅に出ることが出来たとして。
その巡礼の旅が終わった時に、自分がどんな風になっているかは今は全く想像出来ない。
私はこの世界に本当に生まれることが出来るのか、そしてそれによって血楔病を治すことが出来るのか。
それに今のところ、私の巡礼の旅はエリオットとの別れの旅になるだろうという予感が強くする。
だとすれば普通に考えて巡礼の旅の成功は、そのままエリオットを苦しめることになる。
だけど、千分の一の世界へと続く道は巡礼の旅に出ることでしか歩めない。
私があの海の気配がする部屋に閉じ込められ、無理矢理子供を作らされる世界ではない世界へと行く鍵はきっとそれしかないのだ。
そして、エリオットに見つかりたくないというこの気持ちを今、消すことはどうしても出来ない。
エリオットが怖いという気持ちを消すことが出来ない。
こんな気持ちを持ってしまった以上、もはや今までのような仲の良い幼馴染みとして振る舞うことはきっともう出来ない。
おそらく、私とエリオットの道はついに決定的に分かたれてしまったのだ。
だけど、エリオットに幸せでいて欲しいというこの気持ちは正真正銘本物だ。
どこにいても、誰といても、エリオットには幸せでいて欲しい。
あんな腐った瞳ではなく、エリオットの優しい心を象徴するような、本来の、豊穣の海のような紺碧の、輝く瞳で笑っていてほしい。
だったら、ジャイム様の言う通り私は私の道を進むしかない。
それが今、私がエリオットの為に出来る唯一のことなら。




