大木に抱かれた石の家
扉を猛烈に叩く音は、馬車がキノル湖畔に入るまでずっと止むことはなかった。
しかし、窓も無く外の様子を全く窺うことができないこの馬車の中で、キノル湖の匂いがする風の気配をどこからか感じた時、その音はピタリと止んだ。
しばらくすると馬車は止まり、ジャイム様は再びあの、長さの違う二本の棒が組み合わされたネックレスを取り出し外へと掲げた。
「さあ、リシュリーちゃん。
なんとか無事にここまで来た。
しかし、馬車を出てから私の家に入るまではまた息を止めているんだよ。
私が先にゆくから、ついて来るんだ」
馬車の扉は開き、私はジャイム様の後を息を止めながらついていった。
息を止めながら久しぶりに間近で見たジャイム様の家のは、前と変わりなくこじんまりとしていて相変わらず素敵だったが、ジャイム様の家を取り込むようにそびえ立っている巨木は前見た時よりも大きくなっているような気がした。
その巨木はジャイム様の家を大切に守るようにして立っており、私はいつもその様子を見るとなぜかこの家がジャイム様のお墓のような、そんなとんでもないイメージを持ってしまうのだった。
これは絶対ジャイム様には言えない。
馬車から出るとドルミル記念病院の裏口から出た時ほどではないが、あれの気配を感じた。
私はエリオットのことを考えないようにして、ただ前だけを見て息を止め、ジャイム様の家の玄関に向かい歩いた。
久しぶりに訪れたジャイム様の家の中には、再誕日のヴェネラ貝の飾り付けが至る所にしてあった。
それはヴェネラの街に飾られているヴェネラ貝の貝殻よりも大ぶりの貝殻が使われており、そこに描かれている幾何学模様はかなり細かくその模様が描かれていた。
何かの力がその模様から発せられているような気がするほど、入念に、明確に描かれていた。
去年エリオットと遊びに来た時も飾り付けはしてあったが、ここまで沢山ではなかった気がする。
今年の再誕日は何か特別なことでもあるのだろうか?
もしや、ジャイム様に恋人が……?
いや、これまでも居たのかもしれないけど、ジャイム様のそういったプライベートなことは全然知らなかった。
でも、もしジャイム様が再誕日に恋人と過ごしたかったとしたら、私が再誕日にここに居て良いのだろうか?
再誕日までに金色の羊の毛のお守りを見つけられると良いが、その可能性は低い気がする。
まあ、ジャイム様の恋人については憶測の域を出ない考えだし、今は自分のことに集中しなければ。
でなければ、アビエラお婆さんやドルミル記念病院で私の世話をしてくれた人達や、ここまで力を貸してくれているジャイム様など私がここまで来る手助けをしてくれた人達の努力を軽んじることになる。
今は、なんとしても金色の羊の毛のお守りを見つけること。
そして、エリオットのことを考えないこと。
この二つに集中だ。
「リッちゃん!
無事にここまで来れたのね〜
良かった。本当に良かった」
この声は。この大好きな声は。
私は声がしてきた方を見た。
「ヌッちゃん!
どうしてここにいるの?」
「ジャイム様から連絡があったの。
目が覚めたリッちゃんがしばらくの間ジャイム様の家に滞在するから、その間話し相手になってくれって。
もう、思う存分お世話しまくっちゃうんだからね!
……リッちゃん、本当に目が覚めて良かった。
どれだけ心配したか」
ヌッちゃんはそう言うと、優しく抱きしめてくれた。
ヌッちゃんからはムスクの甘い香りがした。
そして意外にも胸板が少し厚かった。
「心配かけてごめんね。
ということは、きっとヌッちゃんも知ってるんだよね。
私にこれまで起きたこと」
「ええ。大方の事は聞いたわ。
あたしもね、実は薄々気が付いていたの。
エリオット氏のリッちゃんに対する異常なまでに強い想いが、リッちゃんに何らかの悪い影響を及ぼしていることに。
次リッちゃんが大図書館に来た時にそれについて話し合おうって思ってたんだけど、そしたらリッちゃんが目覚めなくなっちゃって。
もう! 生きた心地しなかったんだから!」
そう言うとヌッちゃんはあの日より少し伸びた私の髪を撫でてくれた。
「ごめんね、ヌッちゃん。
……あのね、私、エリオットと離れなきゃいけない。
私の巡礼の旅はエリオットとの別れの旅だって、そんな気がするの。
エリオットが私の力を奪って、私が自分の力で立てないようにしていたのと同じように、私もエリオットになんらかの悪い影響を及ぼしてたんだと思うの。
エリオットをおかしくさせているのは私なんだと思う。
私達はお互いがお互いの毒になってしまうんだと思う。
きっとこの関係性は永遠に変わらない。
ここに来るまでの馬車の中でなんとなくそう感じたの。
だから、私は今なんとしても巡礼の旅に出たいの。
そして私とエリオットとの繋がりを断ち切って、エリオットを本当のエリオットに戻してあげなきゃいけないって思うんだ」
「リッちゃん……
分かった。あたしはリッちゃんの親友ですもん!
完璧百パー、リッちゃんの味方。
巡礼の旅に出られるよう、なんとか頑張りましょうね」
ヌッちゃんは私と目を合わせ、ニコッと可愛い笑顔で笑った。
ジャイム様がいつの間にか近くにやって来て、微笑ましげに私達を見ていた。
「ジャイム様、ヌッちゃんを呼んでくれてありがとう。
とても大好きな親友なの。しばらくヌッちゃんと過ごせることがとても嬉しい。
掃除とか洗濯とか、出来ることはさせてね」
「いいんじゃよ。リシュリーちゃん。
それよりヌトとあちらの奥の部屋に行っていなさい。
玄関から決して見えない所にいるのだ。
おそらくこれから少しの間騒がしくなるだろうが、心を強く持っていなさい。
私は扉を開くが、あれはこの家の中には入って来られないから安心するんだよ」
「? 分かった。行こう、ヌッちゃん」
私はヌッちゃんと玄関から見えない奥の部屋へ行き、二人して置かれていたソファーに並んで座った。
するとすぐ、玄関が強く叩かれた。
ジャイム様はゆっくりと玄関へと近づいていったようだった。
「ジャイム様!!
いらっしゃいますか!?
お願いします、もしいらっしゃったらどうしてもお聞きしたいことがあるんです!」
エリオットだ。
かすれてしまっているが、この声はエリオット以外の誰のものでもない。
こんなにもすぐに、エリオットの声を聞くことになるとは思わなかった。
どうしよう。気を強く持たなければならないのに、動揺する心を元に戻すことが出来ない。
やはりエリオットの声を聞くと、巡礼の旅になんか出なくてもいいのではないかという気になってくる。
こんなに声をかすれさせてしまったエリオットのことが心配で仕方なくなってくる。
じっと自分の手を見つめ心を落ち着けようとしていると、ヌッちゃんが手を握ってくれた。
顔を見ると、目を寄り目にさせて変な顔をしていた。
とてつもなく変な顔だが、動揺しこわばった心がほどけていくのを感じた。
玄関扉のギーッという音が聞こえ、ジャイム様が扉を開けたのが分かった。
「エリオット。一体どうしたのだ」
「ジャイム様!リシュリーを知りませんか!?
どこにもいないんです!!
ずっと探しているのに!
リシュリーがいないんです!!
リシュリーがいないんです!!
お願いします!!リシュリーの居場所を知っているなら教えて下さい!
お願いします!!」
その声からはエリオットの激しい焦燥が伝わってきた。




