ドルミル記念病院
私の運命の分岐点が今この時だと言われれば、私自身も確かにそう強く感じる。
あの夢は、そのことを私に伝えるための夢なのだと。
あれはどこか別の世界に生きる、あの部屋に閉じ込められエリオットから逃れられない結末を迎えた私からの警告だという気がした。
しかし、もしジャイム様の言う通りであるならば、私があの恐ろしい運命から逃れられる確率はたったの千分の一だ。
きっと、その運命を手に入れるのはとても難しいことだと感じる。
「ジャイム様。今が運命の分岐点だったとして、一体どうしたら千分の一の世界へ行けるの?
私、そのためには金色の羊の毛のお守りが必要な気がする。
けれど、そもそも金色の羊なんて実在するのかな?」
「リシュリーちゃん、今体の調子はどうだい?
立って歩けそうかな?」
「はい。体の調子はとても良いです。
もうこの前までの体の様子を思い出せないくらいに、体に力が満ちてる感じがするの。
杖ももう要らない気がする」
ずっと前、同じようなやり取りをジャイム様としたことがあった。
しかし、その時より今の方が体の調子は格段に良い。
「それでは、これから私の家に行こう。
そしてそこで体を休め、羽ばたくための準備をしながら金色の羊を待とう。
大丈夫。必ず金色の羊は君のもとに現れる」
「本当に!?
良かった。私、金色の羊は決して見つからないと思ってた。
でもジャイム様がそう言うのなら、信じる。
金色の羊が現れてくれるって」
「ああ、必ず。
さあ、準備が出来たら馬車を呼ぼう」
私は、すぐに支度を整えはじめた。
私がずっと眠っていたのはレナトゥス大神殿のすぐ近くにあるドルミル記念病院という病院だった。
ヴェネラの街にも病院はいくつかあるが、ドルミル記念病院は神殿附属の病院であるため、難しい病気や新しく発見された病気の研究や神官医員の育成等も行っているということだ。
ドルミル記念病院には腕利きの神官医員が大勢居るため、神領外からも救いを求めて重い病を患う人々がやって来るという。
私が入院していたのは神殿関係者以外立ち入りが許されない地下フロアだったらしい。
確かに周囲を見まわすと、なんとなく静かで人のガヤガヤした感じは無い。
病院といえども大勢の人がやって来るのなら、もっと人の発する活気のようなものが感じられるはずだがここにはそういったものは無く、静謐で厳かな祈りの場のような雰囲気で満たされていた。
私は父さんと母さんが届けてくれたと思しきパジャマや細々とした生活用品をまとめ、ここに運ばれて来た時に着ていた服に着替えた。
エリオットが悪夢から目覚めなくなり、シルビアちゃんに髪を切ってもらったあの日に着ていた服だ。
そして、チョコレート色のロングダッフルコートを羽織った。
これも同じくあの日に着ていたものだ。
「ジャイム様、準備出来ました」
「さあ、行こう。
ただリシュリーちゃん。ここから先、このドルミル記念病院を出てから私の家に着くまでに、もしかするとリシュリーちゃんは何か感じるかもしれない」
ジャイム様が少し厳しい目をして私に語りかけた。
「アビエラさんが私にも伝えておいてくれたのだ。
リシュリーちゃんが感じた、目には見えないがリシュリーちゃんに絡まりつき力を奪っていた何かのことを。
それはきっと、ここから出た途端またリシュリーちゃんを見つけ出し、絡まりつこうとしてくるだろう。
私なりにその対策は考えてはいる。私の家まで使う馬車にも護りの結界を張ってある。
しかし、一番重要なのはリシュリーちゃんの意思だ。
もしそれがリシュリーちゃんの内側に入って来ようとしても、決して扉を開けてはいけないよ。
ほんの少しでも扉を開けば、すぐさまそれはリシュリーちゃんの領分に侵入してシリュリーちゃんに絡まりつき、エネルギーを奪い始めるだろう。
そして、今必要とせずに済んでいるエリオットの血を必要としなければならなくなる。
つまり、巡礼の旅に出られなくなってしまう。
リシュリーちゃん。分かったね」
「はい」
私は決して心の扉を開けまいと誓った。
しかしそれは実際には、思った数百倍難しいことだった。
私は荷物を持ち、ジャイム様と一緒に地上へと続くエレベーターに乗り込んだ。
地上フロアに着くと、そこには大勢の人が居た。
ジャイム様の説明から不治の病を抱えた私のような悲壮な人達が押し寄せているのかと思っていたがそうではなかった。
そこに居た人達は、体が変形したり爛れていたりしている人も居たが、皆希望に満ちているようだった。
どこに行っても見放されていた自分の病状が、やっと受け入れられてホッとしているとてつもない安心ももうかがえた。
なんだか人ごとだと思えず、良かった、と心から思ってしまった。
ジャイム様についていき、ドルミル記念病院の裏口の手前まで来た。
私達はまだギリギリ建物の中に居るが、裏口の向こう側で馬車が待っているのを確認出来た。
「さあリシュリーちゃん。
これから目の前の裏口を出て、あの馬車に乗る。
だが馬車に乗るまでの間、決して息をしてはいけないよ。
あれに見つかってしまうからね」
サーッと血の気が引いていった。
ここに来て、あの目には見えない絡みついてきた何かに再び絡みつかれることに対して物凄い恐怖心が生まれてきていた。
あれに絡みつかれるか、絡みつかれずに済むかで、あの最悪な夢の世界へと行くかどうかが決まるという気がする。
ここからジャイム様の家に着くまで、一時も気を緩めてはいけない。
「分かりました。馬車に乗るまで絶対息しません」
「よし。じゃあ一、二、三で行きなさい。
三で私が背中を押すから。
走って五秒もかからないだろうが、決して息をしては駄目だよ。
では、一、二、三!」
三の掛け声と共にジャイム様に背中を押された私は、大きく吸い込んだ息を体内に留め、口を上から手で押さえて馬車へ向かって走った。
だが、裏口からドルミル記念病院の建物の外へと出た瞬間、あれの気配を強く感じた。
あの、私に絡まりついていた目には見えない何かの気配を。
あれは、すぐ側を走って通り過ぎる私の存在を認識していないようだったが、あらゆる場所へその触手を伸ばし這いまわらせて、私を見つけ出そうとしているのを感じた。
目には見えないが、確かにそう感じた。
ネチャ、ネチャ、という触手が這い回る音まで聞こえてきそうだった。
とても恐ろしかったが、口を手でギュッと押さえ、なんとか無事に馬車に乗り込むことが出来た。
すぐにジャイム様も乗り込んできて、すぐにドアを閉めた。
そして首から下げられ、その半分は服の中に入っていたネックレスを首元から取り出しドアの方へ掲げた。
それは初めて見る不思議な形をしたネックレスだった。
短い横棒と、長い縦棒が組み合わされている。
そんな形は、これまでアルコの丘はもちろんヴェネラの街のどこでも見たことは無かった。




