1000分の999の夢
その夢の中の世界には、波のさざめく音が満ちていた。
それ以外の音はしない。
私とエリオットの話す声以外は。
潮の匂いも香ってくるような気がする。
そこは部屋の中ではあったが、海の気配が強くした。
夢の中のエリオットは、今より少し大人びていた。
エリオットの耳には穴が開き、そこにはピアスがつけられている。
それがどんな色や形をしているかまでは見えなかったが。
きっとそのピアスは、前にエリオットとベレトお兄さんが話していた、成人を迎えた証にフェレール家の者が身につけるピアスだと思った。
それを良く見ることは出来ないが、エリオットが並々ならぬ思いを込めてそのピアスを作ったことが私にはなんとなく分かる。
だとすると、この夢の中のエリオットは十七歳以上であるようだ。
今から数年ほど成長したエリオットのその顔は、今よりも更に美しく端正なものとなっていた。
金色の髪は今より長く伸び、後ろで一本に結われていた。
中性的な雰囲気を保ちつつも凛々しさと色気が増している。
しかし、その瞳は暗く濁っていた。
いや、濁っているというより腐っていた。
そして、その口の端には上から斜めに切りつけられたような古傷があった。
それはあまり目立たず、さして大きくもない傷ではあるが、とても深く切られたことをうかがわせる傷だった。
「リシュリー、楽しみだね」
エリオットはとても嬉しそうに私にそう言うと、ベッドに縛られ横たわる私の髪を撫でた。
夢の中の私の髪は元の長さまで、いや、元の長さ以上に伸びていた。
着ているものは部屋着のような、パジャマのような簡素なものであったが、髪はそれに似合わず複雑に編み込まれている気がする。
私は、夢の中の私が今どのような状況なのか、見ようとした。
どうやら夢の中の私が持つ視界の範囲で、この世界を見ることが出来るようだ。
それは逆に、夢の中の私の視点でしかこの夢の世界を観察出来ないということで、それが一層この夢のリアルさを強めていた。
両手首はベッドに縛りつけられている。
それは、真綿のような優しい素材の縛り紐ではあるが、決してほどけないような頑丈な結び方で私を縛りつけていた。
足の方を見た。
足は縛りつけられてはいなかった。
しかしなんとなく、足を動かすことは出来ない気がした。
何か薬のようなものを使われているのか、それとも腱を切られているのか、動かそうとしても動かない。
そんな気がする。
体も全体的にだるく感じる。
だんだんと、夢の中の私の感覚や記憶が分かるようになってきた。
ベッドに縛りつけられているから物理的に動けやしないのだが、夢の中の私には動こうという気がもはやこれっぽっちも起きないようだった。
もしかしたらこれまでに、何回も動こうとしたのかもしれない。
縛りつけられているベッドからなんとかして逃げ出そうとしたのかもしれない。
でも、何回やってもダメだった。
何回やっても、捕まってしまった。
見ると部屋中の窓には、牢屋のような格子がはめられていた。
それはとても細かい目の格子で、決して外れないように頑丈に取り付けられていた。
その格子の外から、波のさざめく音は聞こえてきていた。
その波の音を聞いて、この部屋の外に広がっているであろう海はイハの海とは違う海のような気がした。
エリオットは私の髪を随分長い間撫でていた。
その腐ってしまった瞳で、私の顔をじっと見つめている。
しかし夢の中の私は、決してエリオットと目を合わせまいとしている。
夢の中の私は、エリオットに対して怒りのような、悲しみのような、それでいてエリオットをとても可哀想に思って嫌いになりきれないような、そんな複雑な感情を持っているようだった。
「リシュリー、あとどれくらいかな。
きっと今回こそは出来てるはずだよ。
これで僕達、やっと……
……やっと、やっと」
エリオットはそう言うと、私のおなかを服の上からうっとりと撫でた。
丁寧に、とても大切なものを触る手つきで、何度も何度も撫でていた。
そして、ベッドの横にひざまずき私のおなかに耳を当て、その左手を縛られている私の右手と絡めて繋いだ。
夢の中の私の、心の声が聞こえてきた。
こんなことしても、無駄なのに。
何回そんなことしても、ダメなのに。
子供は、どうしたって出来ることはない。
何をしたって、どうしたって、私達が夫婦になれることなんて永遠に無い。
だってあの時私は……
そんな夢の中の私の声を察したかのように、エリオットの様子がおかしくなった。
「リシュリー、どうしてそんな顔するの?
僕達あんなに……」
エリオットの呼吸が乱れ始めた。
手を頭にあてて髪を掻きむしり、不安そうに頑丈そうなドアの方をと見た。
そしてドアに近づくと、何個も取り付けられているチェーンに不具合が無いか一つ一つ確認し始めた。
「もしあいつに見つかっても、見せつけてやる。
僕とリシュリーは正真正銘の夫婦なんだって。
お前の付け入る隙なんかどこにもないって。
安心して、リシュリー。
僕がリシュリーを守るから。
だって僕達は夫婦なんだ。
夫婦だから、絶対に離れることは無い。
夫婦だから、ひと時も離れない。
永遠にずっと一緒なんだ。
何回死んでも、ずっと」
エリオットは、正気を失った様子でそうまくし立てると、ベッドの方に戻ってきた。
そして、私の上にのしかかってきた。
「今度こそ……」
すると、夢の中の私の右手がエリオットに向かって伸びた。
そして、エリオットの口の傷に触れた。
「ダメだよ、エリオット。
早くアルコの丘に戻って。
みんなエリオットを待ってるよ。
エリオットの家族も。
シルビアちゃんも、シルビアちゃんのおなかにいる子も」
夢の中の私が発した言葉を聞いた途端、エリオットの顔がひどく歪んだ。
そして、大声で叫び始めた。
「うわあああああああ!!!
嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!!
そんなこと起きていない! 絶対起きていない!
僕とリシュリーが夫婦なんだ!
僕達は結婚したんだ!
婚約して、結婚したんだ!!
やっと、やっと夫婦になれたんだ!
夫婦は、僕達の方なんだ!!
誰にも邪魔させない!
僕達の生活を、決してもう誰にも壊させない!!」
エリオットは夢の中の私を強く抱きしめた。
ひどく震えている。
ぽたぽたと涙が落ちてきた。
悲しみで狂ってしまったエリオットの顔が、すぐ間近にあった。
「エリオット、でも、私、約束が出来ないんだよ。
だから、婚約も結婚も出来ないんだよ。
だからね」
夢の中の私は、とても冷静に、感情の無い声でエリオットに語りかけた。
「うわああああああああああああああああああああ」
エリオットは錯乱し、ベッドから転がり落ち頭を抱え込んで苦しみはじめた。
呼吸は激しい過呼吸になり、顔が苦痛に歪んでいる。
そして、自分の喉を掻きむしり頭を床にぶつけ始めた。
「エリオット、やめて。
お願い。自分を傷つけないで」
「リシュリー……」
エリオットは夢の中の私を見つめると、苦しみながらもベッドの方へ這いつくばりながら近付いてきた。
それを見た夢の中の私は、何かを観念するかのように固く目を瞑り、体から力を抜いて何も感じないようにした。
しばらくすると、体の上にのしかかる人間の重さを感じた。




