アビエラお婆さんのキッチン
カウンターの奥に進むと、広いキッチンがあった。
とても綺麗で清潔なキッチンだった。
渋くて深い色のオレンジと緑色のモザイクタイルの壁には汚れ一つなくピカピカで、毎日磨かれていることが分かる。
コンロ台の上には大きな鍋がいくつか置かれ、その中のどれかで今まさに何かが煮込まれているのか、薬のような、ジャムのような、なんとも言えない甘い匂いが漂ってきていた。
そして、コンロから少し離れた場所には、大きな窯があった。
それは壁と同化しており、なんでも焼けそうなほど大きな窯口がこちらに開かれていた。
これが店の名の由来になった大窯なのだろうか。
「そうだ。アビエラお婆さん、さっきの地震大丈夫だった? とても大きかったけど」
「大丈夫じゃよ。この家はかなーり丈夫に造られてるからな。ちょっとやそっとじゃあ、びくともせんのだ」
「それなら良かった。
それでね、言われた通り髪を切ってきたの。
でも、もう薬を作ってもらう必要は無くなって。
エリオットは無事悪夢から目覚めたから。
だけどね、髪を切ってもらった時に不思議なことが起きたの。
あのね、なんだかとても体が軽くなったの。
力が湧いてくるというか、何か悪いものが体から離れていった気がしたというか。
それで、その上さっきあることが起きて、それが最後の一撃というかそんな感じで、今自分が完璧な状態になってるって感じるの。
生まれてきてから今一番調子が良いの。
だからね、この状態をなんとか維持したいって、保ちたいって思って、アビエラお婆さんのところに急いで来たの。
ごめんなさい、私今とても興奮してて、上手く話せてないかもしれない」
「いいんじゃよ、いいんじゃよ。
このアビエラ婆さんにはリシュリーの言いたいことはぜーんぶ伝わったからね。
安心しろ、今のリシュリーのその状態を保つことはとりあえずは出来る。
永久の持続力は無いが、とりあえず一時的にでも持続させることは出来るぞーい」
「そうなんだ。一時的でもありがたいよ。
そこからまた方法を探せばいいんだもんね。
ありがとう、アビエラお婆さん」
「今から大至急、作ってあげるぞい。
そこの椅子に座って待ってなさい」
「うん。ありがとう、待ってるね」
「机の上に置いてあるお菓子も食べてていいからね」
「うん」
私はアビエラお婆さんが指を指した先のロッキングチェアに座り、机の上に置いてあったお菓子入れの中からリコリス菓子を取り出しモケモケ食べた。
真っ黒なリコリス菓子の不思議な食感と、独特な風味が気持ちを落ち着けてくれた。
アビエラお婆さんのキッチンは整然としており、先程あれだけ大きな地震があったにも関わらず何一つ物が散乱していなかった。
「そうだ、リシュリー。
今日はここに泊まっておいき。
お前さんの両親には、カラスのカラメルちゃんに手紙を届けさせ、ちゃんと伝えておく。
ものの十数分で届くから、安心をし」
「え、でも。
牧場もさっきの地震で大変なことになってるかもしれないし、様子を見に行かないと」
「リシュリー。
今お前さんは、その調子の良い状態を保ちたいのだよね。
そのためには少なくともこれから一日は、前の悪い状態を体が思い出してしまうような場所や人とは会わない方が良いんだ。
肉体ってのは記憶に簡単に引っ張られるもんさ。
そして、お前さんが薄々感じてる、体に絡みついてお前の力を奪っていたものは、ここから出た途端お前を見つけ出し、また絡みついてくるだろう。
ワシの薬では、それを退けることは出来ないんだ。
だから今から少なくとも一日は、ここにいるんだ。
この店の中にはあれが入ってくることは出来ないからね。
そして、ワシの薬の効果があるうちに、それを退けられるものへの繋がりをつくろう」
「うん……アビエラお婆さんがそう言うなら」
脳裏にエリオットの、あの怒りと憎悪に満ち歪んだ苦しそうな顔と、私を呼ぶ悲痛な声が蘇ってきた。
これから一日ここに居るということは、エリオットにも一日会えないということだ。
エリオットのことが心配だった。
本当ならずっと側についていてあげたい。
そして、まだ調子の悪そうなエリオットにつきっきりで看病していてあげたかった。
あの様子では、まだ完全に正気に戻っていないのだろう。
シルビアちゃんに凄まじい怒りをぶつけ、殺すなんていう、いつものエリオットからはとても想像出来ない言葉まで言っていた。
それでも、シルビアちゃんにキスされていた時は抵抗していなかった。
それが何を意味するかは分からなかったが、私はあの様子を見て、きっとエリオットがシルビアちゃんを本当に殺すことは出来ないのだと感じた。
だから、ここに来ることが出来た。
あの場にはベレトお兄さんも居たし、きっとオルノお兄さんやカルデロお兄さんも病み上がりにも関わらず外に飛び出したエリオットを追ってくるはずだ。
きっとエリオットのお兄さん達がエリオットを家へと戻してくれるはず。
エリオットは無事家に戻るだろう。
明日か明後日会えたら、ちゃんと謝りずっと看病してあげようと思う。
エリオットの好きな食べ物や飲み物を沢山作って。
何か、微かに外から音が聞こえた気がした。
何かが力任せに叩かれたような感じの音だが、もし店の扉が叩かれているのだとしたら、こんなに小さな音で済むはずはない。
気のせいだと思い、リコリス菓子のおかわりを貰って、またモケモケ食べた。
「でーきたぞい。
さあ、これをお飲み」
アビエラお婆さんは木製のお碗をこちらに持って来てくれた。
お椀の中では、土色のドロドロした液体がポコポコと泡を浮上させており、なんとも飲むのを憚られる見た目であった。
しかし、せっかくアビエラお婆さんが作ってくれた薬だし、この状態を持続させられるというのなら飲むしかない。
そう覚悟を決め、薬を一気に飲み干した。
ポコポコ泡立っているのにそれはそんなに熱くなく、ものすごくまずいわけでもなかった。
まあ、少しはまずかったが。
これといったすごい変化は感じられなかったが、体がしっかり安定した気がした。
もしこの薬を飲み続け、あの目に見えない何かに絡みつかれることもなければ、エリオットの血を飲まなくても平気になるかもしれない、となんとなく思った。
「カラメルちゃん、こっちへおーいで」
アビエラお婆さんがそう言うと、キッチンの向こうの、大きな皮のソファや本がたくさん詰まった本棚が並ぶ部屋から少し小さめのカラスが飛んできた。
首にはオシャレなカラメル色のリボンをつけている。
「ナニカゴヨウカ」
「わっ! カラスが喋った!!」
「プッ、オバカニンゲンミーツケタ。
カラメルチャンハアタマガイーンダヨ」
カラスのカラメルちゃんは私の方を見てそう言うと、お尻をこちらに向けてぷりぷりと振り、私を馬鹿にした感じのダンスを踊った。
カラメルちゃんがなかなかのリズム感と人を馬鹿にする卓越したセンスを持っていることが伝わってくるダンスであった。
「カラメルちゃん、これをアルコ牧場のバーコード頭の人間のおじさんに渡すんだよ。
カラメルちゃんは美少女カラスだから、牧場にいる雄の鳥にナンパされるかもしれないけれど、まっすぐ行ってまっすぐ帰って来るんだよ」
アビエラお婆さんは猫撫で声で言った。
「ハイハイ、カホゴカホゴ。
チョットウザ」
カラメルちゃんはアビエラお婆さんから渡された手紙を加えると、大きな窯の中に入っていった。
どうやら窯の中から煙突を通って外に出て行ったようだ。
「じゃあリシュリー、これからお前さんがその状態をずっと持続させるために必要なものについて考えようね」
「うん。よろしくお願いします」
「お前さんは、金色の羊の毛のお守りについては知っているかい?」




