断髪
「じゃあ切ってくね」
シルビアちゃんはそう言い、私の髪に霧吹きでとても良い匂いのする水を吹きかけ、櫛で髪を丁寧にとかしはじめた。
もう一人前の理髪師として働いているだけあって、慣れた手つきで手を動かし続けている。
「あ、そうだ。
この前はごめんね、リシュリーちゃん。
恥ずかしいところ見せちゃった」
きっとシルビアちゃんがエリオットに熱烈な告白をした、プロメナリウム海浜公園でのキャンプの帰り道のことを言っているのだろう。
「ううん。
別に何も恥ずかしいことじゃないよ。
シルビアちゃんがどれだけエリオットのことを想っているか、すごく伝わったよ」
「こっぴどく振られちゃったけどね。
……あのさ、リシュリーちゃん。
リシュリーちゃんはエリオットのこと、本当に幼馴染みとしか思ってないの?」
「うん。そうだよ」
「そっか。
でも、多分エリオットはリシュリーちゃんのことが大好きだよ。
あれは絶対、幼馴染みに対する気持ちなんかじゃない」
「そうかな。
きっとエリオットはただ、私のことが心配なだけだよ」
自分でも少し無理のある返答だとは思った。
……本当は全く分かっていないという訳ではない。
エリオットが私のことをどういう風に想っているか。
だけど、私はエリオットとずっと一緒にいると約束することは出来ない。
エリオットに恋心を抱くことすら、どういうわけだか出来ない。
エリオットがいくら私のことを好きでいてくれても、私がエリオットにあげられるものは何も無いのだ。
それに、エリオットにはシルビアちゃんがいる。
きっといつか私よりもシルビアちゃんの方が好きになるに決まっているという、あの確信を心から消すことはどうしても出来なかった。
だから、エリオットの私に対する気持ちについて考えることはいつもとても怖くて、考えることを避け続けていた。
エリオットも私に対して、好きだとか愛してるとか、そういう決定的な言葉を言うことは無かったし。
「だったら。だったら、エリオットをちょうだい。
リシュリーちゃん。
私、エリオットがどうしても欲しいの」
「えっと、もともとエリオットは私のものじゃないし……この場合どうしたら良いんだろ……?」
「あのね、エリオットのそばから離れて欲しいの。
ごめんね、自分でもすごく嫌な事言ってるって分かってる。
でも、リシュリーちゃんがエリオットのそばにいる限り、エリオットは私のことを見てくれない。
リシュリーちゃんさえ、エリオットの近くにいなければ、私にもちょっとはチャンスがあるかもしれないって思うの」
どうしよう。シルビアちゃんに血楔病のことをは話せない。
でもここで適当にシルビアちゃんに都合の良いことを言ったとしても、血楔病が治っていない以上結局私はエリオットの側に居続けなければならない。
嘘は出来ればつきたくないのに。
「うーん……
でも、そんなことしなくても、エリオットとシルビアちゃんは必ず結ばれるって気がするよ。
私の存在なんか問題じゃないくらい、強い繋がりがあるって思う」
「本当に!?
あのね、私もすっごく強くそう思うの」
シルビアちゃんは目を輝かせて言った。
お。こっちの話題に持っていけば、嘘をつかずに済みそうだ。
「うん。本当にお似合いの二人って感じだもん」
「あのね、リシュリーちゃん。
こんなこと言うと頭がおかしいって思われちゃうかもだけど、私とエリオットにはすごく強い絆があると思うの。
何回切っても決して切れない赤い糸で、私達は繋がってると思う。
心も体もその赤い糸でまだ繋がれてると思うの。
あのね、私、エリオットを全て知ってるって感じるの。心も体も。
きっとエリオットも、私の全てを知ってる気がするんだ。
そのこと、エリオットにも早く気付いて欲しいのに……」
シルビアちゃんは頬を赤く染めながら言った。
シルビアちゃんからは、檸檬のみずみずしい香りがしそうな、初々しい色気が発せられていた。
「きっとエリオットもいつか気がつくよ」
「そうかなあ。
でも私ね、強く強く願ったことは叶うと思ってるんだ。
そうすることで、きっと思い描いた未来を自分の物にすることが出来るって、信じてるの!」
シルビアちゃんのその言葉を聞いた時、自分でもなぜかは分からないが、全身にとてつもない悪寒が走った。
体中総毛立ち、体温がどんどん下がっていくようだった。
放っておけば体が勝手にガタガタと震えてしまいそうだ。
今のシルビアちゃんの言葉を深く考えたらいけない。
ただ幸せな未来を夢見ているだけじゃないか。
人間だったらみんな幸せになりたい。
当たり前のことだ。
私だってそうだ。
そう、何回も何回も自分に言い聞かせた。
それでも中々おさまらない震えを悟られまいと、私は笑顔を作って相槌を打ちながらシルビアちゃんの話を聞いた。
「そっかあ。
きっと、シルビアちゃんなら大丈夫」
「ありがとう、リシュリーちゃん。
あーあ。リシュリーちゃんがエリオットの想い人じゃなきゃなあ。
もーっと仲良くなれたのに」
「あはは。大丈夫だよ、きっとエリオットも段々私よりシルビアちゃんの方がずっと好きになるから」
「そうかな……
うん、きっとそうだよね。
私、信じてる」
シルビアちゃんの瞳は希望に溢れていた。
エリオットが自分のことを好きになることをもはや確信しているように、シルビアちゃんのためだけに既にどこかに用意されている薔薇色の未来がもう見えているように、どこか遠くを見ていた。
この思いの強さがあれば、確かにシルビアちゃんの望み通りに現実が変わっていくというのも、ありえることなのかもしれないと思った。
「あ、じゃあここから結構バッサリ切っていっちゃうね」
シルビアちゃんはそう言うと、私の髪をザク、ザクと大胆に切っていった。
すると、不思議なことが起きた。
シルビアちゃんが私の髪に一回一回ハサミを入れていくごとに、体が軽くなっていく。
呼吸もしやすくなっていく。
私の体中に絡まりついていた、目に見えない何か。
グルグルと絡まりついて、少しずつ私のエネルギーを奪っていた何かが、シルビアちゃんの銀のハサミによって裁断されていくような気がした。
その目には見えない何かは私の髪と共に私から離れ、床へと落ちていった。
もしかすると、もう杖は必要無いかもしれない。
直感的にそう思った。
理髪椅子の前の鏡を見た。
先程までは腰に届きそうなほどまであった白い髪は、鎖骨あたりまでの長さになっていた。
そして、自分の顔色が良くなっている。
ずっと真っ白だった頬に、今は血が通っているのが分かる。
多分この血は、自分で作り出した自分の血だ。
私自身の血が、私を満たし始めている。
エリオットの血ではなく、私の血が。
なんだか感動していると、座っている椅子が揺れ始めた。ほんの微かだが、揺れている。
なんだろうと思ってあたりを見回すと、店の中の他の物も揺れ始めた。銀の鏡も、銀のハサミも。
最初は微かに感じる程度だった揺れは、すぐに大きな横揺れになった。
そして最終的には体を持っていかれそうなほどに大きな揺れになった。
「地震だ! かなり大きい!
皆さん、頭を守って下さい」
ハンクさんが店の中に居る人達全員に聞こえるような大声で言った。
皆机の下にもぐったり、そこら辺にあった物で頭を守ったりしている。
私も頭を腕で守り、物が倒れ込んでこなさそうな場所まで移動した。
ベレトお兄さんはこちらへ急いで走ってきて、私とシルビアちゃんを両腕で抱え込んで守ってくれた。
アダンもまだ店の中にいたようで、こちらへ来てくれた。
アダンはなにやらアタフタとしていたが、アタフタしながらも手を握ってくれていた。
理髪道具や店の中に置かれた家具が揺れてぶつかり合う音が店中に鳴り響いていた。
とても怖くて目を強くつぶっていたら、大きな音と揺れのせいで、どちらが上だか、右だか、下だかよく分からなくなった。
まるで深い海の中に投げ出されたようだった。
だがアダンの湿った手のおかげでそちらが右だと分かり、感覚を取り戻すことが出来た。
しばらくすると、揺れはおさまった。
「あー、怖かったよお!
ベレト兄ー!」
シルビアちゃんは、涙目になっていた。
そして、ベレトお兄さんにギュッと抱きついた。
「今のはかなりデカかったな。
これで終わりだと良いんだが。
リシュリーも大丈夫か?」
ベレトお兄さんはシルビアちゃんの背中をポンポン叩きながら、まだ警戒を解いていないような目であたりを見回していた。
「うん。怖かったけど、もう大丈夫。
守ってくれてありがとう、ベレトお兄さん。
アダンもありがとね」
「いや! 全然!
俺は全くなんともないし、気にすんな!
手、つないじゃった……」
「怪我をした方はいませんか?
この規模の地震です。余震が来るかもしれない。
大変申し訳ありませんが、今日は今応対しているお客様の理髪が終わりましたら店を閉めようと思います。
お待ちになっているお客様には大変申し訳ございませんが、皆様の安全のための判断です。
埋め合わせは必ずいたしますので、本日は皆様の安全のため、お帰りください」
ハンクさんが店の中で順番を待っていたお客さん達に向かって言った。
ハンクさんに文句を言う人は誰もおらず、皆次々に店から出て行った。
「リシュリーちゃん、どうする?
もうあと少しで完成するけど」
「じゃあ、完成させてもらいたいな」
シルビアちゃんは、物が散乱した店の中でちゃんと仕事を完成させてくれた。
最後に一回ハサミを入れた時も少し強い余震が来たが、すごい集中力で私の髪を断ち切り、私の断髪は終わった。
「さあ、出来上がりだよっ」
鏡を見ると、白い髪は鎖骨あたりで綺麗に切り揃えられていた。
全体的にゆるやかにウェーブがかかっている感じだが、それでいてすっきりとしており、なんだか素敵な髪型である。
顔も、なんだか前より可愛く見えるような……?
シルビアちゃんの理髪師としての腕は相当だと思った。
「わあ、すっごく素敵な髪型!
シルビアちゃんにやってもらって良かったよ。
突然だったのに、ありがとう」
「そう言ってもらえて嬉しい。
あ、切った髪袋に入れておいたよ」
「ありがとう。
本当はお店の片付け手伝いたいけど、ちょっと急いでて」
私はシルビアちゃんに理髪代を払い、ベレトお兄さんとアビエラお婆さんの元へと行くため店から出た。
シルビアちゃんと、アダンも店の外まで見送りに出て来てくれた。
アダンとは、お茶をする日や場所をゆっくり決めようということになり、手紙のやり取りをすることになった。
偶然だったが、アダンと会えて良かった。
二人に手を振り大通りをベレトお兄さんと行こうとすると、アルコの丘の方からこちらへと近づいて来る人影が見えた。
大粒の雪がはらはらと降る中、必死にこちらへ走ってくる。
目を凝らさなくても私にはすぐに分かった。
あれは、エリオットだ。




