薬種屋・アビエラの大窯
凄腕の薬師である、アビエラお婆さんが一人で営んでいる薬種屋・アビエラの大窯は、ヴェネラの街の外れにひっそりと佇んでいる。
イハの海からとても近い所に位置しているため、店の中に居ても波の音を聞くことが出来る。
アビエラお婆さんは割とクセの強い人物だが、薬師としては確かな腕を持っていた。
私達が家族や動物達の不調などの相談に行くと、ほんの少し話を聞いただけで、たちどころに薬を調合し作り上げた。
そしてアビエラお婆さんの作った薬を飲めば、どんな不調も必ず快方へと向かっていった。
そんな凄腕の薬師が営む薬種屋がなぜそんなに繁盛していないかというと、アビエラお婆さんが大の人嫌いである上に、店自体をあまり開けていないからだった。
私達アルコ牧場の者がアビエラお婆さんを訪ねていく時はラッキーなことに店はいつも開いていたが、開店しているところを見たことが無いという人すら居るほどに、店が開いているのは稀なことのようだった。
「へー、そんなすげえ薬師がヴェネラの街に居たんだな。全然知らなかったぜ」
「うん、知ってる人はすごく少ないみたいだけど、腕は確かだから安心して。
きっとアビエラお婆さんだったら、エリオットを目覚めさせることが出来る薬を作れると思う」
「ああそうだな。急ごうぜ」
ベレトお兄さんはニッと八重歯を見せて笑い、私の様子を見ながらも歩調を早めた。
ベレトお兄さんの一つに結われた赤に近いオレンジ色の髪の上に雪がパラパラと降り、厚い雲の合間から差し込む鈍色の光で輪のピアスが輝いていた。
薬種屋・アビエラの大窯はやはり開いていた。
なんとなく大丈夫な気はしていたが、黒くてツヤツヤした木の扉が外に向かって開かれているのを遠くから確認できた時は、心底ホッとした。
「アビエラお婆さん! 急いで作ってもらいたい薬があるの!」
「おやおや、リシュリー。そんなに慌ててどうしたんだい」
店に入ると、壁一面に吊り下げられた薬草の束達が発する独特な匂いがした。
芳しい良い匂いとは言いがたいが、なんだか安心する匂いだ。
どうやら季節によって吊り下げられている薬草の種類が違うようで、前来た時とはわずかながら違う匂いがした。
扉を入ってすぐのところに置いてある大きなカウンターはディスプレイケースにもなっており、その中には珍しい花や、干されたトカゲや、トゲのある毒々しい色の貝殻などが陳列されていた。
カウンターの奥の、別の部屋とつながっていると思われる場所からアビエラお婆さんはこちらへとやって来てくれた。
黒いローブを着ていて、鷲鼻で、杖をついていて、ベレトお兄さんは最初その姿を見た時ほんの少しだけギョッとしていた。
でも私はアビエラお婆さんが大好きで、アビエラお婆さんも私のことをなぜだかとても可愛がってくれていた。
「エリオットが目覚めないの。
どんなに声をかけても目覚めなくて。
うなされていて、とても辛そうなの。
なにかとても悪い夢を見ているみたい。
なんとかして起こしたいんだけど、そんな薬って作れますか?」
「ふーむふむ。
そりゃ、普通の目覚め薬なら簡単に作れるよ。チョチョイのチョイでね。
だって、ワシだもんね。
だけどどうやら、エリオットが囚われてしまった悪夢は普通の悪夢じゃあないようだ。
こりゃあ、薬を作るのもなかなか大変かもしれない」
「そんな!
お願い、アビエラお婆さん。
エリオットを目覚めさせることが出来るなら、私、なんでもする。
どうかお願いします」
「どうも初めまして。
エリオットの兄のベレト・フェレールです。
自分からもお願いします。
エリオットを助けたいんです」
ベレトお兄さんと二人でアビエラお婆さんに心の底から頼み込んだ。
「そうだねえ。その強い気持ちがあれば、なんとか出来ないこともなさそうだ。
ワシの見立てでは、リシュリー。エリオットを目覚めさせるためには、あんたの髪が必要だね。
絶対に、必要だ。
今すぐ切ってこれるかい?」
「はい。そんなことで良ければ、すぐ切ってくる」
「え、いいのか? リシュリー。
女にとって髪ってすごく大切なんじゃねえの?
せっかくそんなに綺麗に長く伸ばしたのに。
いくらエリオットのためとはいえ、本当にいいのか?」
「全然構わないよ。
別に目的があって伸ばしてたんじゃなくて、ただなんとなく長かったってだけだから。
エリオットがいつも編んでくれてたから切らなかったけど、実は一度短くしてみたかったんだ。
ちょうど良かったよ」
「ああそうだリシュリー。髪はただ切るんじゃなくて、銀で出来たもので、しかも同じ性の者に切って貰わなければダメだよ。
そうしなければ、良い薬は作れないからね」
「分かった。
ベレトお兄さん、シルビアちゃんのところに行こう。
理髪店銀のハサミならもちろん銀のハサミを使ってるだろうし、シルビアちゃんは女だし」
「ああ、行こうぜ」
私達は急いで理髪店銀のハサミへと向かった。
ヴェネラの街の大通りへ戻り、銀のハサミの中に入ると、髪を切るのを待っていると思わしき人々でごった返していた。
さすが大人気の繁盛店だ。
今から予約を入れて、今日中に髪を切ってもらえるだろうか。
不安になってきた。
でも最悪の場合、銀のハサミを借りてそこらへんの女の人に頼み込んでバッサリ切ってもらうのでも良い。
ただ、私自身はなんとなくシルビアちゃんに髪を切ってもらいたかった。
そうすれば、何かが良い方向に向かう気がした。
そしてきっと、エリオットも無事目が覚めると。
「あれ、リシュリーちゃん。それにベレトお兄も」
シルビアちゃんが私達に気付き、理髪椅子がたくさん並んでいる広い場所の方からやって来てくれた。
理髪椅子が並んでいる方では、シルビアちゃんのお兄さんのハンクさんや、雇われていると思しき他の理髪師達がチョキチョキと髪を切り、仕事に勤しんでいた。
「シルビアちゃん。無理なお願いかもしれないんだけど今すぐ私の髪を切ってもらうことって出来る?」
「うーん、今日はもう予約でいっぱいで。
明日とかはどう?」
「そっか。だったら他を当たるから大丈夫。
急にごめんね」
「あ! リシュリー」
聞き覚えのある声が理髪椅子の方からした。
見るとアダンだった。とても久しぶりだ。
なんだか骨格が逞しくなり、少し大人っぽくなっているような気がした。
「アダン。久しぶりだね。
アダンも髪切りに来たの?」
「まあな。でも、ここに来て迷っちゃってさ。
すんごく短くしようとしてたんだけど、シルビアにそうすると俺の髪質的にイガグリのようになるって言われてさあ」
「だってえ、アダンの髪硬いんだもん!」
シルビアちゃんはそう言って、まだ切られていないアダンの髪をわしゃわしゃと犬のように撫でた。
シルビアちゃんにそうされて、アダンはすっかりニタニタとにやけていた。
なんならよだれも出ていそうだ。
幸せそうで何よりである。
「あ、もしリシュリーが急いで髪切りたいっていうなら、俺代わってもいいぜ。
その代わりっていったら、あれなんだけれども、えっと、俺と、俺と……この後お茶なんて、どうかなー、なんて……」
「本当に!? ありがとうアダン!
今日この後は難しいけど、明日以降ならいつでも大丈夫だからお茶行こう。
私もアダンに伝えたいことあったの」
「え! リシュリーが、お、おれに?
一体何、なんなの?
そして一緒にお茶……してくれんの?
あー、言ってみて良かったあ」
「あーあ、こりゃ目覚めた後エリオットが大変なことになるぞ」
ベレトお兄さんが横でなにやらブツブツ言っていたが、私とアダンの話を理解したシルビアちゃんが理髪椅子の方へと案内してくれたので、急いでそちらへ向かった。
「それでリシュリーちゃん、どんな髪型にしたいの?」
「結構切ってもらう感じでお願いできるかな。
それで、切った髪は持って帰りたいの。
全体的な雰囲気はシルビアちゃんにおまかせするよ。
あと銀のハサミで切ってもらいたいんだけど」
「了解です。
リシュリーちゃんの髪、量が沢山あるから理髪師としてはやりがいあるよ。
きっと素敵な髪型にするからね。
銀のハサミのことは心配しないでも大丈夫だよ。
うちで使ってるハサミはぜーんぶ、銀のハサミだから」
「そうなんだ、ありがとう。
よろしくね」
こうして私は無事、シルビアちゃんに髪を切ってもらうこととなった。




