潮騒
「っっ……」
目が覚めた。汗をたくさんかいていた。
頭が物凄く痛い。あの時と同じように。
前にシエラが壊れる前の夢を見たときと同じように。
そしてまた、錆びた巨大な扉が閉まっていく。
なんとかさっきまで夢で見ていた光景を思い出し、頭の中に焼き付けようとした。
忘れてはいけない。
今回だけは、決して忘れてはいけないという気がする。
忘れさえしなければ、何かが開けていくと感じる。
あの男の人は……そうだ。カインだ。
漆黒の長い黒髪と、燃えるような朱い瞳のとても美しい男の人だった。
とても厳しそうで、禁欲的な雰囲気だった。
でも、あの目は……シエラに向ける瞳は、どこか見る者をゾッとさせるものがあった。
ベタベタと、ドロドロと、シエラに纏わりついて離れないような、そんな視線だった。
それでも、シエラとカインは愛し合っていた。
それは間違い無い。
シエラからカインへと、ありったけの愛が溢れているのを強く感じたから。
そして、シエラは……あれ、シエラの外見が思い出せない。
なんだかとても特徴のある見た目をしていたのに。
これまでに会った誰とも違う、ある特徴があった気がするのに。
しかし、シエラの雰囲気は覚えていた。
とても優しそうで、でも自信が無さそうで、少しおどおどとしていた。
そして、今の夢の中ではずっと、悲しそうだった。
いつもの夢の中の、壊れてしまってからの彼女の悲しみとはまた違った悲しみだった気がする。
どうしてシエラは悲しそうだったんだっけ。
確か、誰かが殺されていたような……
きっとそれは、シエラの知っている人だったような気がする。
とても近い存在という訳では無いが、身分が違っても親しみを持っていた感じが、シエラの口ぶりからは伝わってきていた。
そして、それについてカインは……
だめだ、ここから先はもう思い出せない。
錆びた扉はもう完全に閉まっていた。
「ぅうん……リシュリー……」
エリオットの寝言で、完全に夢の世界からこちらの世界へと戻ってきた。
眠る時は腕枕をしてくれていたエリオットの腕は、いつの間にかすっかり私の体中に巻き絡みついていた。
長い脚も私の脚や、腰の方にまで来ている。
少し苦しい。
しかし、エリオットの顔を見ると、良く眠れてはいるようでホッとした。
呼吸が深く、顔も安らかだった。
最近あまり眠れていないようだったから、本当に良かった。
そういえば、こうして夜通しエリオットと二人だけで過ごすのは初めてかもしれない。
いつも夜にはエリオットは自分の家へと帰っていくから。
なんだか新鮮である。
私はエリオットの胸に頭をくっつけて、また眠ることにした。
今回は前の時よりも夢の内容を覚えていられた。
しかも、新しい夢だった。
それだけでも大収穫だ。
シエラの夢を、ヌッちゃんに話してみようか。
これまでは頭のおかしい人と思われそうで、シエラの夢のことは誰にも話していなかったけれど、ヌッちゃんになら話しても大丈夫な気がする。
なによりも話してみたかった。
ヌッちゃんがどういう風に考察するのか、気になる。
今度ヌッちゃんの研究室に行った時、話すことにしよう。
そう決めて私は、再び眠りについた。
眠りへと落ちるまで、荒磯へと波が打っては砕ける潮騒の音が聞こえ続けていた。
その音はとても優しく、子守唄のようだった。
なぜだかとても懐かしい気持ちになった。
私はこの音を知っている、私はずっとこの音を聞いていた気がする。
どこかで眠りながら、ずっと。
朝になると、潮はすっかり引いていた。
私とエリオットはいつものように手を繋ぎ、荒磯の洞窟を後にして、キャンプ場へと戻った。
みんなの近くまで行くと、エリオットが私の腰に腕を回し、ぴったりくっついて来た。
私の耳元に顔を近づけ、たわいもない話を面白そうに話していた。
視線を感じそちらを見ると、シルビアちゃんがこちらをじっと見ていた。
大きな瞳が揺れている。
なんだか申し訳なくて、すぐに目を逸らした。
とても傷つき悲しんでいるようだったから。
ごめんなさい、と思った。
「あ、リシュリー。おはよう。
朝帰りなんてリシュリーもなかなかやるわね!
エリオットもね」
エミルが私達を見て、面白そうに、そして嬉しそうに言った。
「あの、エミル、えーっと、これには訳があってね」
どうしよう、血楔病のことはここでは言えないし、かといってこのままでははなんだか不良未成年のようだ。
言い訳、言い訳。出て来い、上手い言い訳。
「おはようエドラさん。
とっても月が綺麗な夜だったよ」
エリオットがみんなが聞こえるような大きな声で、爽やかに言った。
なんかすごーく、色々な勘違いを生みそうな言葉では?
私でもなんとなく分かる。
「あらぁ、まあ無事で良かったわ!
ちょっとエリオット氏からは話を聞かなきゃだけどね。
あたし、一応保護者的立場だし〜」
ヌッちゃんが、走って来てそう言った。
ホッとしたような、ワクワクしてるような、なんとも不思議な口ぶりだった。
そしてヌッちゃんの走り方も不思議だった。
私達はその後朝ごはんを食べた。
目玉焼きをパンの上に乗っけた簡単なものだったが、ちょうど良い焼け具合と塩加減でとても美味しかった。
イハの海を見ると海霧はすっかり消え、澄んで美しい水面が広がっていた。
あれは、本当のことだったのだろうか。
あの一角の海蛇は、私の幻覚だったのだろうか。
いや、あれは現実だった。
少なくとも私には、あの存在が確かに見えた。
もうあの顔を思い出すことすら出来ないけれど。
昼頃に私達はプロメナリウム海浜公園を後にした。
エリオットはずっと私の側にいて、手を繋いでいた。
なんだかとてもご機嫌で、嬉しそうだった。
最近エリオットは少し情緒が不安定だったから、それについては良かった。
しかしシルビアちゃんは元気を失い、エリオットへ近付いて来なくなってしまった。
ハンクさんが必死にシルビアちゃんに話しかけて、元気付けようとしているが、シルビアちゃんは何も言葉を発しない。
とても落ち込んでいるようだ。
また、やってしまった。
どうしていつもこうなるのだろうか。
もはや、私はあの二人にとっての毒みたいなものだというような気がしていた。
邪魔するつもりなんて毛頭無いのに、存在自体が毒であるため、自分の意思とは関わりなく悪い影響を及ぼしてしまう。
無害でありたいと願う猛毒。なんだか滑稽だ。
「じゃあ、私達はここで別れるわね。
私の家族にセト先生を紹介しなくっちゃ。
婚約者としてね。
それではみなさん、さようなら。
今回は本当にありがとう」
エミルはそう言い、セト先生の腕を取りエドラ物産館の方へと歩いて行った。
後ろからでも、幸せの光が溢れ出しているのがよく分かる。
エミルだけではなく、セト先生からも。
朝ごはんを食べ終わった後、エミルは私とマリエッタに何回も何回もお礼の気持ちを伝えてくれた。
私とマリエッタはエミルの役に立てたことを実感し、照れながらも素直に喜んだ。
そして、エミルは私のそばに居たエリオットにも、お礼を言っていた。
エリオットもそれを聞いて嬉しそうだった。
マリエッタはとりあえず今日は家に帰り、後日フェルマー兄さんにお土産を持ってきてくれることになった。
今からとても楽しみだ。楽しみ過ぎる。
マリエッタとこうして長い時間一緒にいることは初めてだったけれど、とても楽しかったし、今までよりももっとマリエッタのことが大好きになった。
早くフェルマー兄さんと結婚しますように。
そして早く私のお姉ちゃんになりますように。
あ、私達の、か。
一人、また一人とキャンプのメンバーと別れた。
色々あったが、とても楽しい思い出が出来た。
明日からまた頑張ろう、そう思えるキャンプだった。
だが、銀のハサミの前でシルビアちゃんとハンクさんと別れる時、それは起きた。




