金色の羊の毛のお守りの夢
「リシュリー、ほら、僕の血を飲んで」
荒磯の洞窟の中は、不思議と暖かかった。
地面からじんわりと暖かい熱が上がってくるようだ。
体中の細胞の奥の奥まで侵入してくるような熱だった。
入口から差し込む月明かりのおかげでそれなりに明るく、目の前にいるエリオットの、いつもの美しい顔がちゃんと見える。
しかし、日の光に照らされているときよりも、月の光の下の方がいつもより更に妖艶さが増して見えた。
怖いくらいに。
「でもエリオット、私まだ全然元気だよ。
やっぱり血を飲まなくても大丈夫なんじゃないかな?」
エリオットの瞳が揺れた。
切れ長の目が長いまつ毛ごと震えている。
「ダメだ!
僕の血を飲まないと、リシュリーはダメなんだ。
リシュリーには僕の血が必要なんだ!
僕の血が無ければ、リシュリーは生きていけない。
だから、早く、早く僕の血を飲んで。
リシュリーには僕が必要なんだ」
本当にその通りだ。
でも、改めてそれをこうしてハッキリと聞かされると、なんだかとても悲しくなった。
そうだ。私は一人で生きていけない。
エリオットの血無しでは、エリオットの存在無しでは、何も出来ない。何も出来なくなってしまう。
私はなんてダメな存在なんだろう。
「うん……」
私はエリオットが着ているブルゾンとその下のシャツの肩口を広げ、その素肌に歯を立てた。
いつものように血を吸って飲む。
体はまだ元気だったが、それでも血は美味しかった。
生命力が満ちていくのを感じる。
ふと、なぜか先程海辺で起きたことが頭に思い浮かんで来た。
でもどうしてだか、あの一角の海蛇の顔がよく思い出せない。
確かにあの時目が合ったはずなのに。
とても美しい目だったはずなのに。
「っううぅっ……リシュリー……っ
これで……分かった……でしょ……?
リシュリーには僕が…………必要だって」
エリオットが苦しそうな声と呼吸で途切れ途切れにそう言った。
そんなこと分かってる。
もう十分過ぎるほど、ずっと前から分かっている。
そして、それを十分過ぎるほど分かっているから、こんなに苦しんでいるのに。
私はエリオットがいなければまともに生きていけなくて、エリオットが必要で、そのせいでエリオットを縛り付け続けなければならないのだから。
「大丈夫……僕は、絶対……っぅぅ、絶対、リシュリーから離れないから。
絶対に離れない。
もしリシュリーが、どこへ行っても……必ず見つけ出すから……」
エリオットが私の体中に巻き絡みついている。
体中を強く締め付けられ、もう決してどこにも行くことが出来ない気がした。
とても行きたい場所がどこかにあったはずなのに。
なんだか頭がぼーっとして、自分でもよく分からない考えが浮かんだ気がした。
「必ず見つけ出すから」
エリオットの声で我に帰った。
その言葉は、洞窟の中にはっきりとした音を保ったまま響き渡った。
そしてどこかへ消えて行った。
しかし消滅したというわけではなく、どこか遠くへいっただけだという気がした。
決して死んでおらず、どこかに潜み続けていると。
血を飲み終わると、エリオットにいつも以上に強く抱き締められた。
横になって抱き合っていると、先程までより潮の香りを強く感じた。
すぐそばから香ってくるようだ。
見ると、先程までは砂地だった場所まで海水がきている。
大変だ。気付かぬうちに潮が満ちてきていたのだ。
「エリオット、大変。
潮が満ちてきてる。
早くここから出ないと、出られなくなっちゃう」
「多分、もう出られないよ」
「え? 嘘でしょ?
じゃあ私達、ここで溺れて死ぬの?」
「大丈夫。見てよリシュリー。
この洞窟、奥の方まで続いてるから。
しかも奥に向かってゆるやかに高くなってる。
あっちの方で朝まで潮が引くのを待とう」
「そっか。とりあえず良かった。
でもみんな心配しないかな?」
「リシュリーを探しに行く時、念の為ヌトさんに伝えてきたから大丈夫だと思う。
もしリシュリーが遠くまで行ってたら、帰ってくるのが遅くなるかもしれないって。
もしかしたら、夜だし休息所で避難というか、休んでくるかもしれないって。
だからもし僕らが戻ってこなくても心配せず、先に寝ていてって言ってきたんだ」
「そっか、ならひとまずは大丈夫かな。
ごめんね、エリオット。
色々迷惑かけちゃって」
「ううん。謝らないで、リシュリー。
でも、一人でどこかに行くことだけはもうやめて」
「うん」
私達は荒磯の洞窟の奥まで行き、そこで眠ることにした。
エリオットが自分のブルゾンを私にかけてくれた。
それはエリオットの体温でまだ生温かかった。
エリオットは腕枕をしてくれ、逆の腕で背中をさすっていてくれた。
とても安心した。
地面の砂は程よく湿り、程よく温かかった。
そのため、眠気はすぐ訪れた。
そして、また、とても久しぶりに壊れる前のシエラの夢をみた。
「シエラ、お願いだからもうあんなこと言わないって約束してくれ」
「カイン……でも、こんなことおかしいよ。
アリマは何も悪いことなんてしてない。
アリマは、ただ祈っていただけなのに。
祈りの言葉に心を込めて、一生懸命祈ってただけだよ。
お母さんの病気が良くなりますようにって。
なのに、どうして殺されなくちゃいけないの?
それもあんな、あんなむごい殺され方で」
「僧院の言うことは絶対なんだ。
間違いがあるはずが無い。
きっとアリマも……あいつらの仲間だったんだ」
カインは迷いの無い目でシエラにそう言った。
シエラはそれにとても傷ついたようだった。
「それよりも、シエラ。
シエラが見えると思っているもののことは、決して私以外の誰にも言ってはダメだ。
本当はそんなもの、見えているはず無いんだから。
きっと何かの病気なんだ。
私がなんとかして、それを治す方法を見つけるから」
「でも、私、本当に……」
カインがシエラを見つめている。
その朱い瞳は、シエラを求めてやまぬよう燃えているように見えた。
シエラの方へ差し出しそうになる左手を、右手で必死に押さえつけている。
「シエラ、あと少しなんだ。
あと少しで結婚出来る。
なんとかここを乗り切ろう。
これ以上シエラが僧院から睨まれると、私は聖女様と……あの儀式をしなくてはいけなくなるかもしれない……」
「そんな……カインとティハナ様が……」
シエラは下を向いて震えている。
自分で自分を抱きしめるようにしていた。
とても辛そうで、苦しそうだ。
カインはそんなシエラの様子を見て、同じように苦しそうな表情を浮かべる一方で、ほんのわずかだが嬉しそうだった。
厳しそうな目が、わずかにとろけるように甘く鈍く光っている。
その粘力のある光は、シエラの周りにドロドロと纏わりつくようだった。
「シエラ、心から愛しているよ。
シエラは私が守るから。
シエラは、シエラは私のことを愛してくれている?」
「もちろん、カインのことを愛しているに決まってるじゃない」
「シエラには私が必要?」
「もちろんよ。
私の人生にはカインが必要。
カインがいなければ生きていけない。
本当に愛しているもの」
その時、カインの目がとても嬉しそうにニヤリと歪んだ。
私にはそれは、なぜだか邪悪なもののように見えた。
しかしその一方で、とても切実で、ひどく美しいもののようにも見えた。
「私もだよ。
そういえば、前になにかの書物で読んだ気がする。
とても珍しい、金色の毛を持つ羊がこの世界のどこかにいるって。
そして、その羊毛を編んでお守りを作れば、どんな病魔も逃げていくって。
そうすればきっと、シエラの言うものも、見えなくなるはずだ。
きっと病気が、シエラをおかしくしてるだけなんだから。
きっと私が、そのお守りを作ってあげるからね。
約束する」
「……うん、約束ね」
シエラは悲しそうだった。




