荒磯の洞窟
「エリオット! あー、びっくりした。
一体どうしたの?」
エリオットは走ってここまで来たようで、息が切れていた。
私はエリオットの顔が見えるように、エリオットの腕の中で向きを変えた。
エリオットはとても不安そうで、瞳がゆらゆらと揺れていた。
とても心配させてしまったようだ。
「リシュリー、どうして一人で居なくなったりするの!?
どうして一人でどこかに行こうとするの!?
僕がどれほど心配したか分かる!?
心配で心配で、怖くて、死ぬかと思った。
もうこんなこと、二度としないで!
もう二度としないって、や……」
エリオットが何かを言いかけて口を閉じた。
多分、「約束して」と言いかけたのだ。
私が約束が出来ないことを知って随分経つけれど、焦った時やパニックになった時、エリオットはこうして「約束」という言葉を言いかけることが良くある。いまだに。
でもその度に、エリオットが発した「約束」という言葉を聞いて苦しんだ子供の頃の私の様子を思い出すようで、エリオットはとても辛そうな顔をした。
そんな様子を見ると、私ももちろん辛かった。
けれど、私に約束をすることは出来ない。
私自身がどんなに約束をしたかったとしても。
「ごめんね、エリオット。
ちょっと海を近くで見たくなっちゃったの。
心配かけちゃって本当にごめんね」
海霧の中から現れた、あの巨大な一角の海蛇のことは言わない方が良い気がした。
きっとあれは、誰にも話してはいけない。
きっとあれは、普通の人には見えないものだから。
「……僕も驚かせちゃってごめん。
あまりに心配だったから。
リシュリーを見つけてすごくホッとして……
さあ、行こう。
あ、でもここらへんを二人で散歩しても良いかもしれないね。
今日は満月で明るいし」
「あ、そうそう、エリオット。
さっき南国風の庭園の中で、セト先生がエミルに愛を告白したんだよ。
すっごく感動的だった。
きっと、夕食の時エリオットが言ったことが、頑なだったセト先生の心を動かしたんだよ。
エミルに代わってお礼を言わせて。
ありがとう、エリオット」
「ううん。ただ、なんとなく思いついたことを言っただけだよ。
でも、それがあの二人をくっつけられたのなら良かった」
エリオットは嬉しそうにそう言った。
「きっとこれからはトントン拍子に進んでいくよね、あの二人。
来年の今頃にはもう子供が居る気がする。
エミルとセト先生の子供、どんな子かな?
色っぽい感じかな? それとも笑った感じの顔かな?」
「確かに、どっちだろう。
楽しみに待っていようよ。
きっとあっという間に生まれてくるから」
「そうだね、エリオット」
「うん。それで、エドラさんの家に二人で見に行こう。
あ、なぜか僕、セト先生がエドラさんの家で暮らしてるって当然のように思い浮かべてしまった。
セト先生が家を借りることだって十分ありえるのに」
「私も、全く同じように二人の新婚生活を思い浮かべちゃったよ。
エドラ家にすっかりセト先生が馴染んでるの。
なんだかおかしいね」
私とエリオットは、顔を見合わせて笑い合った。
思い浮かべたことが面白かったのと、エミルとセト先生の子供を見にいくのがとても楽しみでたまらなくて。
本当に心から楽しみだった。
けれど、なぜだか来年の今頃、自分がサンティ=ハイメ神領島にいるイメージを鮮明に思い浮かべることが出来なかった。
それがとても悲しくて、頑張ってエミルとセト先生の子供と遊ぶ自分を思い浮かべようとしたけれど、どうしてもそれをすることは出来なかった。
「じゃあ、行こうリシュリー。
ゆっくり散歩しながらキャンプ場まで戻ろう。
貝殻とか拾ってもきっと楽しいね。
どっちが綺麗な貝殻見つけられるか競争しようよ。
子供の頃も、牧場でどっちが綺麗な葉っぱとか石とか見つけられるか、よく競争したよね」
その時、シルビアちゃんの声が聞こえてきた。
「エリオットー、どこお?
どこにいるのー?」
エリオットを探しているようだ。
いけない。このままではまたお邪魔虫の本領を発揮してしまう。
なにせ私はおそらく、先天的なお邪魔虫の才能を持って生まれているのだから。
自然な感じでここから離れないと。
この前の二の舞は踏まないぞ。
「あ、エリオット。
私ちょっとまだ一人で見たいものがあるから先に帰ってて。
大丈夫。ちゃんと一人で戻れるから。
じゃあ」
今回はなかなか自然な感じでいけた。
我ながら良かったと思う。
エミルとセト先生がいる庭園とは別の庭園でもゆっくり見て、その後キャンプ場へ戻ろう。そうしよう。
私は向こうの方に見える庭園へと歩き出した。
シルビアちゃんの声が近付いてきている。
もうすぐ二人は合流するだろうが、その時に私はシルビアちゃんの視界に入らないようにしなければ。
歩くペースを少しだけ素早くした。
だが、踏み出したはずの自分の足が砂浜から浮いていた。
一瞬何が起きたかよく分からなかった。
あれ? 私、浮いてる?
私って、浮けるんだっけ?
いや、これまでそんなこと出来た試しはない。
もしや、今、突然出来るように……?
いや、そんなはずは無い。一応人間だし。
そして、気が付いた。
エリオットが後ろから私を持ち上げているのだ。
「ちょっと、エリオット、どうしたの?
降ろしてくれない?
あの、一人でも歩けるんだけど」
「リシュリーが一人で歩いていくことなんてこれからずっと起こらない。絶対に」
エリオットが何を言っているかよく分からない。
エリオットは持ち上げた私の膝の下に腕を入れ、横抱きにするように抱えられてしまった。
そして、シルビアちゃんのいるであろう方向とは反対側の方向へと歩いていく。
「ちょっと、どこ行くの、エリオット?
シルビアちゃんがエリオットのこと探してるみたいだよ。
心配してるみたいだよ」
「…………何も思ってくれないんだね」
「ちょっとどうしたのエリオット、なんか変だよ。
ねえ、どうしちゃったの」
「…………」
エリオットはただ前だけを見て、どこかへ向かって歩き続けた。
シルビアちゃんの声は遠ざかり、前の方に波打ち際に佇む荒磯の洞窟が見えた。
「リシュリー、瞳の色が白銀色に戻ってるんだ。
すぐ僕の血を飲まなきゃ。
ヌトさんと、多分セトさんは血楔病のこと知ってるけど他の人は知らないでしょ。
他の人に知られたらいけない。
これは僕達だけの秘密なんだから」
瞳の色が白眼色に戻っている?
でも、体から力が抜けていく感覚は無かったし、今も無い。なんならピンピンしている。
そんなことってあるのだろうか。
また新しいパターンが出て来てしまったのだろうか。
瞳の色を確認したいけれど、ここには鏡は無い。
「う、うそ。どうしよう。
今日の朝エリオットから血を貰ったのに。
また貰わないといけないなんて。
ごめんね、エリオット」
「いいんだよ、リシュリー。
僕の血は、全部リシュリーだけのものだって言ったでしょ」
そしてエリオットは私を抱えたまま、荒磯の洞窟へと入っていった。
明るい満月の月明かりに照らされながら。
イハの浜辺には潮がだんだんと満ち始めていた。




