海鳴り
みんなで食べたカレーはとても美味しかった。
なぜ屋外で、他の人と食べる食事はいつもこんなに美味しいのだろう。
斜め前のヌッちゃんに第一班のカレーを少しもらったら、私達のカレーとは少し味が違っていて面白かった。
材料は同じはずなのだが、なんだか少し刺激が強めの味だった。美味しかったけれど。
ヌッちゃんに聞くと、特別なスパイスを少し入れたらしい。
夕暮れの潮風がほどよく吹いていて、いつも丘の上から見ていた夕日は、海辺で見るとこんなに大きく見えるのかと驚いた。
夕日がイハの海だけではなく、砂浜や私達をもオレンジ色に染めていた。
楽しい気持ちが増すようなオレンジ色で、いくら話しても次から次へと楽しい話題が湧いてきた。
しかし先程から、イハの海からかすかに音が聴こえてくる。
みんなの話し声に紛れてはいるが、確かに聞こえる。
ブーン、もしくは、ブゥゥゥ、という感じの低い音なのだが、みんなを見回し様子を伺うと、どうやら私にしか聴こえていないようだ。
耳を澄まさなければ聴こえないくらいの小さな音なので、もしかしたら私の耳は人より良いのかもしれない。
食事中、私とマリエッタは、さりげなく私達の前に座るセト先生に話を振り続けた。
なぜなら、話を振らないとセト先生は自分からは何も話さないからだ。
「セト先生の理想の結婚相手ってどんな人なんですか」
「え、えーと、あまり考えたことないです」
「じゃ、じゃあ、これまで好きになった人はどんな人が多かったのかしら。聞いても良いですか」
「えーっと、これまではあまりそういう風に人を好きになったことが無くてですね……」
なるほど。多分セト先生にとってこれは初めての恋なのだ。
自分でもどういう風にしたら良いのか分からないのかもしれない。
そう思うと、なんだか大丈夫という気がしてきた。
ただ分からないのなら、教える人がいればいいだけだ。
しかし、その役は誰がやればいいのだろう。
「セト先生、もし好きな人がいるなら絶対に離れない方が良いですよ」
エリオットが言った。
エリオットは私の左隣に座っており、その左隣にはシルビアちゃんが座っていた。
「人の一生なんて、あっという間です。
それにいつ終わってもおかしくない。
離れ離れになってからどんなに後悔しても、時間を巻き戻すことは出来ないんです。
どんなに泣いて狂っても」
「……確かに、そうですね」
「もし、神を理由にして自分の心に嘘をつき、そのせいで愛する人を失うことになれば、きっと神を憎み、恨み続けることになります。永遠に。
神もそんなことは望んでいないはずです」
「本当にそうですね」
エリオットが何かとても深いことを言っている。
なんだかすごく実感がこもっているというか、説得力がある。
そしてその言葉がセト先生の心を動かしたのを確かに感じた。
「エリオット、なんかとっても良いこと言うね!
確かにそうだよ。好きな人とは絶対離れちゃダメ。
私も絶対離れない。
それで、ちゃんと好きって伝えないとね」
シルビアちゃんがすごく嬉しそうに言った。
そうか、この言葉は二人のことを暗に示しているものでもあるのか。
なるほどね。
しかし、そう思っていたらエリオットが手を繋いできた。
ギュッと指を絡めて繋がれた。
でもなんとなくシルビアちゃんに申し訳ない気がして、手を離した。
きつく手を繋がれていたので、ふりほどくのが大変だったけれど。
すると、またザワザワした感覚がした。
しかしいつもと違って、ただの嫌な感覚では無かった。
本当に心臓の辺りが痛く感じる。ムズムズともする。
まるで何かが巻き絡みついて、心臓を締め付けているようだ。
でも、それを誰にも知られてはいけない気がしたので、必死に痛みを隠して楽しそうにカレーを食べた。
エリオットの方は決して見ないようにして。
楽しい食事の時間は日の入りと共に終わり、後片付けも終わった。
私とマリエッタは、エミルとセト先生をなんとか二人っきりにしようと作戦を立てた。
キャンプ場から少し離れた場所にある庭園まで私達四人で行き、なんとなく良い雰囲気を演出し、私とマリエッタはどこかへはけるのである。
大変良い作戦である。作戦を思いついてくれたマリエッタに感謝だ。
四人で庭園へと向かって話しながら歩いている時も、やはり海からの低い音が聞こえていた。
しかも、先程より大きくなっている気がする。
音が鳴る間隔も近くなっている。
海の方を見ると、夕食の時には澄んでいた海の上には、海霧が現れ始めていた。
「見てこの庭園、ヴェネラの街では見たことの無い花ばっかり。入ってみようよ」
「そうしましょう。なんだか南の大陸へと旅行へ行った気分になれそうね」
私達は南国風の庭園へ入り、それとなーくエミルとセト先生から離れた。
マリエッタと茂みの中にしゃがみこみ、二人で手を繋いでドキドキしながら耳をすませると、エミルとセト先生の話し声が聞こえてきた。
セト先生の声がとても優しい。
「私の生まれた場所は南の大陸なので、こういう花がたくさん咲いていました。なんだか懐かしいです」
「前におっしゃっていましたね。
南の大陸の、孤児院でお兄様と育ったって」
「はい。でも、親に捨てられ、孤児院で育ったからこそ神官になり、このサンティ=ハイメ神領島に来ることが出来たのです。
だから、親が私達を捨てたことも私の中では感謝すべきことであり、結局は神が私の為を考え、最善の道として用意して下さったものだと思うのです」
セト先生は、何かを決心するようにエミルの方を向いた。
「その道を歩んだからこそ、エミルさんに出逢えたのですから」
二人は長い間見つめ合っていた。
二人の瞳の中には互いしか映っていなかった。
そしてその瞳からは、互いを心から愛おしく想う気持ちが溢れ出ていた。
それは優しく甘く、とろけるような光を発して庭園中を満たしていった。
私には確かにその光が見えた。
眠りにつきかけていた南国の花々がその優しい光に反応するかのように目覚め、甘い香りを発していた。
その甘い香りの中、エミルがセト先生に近づいていき、キスをした。
今日は満月だった。
明るい月の光が、まるで祝福するように二人を照らしていた。
月だけでなく、南国の花々や、イハの海や、庭園に住む虫達もきっと二人を祝福していた。
私とマリエッタは、お互いに満面の笑みで抱き合い、無音で喜びまくった。
そして、エミルとセト先生を本当に二人っきりにしてあげるため、庭園からそーっと出て行った。
「良かったね、マリエッタ。
本当に良かったね」
「ええ。ええ。
本当に良かったわ」
マリエッタの目には涙が浮かんでいた。
でも気付くと、私の目からも涙が一粒こぼれていた。
愛し合う二人が想いを伝え合うのって、あんなに神聖なことだったんだ。
思い出すだけでまた感動してくる。
マリエッタが私の頬に手を伸ばし、涙を拭ってくれた。
「マリエッタちゃーん、ちょっと教えて欲しいことがあるからこっち来てちょー」
「あら、ヌッちゃんさんが呼んでるわ。
ちょっと行ってくるわね」
マリエッタはヌッちゃんの方へ歩いて行った。
いつものおっとり可愛い歩き方で。
一人になると、あの海からする音が気になってきた。
海の近くに行けば、もっとあの音が聴こえるだろうか。
私は海霧が特に濃く出ている方へ行ってみることにした。
そのあたりから、あの音はしている気がした。
そしてその音を聴くうちに、なぜだかその音が私を呼んでいるような気がしてきていた。
海霧が濃く出ている近くまで来ると、やはり音は間違いなくそこから聴こえてきていた。
そして、先程よりだいぶ大きな音になっている。
ブーン、ブーンという音からドーン、ドーンという音へと変わり、もはや地響きのようだった。
音の間隔も、もう有るか無いか分からない位にまで短くなっている。
心臓の鼓動が強く、速く鳴っている。
頭がなにかとても大切なことを思い出しそうになっている。
額や手から汗がたくさん出てくる。
なんだかとても怖い。
その時、ついに音と音との間隔が無くなり、一回だけ物凄く大きな、ドドーンという音がした。
そしてその大きな音と共に、海霧の中からとてつもなく巨大な一角の海蛇が現れた。
その海蛇は白銀の角と、エメラルドグリーンと乳白色が渦のように混じり合った、輝く鱗を持っていた。
その巨大な頭が海霧から出て来た時、その鋭い黄金色の瞳と目が合った。
何かを語りかけるような、伝えたいような目だった。
その目は、なぜか私を呼んでいるように見えた。
あれ? 私、本当はこの子と一緒に……
何かが頭に浮かんだ瞬間、またあのザワザワした感覚で心臓が痛くなった。
その痛みのせいで、何が頭に浮かんだのか分からなくなった。
そして、一角の海蛇は天を目指し、上へ上へとその巨大な体をうねらせながら昇っていった。
目を凝らすと、海蛇の周りにはあらゆる色の数多くの丸い珠がついていた。
ついていたというより、海蛇がその珠を運んでいるように見えた。
そして、天空に大きな雲の渦ができ、一角の海蛇はその渦の中へと消えて行った。
体中の震えが止まらなかった。
何か、決して見てはいけないものを見てしまった。
あれはこの世のものでは無い。
きっと、こことは違う別の次元と通じている存在だ。
なぜ、あんなものが見えてしまったのだろう。
あんなものを見てしまって、どうしたら良いのだろう。
天を見上げたまま呆然としていると、突然後ろからすごく強く誰かに抱き締められた。
「うわあっ!!
な、なに!?」
ものすごく驚いて後ろを振り向くと、それはエリオットだった。




