赤い血
エリオットだった。ものすごく怒っている。
そして怒鳴っている。
なんて言っているか、分からないくらい。
とても恐い顔で、私達が話しているアルコ牧場の門の前まで走って来た。
「おい! なんでここに居るんだよ!
早く帰れよ! 一歩でも牧場に入ってみろ。
ただでは済まさないからな!」
「エ、エリオット。
私、ただリシュリーちゃんと少しお話しがしたくて」
「お前がリシュリーの名前を呼ぶなよ!
早く消えてくれよ! 頼むから」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「お前の声なんか聞きたくない!
早く消えろ!」
「エリオット、お願い。そんな酷いこと言わないで。
私、悪気があったわけじゃないの」
「馴れ馴れしくするな!
僕に触るな!」
どうしよう。どうしよう。
門の向こうで、エリオットがシルビアちゃんをめちゃくちゃに怒鳴りつけている。
敵意を剥き出しにした、とても恐い顔で。
シルビアちゃんは怯えてはいるものの引き下がらず、必死にエリオットの腕を掴み、取り縋っている。
なぜ、こんな朝っぱらからうちの前で、こんな痴情のもつれのような、修羅場のような場面が展開されているのだ……?
そして、エリオット。この人は本当にエリオットなのだろうか。
とても怖い。エリオットとはとても思えない。
エリオットの怒鳴り声で、知らないうちに自分の手が震えていたことに気が付く。
なぜかそれを隠さなければと思い、手を握り締めた。
どうしよう。
とりあえず、私はここから居なくなった方が良い。
火に油というか、私の存在がこの二人の修羅場を更に激しくしている気がする。
それにきっと今、私の声はこの二人を止めることは出来ない。
「あの、とりあえず落ち着いて。
大丈夫だよエリオット。
シルビアちゃんに何も酷いことなんてされてないから。
きっと、何か誤解があるんだよ。
落ち着いて、二人でゆっくり話し合ってみたら、きっと誤解も解けるよ。
私、ちょっとあっち行ってるね」
「待って!! リシュリー! 行かないで!!
門を開けて! 僕を牧場の中に入れて!!
行かないで!!
リシュリー!!!」
エリオットが叫んでいる。
向こう側から門にしがみついて、門を揺らし、なんとかこじ開けようとしている。
見てはいけない。振り返ってはいけない。
そんな気がした。
一度振り返れば、きっと石のようになって、一歩も動けなくなってしまう。
本当はとても心配だ。とても悲しい。
でも、ここに私が居たって、出来ることなんて何もない。
「リシュリー!!
待って!! 待ってよ! リシュリー!!
お願いだから、行かないで!!
僕を牧場に入れて!!
リシュリー!!」
私はエリオットの叫び声が聞こえないフリをして、母屋の自分の部屋へと戻った。
部屋でベッドに座ってしばらくすると、シルビアちゃんのことが心配になってくる。
まさか、殴られたりとかしてないよね。
さすがにそこまではしないよね、エリオット。
でも一度気になってしまうと、とても心配になってきた。
そろそろ様子を見に行ってみるか。
そう思い立ち上がると、足音が聞こえてきた。
走ってこちらの方へ向かってきている。
この足音はエリオットだ。
足音が止まった。私の部屋の前で。
私の部屋の扉の向こう側に、居る。
あのザワザワとした感覚がする。
とても強くする。
扉がドンドンと叩かれた。
「リシュリー。この扉を開けて。
僕を入れて。お願いだから。
そのためだったら何でもするから。
お願いだから、扉を開けて」
エリオットの声が震えている。
聞いていてとても悲しくなるような声だった。
でも……
なぜだか、どうしても部屋の扉を開けてはいけない気がした。
「エリオット。
多分シルビアちゃんと、まだちゃんと話せてないでしょ。
あんなこと言ったら可哀想だよ。
大丈夫。私待ってるから、話してきなよ」
「…………
…………
…………
リシュリー、僕怪我してるんだ。
ここに来るまでに手を切ってしまったんだ。
助けて、リシュリー。
僕の血を飲んで、怪我を治して」
怪我?
大変だ。
もう、こんなことしてる場合じゃない。
私は部屋の扉を開けた。
エリオットが立っていた。
その目は、狂ってしまった人の目のようだった。
「エリオット、大丈夫?
どこを怪我したの?」
「リシュリー、血が出てるんだ。
ずっと止まらないんだ」
エリオットが左手を私に差し出した。
左手の甲の皮膚がパックリと裂け、そこから赤い血が流れ出ている。
血は左手の甲から肘へと流れて伝い、エリオットが着ている服の左の袖を赤く染めていた。
エリオットの血は、とても赤い。
エリオットの命がその中を流れていることが確かに感じられる、生命力に溢れた赤い血だった。
その赤い色を見ていると、なぜかいつも胸が少し苦しくなった。
そして、悲しくなった。
「大変! すぐ治すから待ってて」
私はエリオットの左手を取り、その傷口に口をつけ、エリオットの血を飲んだ。
いつもと同じ、蜜のように甘い血の味だ。
渇きが満たされていくのを感じる。
しかしいくら飲んでも、しばらく経てば渇きはやって来てしまう。
血をある程度飲み、口を傷口から離すとみるみるうちに傷は癒えていった。
パックリ裂けていた皮膚には、もはや何の傷跡も無い。
だけどエリオットは苦しんだ。
傷が癒えたはずなのに、床に膝から崩れ落ち、倒れ、震えている。
目からは生理的な涙の筋が落ちている。
「エリオット! 大丈夫!?」
「リ、シュリー…………」
そう言うと、エリオットはものすごい力で私の腕を掴み、そのまま気を失ってしまった。
ベッドに運ぼうとしても、私にエリオットを持ち上げる力はない。
床で気を失っているエリオットに、軽いブランケットをかけ、クッションを頭の下に挟ませてあげた。
しばらくすると、規則的な寝息が聞こえてきた。
スヤスヤと眠っているようだ。
長いまつ毛を伏せ、とても安心したような美しい顔で眠っている。
良かった。とりあえず、もう苦しんではいないようだ。
シルビアちゃんはどうなったのだろうか。
大丈夫だろうか。
もう居なくなっているかもしれないが、心配だった。
あんなこと言われて、傷つかないはずない。
あんなにエリオットに恋してるのに。
様子を見に行きたいけれど、エリオットはまだ私の腕を強く掴んだままで動けない。
そういえば。なんで門は開いてなかったんだろう。
いつもこの時間には門は開いているはずなのに。
あ!今日の門当番、バンダーとミグラじゃない。
渡り鳥の観察に夢中になって門を開けるのを忘れるなんて。
そんなんじゃ観察隊員失格だ。
怒らないと。
そして、確か去年も一昨年も同じことをしていたような。
あの時、父さんにこってり絞られていたのに。
でも今回のことで、心の底から分かってしまった。
私は、ほんっっっとうにお邪魔虫だ。
もはや、ただ存在しているだけで、あの二人の邪魔になる。
何を言っても、何をしても。
これは、本当に、心の底から、私は二人の側に居ない方が良い。
早く、血楔病を治さないと。
少なくとも、"供物"の血の代替品となる物を見つけないと。
なんとか、早く見つけないと。
二人の仲がこれ以上こじれてしまう前に、なるべく早く。
その時私の頭に突然、"巡礼の旅"、という文字が光り輝きながら浮かび上がった。




