カラフルおケツちゃん
朝日がイハの海に浮かび、上へ上へと昇っていた。
黄色や緑や青の淡いグラデーションが東の空に滲み、一日が始まっていく。
海霧が出ているのか、それはより淡く儚い色彩の空だった。
淡く儚いのに、様々な色が混ざり合っている。
そして色彩がこんなにも混じり合っているのに、なんの生命力も感じない。
そんな色彩ってあるんだ。
エリオットやシルビア・ティヘラの持つ色彩からは、辛いくらいに生命力を感じ取ってしまうのに。
この淡い色彩の空は、どうしてか生命力ではなく死を連想させる。
でもそのイメージは、なぜだかとても私を安心させた。
朝の海風は、眠りから目覚めたばかりのような新しい潮の香りがする。
昼や夕暮れに吹く海風とは全然違う。
夜の間にイハの海も眠り、生まれ変わっているのかなと思った。
だとしたらあの淡く美しい空は、夜に取り残された死の残像なのかもしれないと思った。
ロバ舎の掃除と餌やりから一日を始めた。
私がロバ舎に到着した時、ケトラ夫妻は寄り添ってまだ寝ていた。
とても仲良しのケトラ夫妻は、夫ロバのケ・ケトラと妻ロバのトラ・ケトラのロバカップルだ。
二匹とも頭の良い、お利口ロバだ。
しかし、その分ズル賢いところがある。
相手を非常に良く見ている。
そして、どのような扱いをされたか、ずっと覚えている。
だから、何か嫌なことをされるとヘソを曲げ、言うことを聞かなくなる。
バカにされるともっとひどい。
二匹して、何も聞こえていないフリをする。
二匹して、互いを毛繕いしたりなどして、今イチャイチャしてて忙しいっす、という雰囲気を醸し出してくる。
家族の中で一番ケトラ夫妻に信頼されているのはフェルマー兄さんだった。
というより、フェルマー兄さんにしか、ケトラ夫妻は完全には従わない。
フェルマー兄さんは、ケトラ夫妻やその他の牧場の動物達と信頼関係を築くのが抜群に上手かった。
上手いというより、心の底から動物達を愛しているから、それを動物達も分かっているようだった。
フェルマー兄さんを見ていると、可愛くて可愛くて大好き、という私が持つような好きの気持ちでは、本当の意味の信頼関係は、動物とは築けないことが分かる。
可愛くて好き、というのはその好きの中に、意図があるからだろうか。
動物達は、私の好きの気持ちに付いているベクトルを敏感に察知し、見返りを要求したり、気持ち悪く感じて私を避けたりすることもあった。
でもフェルマー兄さんの動物を愛する気持ちは、可愛いからとか、そういうことではなかった。
良くは分からないが、動物達と過ごす事が出来るこの世界全体や、その時間を慈しむ気持ちが大きく広がって、結果的に動物達を包んでいる感じだった。
そして、その気持ちはフェルマー兄さん自身をも包み込んでいた。
そして、そのフェルマー兄さんから放物線を描いて放たれ、大きな輪になったエネルギーを、動物達は確実に感じ取っているようだった。
「あ、ケ・ケトラ氏、背中の毛がまたハゲてるよ。
ハテの仕業だね、これ。
ただ乗っかられて、毛、むしられてないで、嫌な時は嫌って言わないとダメだよ」
「ボェー」
ケ・ケトラ氏は私の方を向き、眠たそうに少し目を開けると、一応返事してやっか、という感じで鳴いた。
面倒くさそうにではあるが、しっぽもパタパタ振ってくれたから、ちょっと今日は良い感じである。
ロバ舎の掃除と餌やりを終え、そろそろエリオットが来る時間だから母屋へと戻ることにした。
毎度のことながら、なぜかその日一番最初にエリオットと会うと、あのザワザワした感覚がしてしまう。
その時に、私とエリオットの間に扉があれば、ちゃんと深呼吸して気持ちを落ち着けることができる。
しかし、突然後ろから声を掛けられたりなどすると、自分でも制御不能なくらい驚いてしまい、なんだかエリオットに申し訳ない。
エリオットとの不用意な遭遇を避けるため、出来るだけエリオットがアルコ牧場に来る時間は、自分の部屋に居るようにしている。
母屋に向かって歩いていると、見晴らしの良い場所でバンダーとミグラが双眼鏡で何かを観察していた。
あ、今年もあれをしてるのか。
「バンダー、ミグラ。おはよう。
今年もあれしてるの?」
「あ、姉ちゃん。おはようさん。
うん。キノル湖に来てる渡り鳥を観察してるんだ」
「今年もそんな季節なんだね。
姉ちゃんにも見せて」
「ちょっとだけだよん」
バンダーから双眼鏡を受け取り、覗いた。
キノル湖の青藍の水面に、渡り鳥達が越冬のためにたくさんやって来ている。
バンダーとミグラは、こうしてキノル湖に飛来する渡り鳥の観察をするのが大好きだった。
ジャイム様の家に泊まらせてもらって一日中渡り鳥の種類や数を数えた時もあった。
「今年もたくさんやって来てるね。
あ、喧嘩してるのがいる」
「それが、姉ちゃん。
今年はこれまで見かけない種類のやつがいるんだ。
僕達の長年の研究でも、これは初めてのことだよ」
「へー。新入りさんってわけだね。
どの子? 私にも分かるかな?」
「なんか、お尻がカラフルなやつ」
双眼鏡を使い、目を凝らし、一羽一羽のお尻に注目した。
なんだか変態のようだが、決してそうではない。
確かにお尻がカラフルな子がいた。
本当に初めて見る種類の渡り鳥だ。
今まであんなカラフルなお尻を持つ子は見たこと無い。
「なんかオシャレな子だね。
どこから来たんだろう?
寒ーい場所には似つかわしくないカラフルさだけど、越冬のためにここに来てるんだもんね」
「フフン、僕達はそれを解き明かそうと思っているのだ。
あの、カラフルおケツが、どこから来たのか。
なぜ、今年はキノル湖に来たのか。
きっと世界を震撼させる真実がそこには、ある。
僕達、B&M渡り鳥観察隊は偉業を成し遂げてみせる。
あ、B&Mっていうのは、バンダーアンドミグラってことね。かっこいいでしょ」
また何かに影響を受けているようだ。
でも私も、カラフルおケツちゃんのことが気になるのでB&M渡り鳥観察隊を心から応援することにした。
「ガンバレ、B&M渡り鳥観察隊員各位。健闘を祈る!」
「ラジャッ!」
私は、隊員達に敬礼をし、母屋へと歩いた。
空を見上げた。
先程ロバ舎に向かう時に見た美しい淡いグラデーションの空とは、もうすっかり違う空になっていた。
さっきのあの空は、もう永遠に見ることは出来ない。
あの空は、死んでしまったんだ。
死の空が、死んだ。
過去の世界へと置き去られ、もう二度と蘇らない。
なんだか悲しくなった。
あーあ。センチメンタル。
でも、突然なぜ?
母屋へ近づいていくと、なんだかどこかで見覚えがあるフォルムが牧場の門の向こうに見える。
なんだろう。目を凝らした。
…………
…………
シルビア・ティヘラだ。
……え? え?
なんで?
いけない、いけない。ちょっとしたパニックに陥ってしまった。
もしや……復讐?
お邪魔虫をぶっ殺しにきたのだろうか。
まずい。そうだとしたらとてもまずい。
ちゃんと話そう。話せば分かり合える。そうであって欲しい。
私はシルビア・ティヘラへ近づいて行った。
「あ、えと。どうもおはようございます」
なんて言ったら良いか分からず、間抜けな声で朝の挨拶をしてしまった。
「あっ、リシュリー・アルコさん!
ご挨拶が遅くなってごめんなさい。
私、シルビア・ティヘラと言います。
突然お家まで押しかけちゃって、ごめんなさい。
私、どうしてもリシュリー・アルコさんとお話ししたくて」
良かった。ぶっ殺されずには済みそうだ。
「あ、そうなんですね。
リシュリー・アルコです。
どうもよろしくお願いします。
それで、お話しって?」
「エリオットのことなんですけど……」
やっぱりエリオット関係だ。
というよりそれしか、シルビア・ティヘラが私に用があることなど無いけれど。
「あの。私、エリオットのことが好きなんです。
とても、ものすごく、心の底から大好きで。
出会ったばかりなのに、おかしいって自分でも思います。でも止められなくて」
わお。
そうだろうとは思っていたけれど、こういう風に直接言葉で伝えられると、なんだかこちらまで小っ恥ずかしい気持ちになる。
やはり、シルビア・ティヘラもエリオットが運命の人だと感覚的に分かっているようだ。
「それで、エリオットといつも一緒にいるリシュリーさんのことが気になってしまって。
どんな関係なんだろうって。
お揃いのアクセサリーを身につけてないから、婚約者同士ではないみたいですし。
それで、聞きに来たんです。
ご迷惑ってことは分かってるんですけど、気になって気になって、止められなくて」
シルビア・ティヘラは恋する瞳で不安げにそう私に聞いた。
檸檬色の潤んだ瞳で、上目遣いでこちらを見ており、とても可愛い。破壊力がある。
私より少し背が低く、なんだか庇護欲が掻き立てられるというか、守ってあげたくなる感じだ。
ヴェネラの街であっという間に人気者になる訳が分かった。心から。
「えっと、私とエリオットは幼馴染みなんです。
だからシルビア・ティヘラさん、安心して下さい。
エリオットは世話好きなので、色々とぼけたところがある私の面倒を良く見てくれてるだけなんです」
さすがに血楔病のことは言えないが、嘘ではない。
それを聞いて、シルビア・ティヘラの瞳から美しい涙がこぼれた。
「はあ…………良かったあっ。
うぅ……ごめんなさい。私泣き虫で。
安心して泣いちゃいました」
シルビア・ティヘラが目をゴシゴシしている。
小動物のようである。
「あのっ、リシュリーさん。
リシュリーさんがもし良かったらなんですけど。
応援してくれたら嬉しいなって。
あ! あくまで、もし良かったらなんですけどね!
あと、私のことはシルビアちゃんって呼んで下さい。
私もリシュリーちゃんって呼んで良いですか?」
なんだか思ったより良い子じゃないか。
シルビアちゃん。
友達になれたりして?
いいよ、と答えようとして口を開こうとしたら、ものすごい怒鳴り声がアルコの道から聞こえてきた。




