ラクレット
「だからさあ、別に、マリエッタのことがものすっごく好きっていうわけじゃないんだよ。
ただ、結構仲良いし? 話も合うし?
まあ、一緒に再誕日を過ごすなら、まあ、マリエッタかなって思っただけでさ。
別に、どうしても一緒に居たいってわけじゃないぜ、別に」
「はいはい。兄さん、なんかややこしいよ。
さっさとマリエッタに、再誕日に一緒に出かけて下さいって言いなよ」
「ちょっと、リシュリー。
フェルマー兄さんだって頑張ってるんだから、そんなキツいこと言わなくても」
「え、キツいかな?」
「ややこしい……頑張ってる……」
ロバ車の御者席に座るフェルマー兄さんはカクっとうなだれた。
「まあまあ。それでさ、フェルマー兄さんはマリエッタをどこにデートに誘う予定なの?」
エリオットがフェルマー兄さんを励ます感じで言った。
「そりゃあ、エリオット。
今年の再誕日はちょうど、双角海蛇座流星群が来るから、星の砂子が見られるんだ。
もしデートするんだったら、そりゃ見晴らしが良くて夜空が一望出来る場所だな。
うん? と、するとだ。アルコ牧場がうってつけじゃないか!
そうか。牧場に特別展望スペースを作り、そこに誘う。なんて自然な流れなんだ!」
「一番最初のデートが相手の家って、マリエッタ引いちゃわないかな。ねえ、エリオット」
そう言ってエリオットを見ると、何か考え事をしているようだ。
なんだかゾッとしてしまうくらいに、一点を見つめて集中している。
「エリオットー、魂がどこか行っちゃってるよ」
「あ、ごめんリシュリー。ちょっと考え事してた」
「最初のデートが家って、マリエッタ引いちゃわないかな?」
「うーん。まあ、家って言っても、牧場の敷地は広いからギリギリ大丈夫じゃないかな」
「言われてみれば、そうかも。
やっぱり大丈夫かも、兄さん」
「……ふぅー、良かった。
いや、なんでもないぞ」
話をしているうちに、鍛冶屋フェレールの横まで来ていた。
オルノお兄さんが鍛冶屋フェレールの紋章が入った木箱をたくさん積み上げている。
長い藍色のウェーブのかかった髪をハーフアップにしていて、麗しいオーラを纏っている。
耳にはいつも長方形のピアスをしていて、ユラユラと揺れている。
「お、オルノ。ずいぶん大量出荷だな。
景気いいじゃないか」
「あ。フェルマー。それにリシュリーとエリオットも。
あれ? エリオット、特別講義はどうしたんだ。
確か夜までやってる予定じゃなかったか?」
オルノお兄さんはそう言うと、エリオットをじーっと見つめた。レンガ色の瞳を疑り深く細めながら。
「初日だからって早く終わったんだよ。
兄貴の時も多分そうだっただろ。
一応ちゃんと始まりから終わりまで居たから、安心してくれよ」
エリオットは自分のお兄さん達と喋る時は、いつもと口調が変わるのだが、それは何回見てもなんだか面白かった。
一人称まで僕から俺に変わっている時もある。
「あー。確かそうだったな。
まあ、あんなに特別講義に行くのゴネてたのに、ちゃんと行ったのは偉かったな。
リシュリーにも会えたみたいで、本当に良かったな。
フェルマー。いつもエリオットをロバ車に乗せてくれてありがとう」
「こちらこそ。うちのリシュリーがエリオットにはいつも世話になりまくってるからな。
本当エリオットには感謝だよ。
それにしても、そんなに出荷する品があったら大変じゃないか?
特別に俺のロバ車で運んでやってもいいぞ」
「ああ、これね。
相手方が直接ここまで引き取りに来るから大丈夫だよ。
ありがとな、フェルマー。
新しく出来た理髪店からの注文の品でさ。
理髪店のことは良く分からないが、こんな沢山ハサミや剃刀を使うんだな。
しかも、店名に由来してか全部、銀。
よっぽど儲かってるんだな」
それを聞いて、繋いでいるエリオットの手がビクッと跳ねた。
「エリオット。感謝しろよ。
ベレトとカルデロ兄貴が直接銀のハサミに謝りに行ったんだからな。
お前が学び舎で謎のブチギレ事件を起こしたせいだぞ。
相手の女の子、とっても良い子だったってベレトが言ってたぞ。
まあ、お前には、昔からそういう謎なところあるけどさ」
「ああ、あの銀のハサミの看板娘だろ。
もうすっかりヴェネラの街中で評判だよな。
超可愛くて、明るくて、誰にでも優しいって。
あの娘目当ての客が殺到してるってさ」
なんだかエリオットの方を見られない。
これは確実にシルビア・ティヘラのことだ。
さっきまた、シルビア・ティヘラのことでちょっとした一悶着を起こしてしまったというのに。
そしてそのせいで、とても疲れしまっているというのに。
「俺は、兄貴達に何を言われても、あいつと関わり合いには、ならない」
必死に喉から絞り出したような低い声で、エリオットがそう言った。
「なんだお前、そんな苦しそうに。
別に仲良くしろなんて言ってないだろ。
ただ、揉め事起こすなってだけだよ。
そういえば、夕飯どうするんだ?」
「アルコ牧場で食べさせてもらってくる」
「お前さ、いくらなんでもアルコ牧場に居過ぎじゃないか?
まだ正式にはアルコ牧場の一員じゃないんだぞ」
「まあ、良いんだよオルノ。
エリオットが居た方が俺達も楽しいし、どうせそのうちずっと居るようになるんだしさ。
なにより、エリオットが牧場で働いてくれる分、何かこっちもお返しをしたいんだよ」
「はあ。アルコ一家はみんな揃って、お人好しだからな。
アルコ家にちゃんと感謝するんだぞ、エリオット」
そう言うオルノお兄さんは、なんだか少しお母さんのようだった。
「ああ。感謝ならどんな時でも、しきれないくらいしてるよ。
そんなに遅くはならないから」
「分かった。
フェルマー、セルバンおじさんとトマおばさんに、俺からの感謝も伝えてくれよ。
リシュリー、いつもエリオットをありがとう」
私達はオルノお兄さんと手を振って別れ、アルコ牧場へ向かった。
その日の夕飯は、フェルマー兄さんが配達先のチーズ屋さんから安く譲ってもらったラクレットをトロリと溶かし、旬の冬の野菜と一口大に分けられたバゲットにかけた、チーズ好きにはたまらないものだった。
温かくてトロトロしたコクのあるチーズが、口いっぱいに広がって、信じられないくらい美味しかった。
ただでさえ美味しい野菜やバゲットを、更に濃厚に、美味しくしている。
ただのミルクがこんな美味しいラクレットに変わるなんて、どう考えても魔法だ。
ミルクだけがこの世に存在していても、こんな変化は起こらない。
ミルクではない、他の何かの力の働きによって、この変化は起こされるのだ。
その働きは、誰の強制も受けることなく、その存在が自由に、そうしたいように、ただあるがままに動くことによって起こる。
そして、その変化が全く別の誰かの気持ちを、こんなに幸せなものへと変化させる。
そして、その幸せな誰かを見た誰かを、また幸せに変化させる。
なんだかそれって、とてもすごいことだ。
同じくチーズ好きのバンダーとは熾烈なおかわり競争を繰り広げてしまった。
エリオットは自分の野菜やバゲットを少しずつ私に分けてくれた。
大丈夫だよと何回言っても、優しい笑顔で分けてくれた。
夕飯が済むと、いつものようにアルコ牧場の入り口までエリオットの見送りに来た。
「あのね、エリオット。
エリオットが特別講義に行く日ね、私も神官養成学校に行きたいんだ。
今日みたいにいつも一緒に帰れはしないと思うけどさ。
大図書館で歴史の本とか読んでみたいし」
私は迷いに迷って、そうエリオットに伝えた。
大図書館に行ってみて分かったことは、時間がいくらあっても足りないということだった。
エリオットと一緒に神官養成学校に行けば、時間のロスを減らせる。
そして何より、エリオットに隠し事をするのはやはり、辛かった。
しかし、私がエリオットにくっついて神官養成学校へ行けば、今日のようにシルビア・ティヘラとエリオットが仲良くなるチャンスを潰すことになるかもしれないことも、今回良く分かった。
だから、死ぬほど迷った。
でも、血楔病を治す手がかりを見つけることの方が今は優先すべきと結論付けた。
だってもし、私が血楔病を治せないまま、シルビア・ティヘラとエリオットが結ばれてしまえば、そちらの方が私が二人の邪魔になるからだ。
きっと運命の二人は少しの障害があっても、最終的には絶対結ばれるだろう。
だったら、少し二人が結ばれるのを遅らせてしまったとしても、血楔病を治す方法を探した方が良い。
そう思ったのだ。
「もちろん!
リシュリーが一緒に来てくれるって思ったら、すっごくやる気が出て来たよ。
ありがとう、リシュリー」
それでもやはり、血楔病を治そうとしていることはエリオットには、なぜだか伝えられなかった。
そうすることも考えたけれど、とてもひどい頭痛がしてきて、なんだかやめた方が良い気がした。
罪悪感はあるけど、エリオットのためにしてることだもの、と思って耐えた。
「じゃあ、また明日リシュリー」
エリオットはそう言うと、私の頬と唇の端を、温かく美しい手で、まるで溶けたラクレットのようにトロリと撫でて帰っていった。




