神官司書のヌッちゃん
「血楔病が治っても、死んじゃったら元も子も無いわ。
ジャイム様が刻印を消す方向に話を進めないのも、きっとそれが原因ね。
うん。魂に刻まれた刻印の、その大元となる呪いを解けば、リシュリーちゃんは死ぬかもっと。メモメモ」
ヌトさんはそう言いながら、高そうな羊皮紙に羽ペンでサラサラと綺麗な文字を書いていった。
そうか。今までよく考えなかったけれど、そういうことなのかもしれない。
誰かに呪われて刻み付けられた刻印のせいで、私がこの世界に生まれたとしたら、その刻印が未だに私をこの世界に縛り付けている可能性はある。
呪いが解けてその刻印が消えた時、私はこの世界での死を迎えるのかもしれない。
本来居るはずでは無かった、この世界から消えて居なくなる。
そしてその後、本当に生まれるはずだった世界に行くというのも、こうして考えると筋が通る気がする。
でも。それでエリオットを解放出来るのなら……
そう考えて、父さんや母さんや兄弟達、エミルや牧場の動物達の顔が一つ一つ、輝きながら脳裏に浮かんできた。
だめだ。きっとものすごく悲しむ。
自惚れではなく、心からそう思う。
「やっぱり、血楔病と共存していくのに一番良い方法は、リシュリーちゃんの言う通り、"供物"の血の代替品を探すことなのかもしれないわ。
うーん。要は、生命エネルギーの補給が出来れば良いのよね。
あ、それだけじゃダメなのか。"供物"の血でなければ世界との繋がりを強められないのよね。
ああんっもう! ややこし〜」
「本当にややこしい病気ですよね。
もう嫌になっちゃいます」
「ねー。っていうか、何で"供物"はその人なのかしらね。
一体どういうメカニズムが働いて"供物"は決定されるのかしらね。"供物"もなんらかの対価を得られるみたいだし、一種の共生関係よね」
「私も、なんで"供物"がエリオットなのか、自分でも全然分からないんです」
「エリオットっていうんだ。リシュリーちゃんの"供物"。
イケメン? イケメン? 美男?」
しまった。ポロリしてしまった。
もうこうなったら仕方ない。変に隠すとややこしくなる気がする。
多分ヌトさんはジャイム様から大方の事情を聞いているだろうし、色々話しておいた方がヌトさんも情報を探しやすくなるかもしれない。
「大切な幼馴染みなんです。
とても美しい見た目をしてます。
でも、心の方がもっとずっと美しいんです。
誰よりも、何よりも優しくて」
きっと、神様よりも。
そう言葉が浮かんだが、神官のヌトさんにそれは言ってはいけない気がした。
「でも、だからとても悲しいんです。
エリオットはずっと私に血をくれるって言うけど、そうしたらエリオットの人生はどうなるのって、最近考えてしまって」
「なるほどね〜。いやん、なんだか切ないわ。
でも、リシュリーちゃんの気持ちも分かるわ。
大切な人には自由に、幸せにいて欲しいものね」
「そう。そうなんです。
エリオットに、自由でいて欲しいんです。
幸せなのは大前提として」
ヌトさんと話していると、これまでモヤモヤとしてよく分からなかった自分の気持ちが分かってきた。
そうだ。私はエリオットに自由でいて欲しかった。
何よりもまず第一に。
エリオットが血を吸われて苦しむ姿を見るのは辛い。それは当たり前だ。
でもそれよりももっと、私がエリオットを縛り付けて、自由を奪い続けているという事実が、どうしようもなく苦しかったのだ。
「こんなことになってから、ずっと苦しくって。
血楔病っていう一種の大義名分で、エリオットから血だけじゃなくて、時間や交友関係や、色々なものを奪い続けて、私に縛り付け続けていて。
どうしようもなく罪深いことをしてるって感じるんです。魂の底から」
「分かったわ。リシュリーちゃんのキモチ。
苦しかったわよね。一人でそんな苦悩抱えちゃってさ。
もうこれからは、あたしはあなたのミ・カ・タってやつよ。
それになんでしょう。このフィーリング。
あたし、なんだかあなたと親友になれる気がする。
これからは、あたしのこと、ヌッちゃんって呼んで。あたしもリッちゃんって呼ぶから。
あと敬語も禁止でーす。はい、決まりっ」
ヌトさんはそう言って、ニコッと笑った。
耳の下で切り揃えられたおかっぱ髪がサラリと揺れた。
元々笑ったような顔だけど、本当の笑顔はとても可愛いかった。
これまで自分でも分からなかった気持ちを打ち明けたら、なぜかとても共感してもらえた上に、新たな親友が出来そうだ。人生って分からない。
「ありがとうございます。
でも、神官なんて高貴な方と私のような一般神領民が馴れ馴れしくして良いんでしょうか?」
「何言ってんのよ! リッちゃん。
民のための、神官よ。そんなこと神様だって、なあんにも気にしちゃいないわ。
ってか、そんな小ちゃいこと気にする神様は神様じゃありませーん」
ヌトさん、いやヌッちゃんはとても真剣にそう言った。強い信念がこもった声だった。
これまで神官は高貴な方々で、近づいてはいけないイメージを持っていたけれど、きっとそれは間違いだった。私の勝手な歪んだイメージだったのだ。
階級や身分差といったものは、神領内では存在しないはずなのに、なぜかそういったものに対する恐れが自分の中に、昔から根強くあった。
「ありがとう。ヌッちゃん」
「うふ。いいのよ。
きっと、"供物"の血の代替品を探す上で。
生命エネルギーを補給するためのモノ。
世界との繋がりを強めるモノ。
この二つは別々に探さなければならないわ。
どっちも叶えてくれるモノは、残念ながら無いと思うの」
「うん。私もそう思う。
でも、どこを探せばいいんだろう。
大図書館っていうから大きい建物とは予想してたけど、まさかここまで大きいというか、深い建物だとは思ってなかったよ」
「それはあたしに任せて。
一応、どのフロアに何関連の本が分類されているかは理解しているつもり。
そして、まずは生命エネルギー補給の方からやっていきましょう。
そっちの方が見つかり易いと思うわ。
だって人間は誰だって、食べたり寝たりして生命エネルギーの補給をしてるんですからね。
本を読むことも、生命エネルギー補給の一環と言えば一環だし。
人間にまつわる普遍的なテーマよね。
その分、どの分類にもかすってくるから、探すのが大変だけど〜」
そう言うとヌッちゃんは、ゴトッと立ち上がり右手を天井に突き上げた。
「よし! じゃあ、まずは栄養の分類のフロアからいくわよ!
もし何か食べて、それが効けば一番楽そうだし!」
「よし!行くぞー」
そう私も天井に右手を突き上げたとき、大きな鐘の音が聞こえた。
腕時計を見ると、もう夕方になっている。
嘘でしょ。時間が経つのがこんなに早かったことなんてこれまで無い。
「ごめんなさい、ヌッちゃん。
私、もう帰らないといけない。
兄さんと落ち合う予定になってるの」
「あら! そうなのね。あたし長々と喋っちゃったから、あっという間に時間が過ぎちゃったわね。
今度はいつ来れそう?
それまでに、役に立ちそうな本を集めておくわ」
私は次にエリオットが特別講義に行く予定の日を伝えた。
そして、ヌッちゃんは大図書館の入口まで私について来てくれた。
「じゃあね、リッちゃん。
今日はリッちゃんと仲良くなれて、それだけでまず大収穫よ。
あたしたち、最高のバディになれる気がする。
これからよろしくね。頑張りましょうね」
「うん。ヌッちゃん。
何から何まで、本当にありがとう。
こちらこそ、これからよろしくお願いします」
そして、私は大図書館を出た。
もうすっかり暗くなり始めている。冬の夕暮れの匂いがする。
すると、左の方から元気な女の子の声が聞こえてきた。
「ちょっと待ってったら、エリオット!
そんなに早く歩かれたら着いていけないよお!」
反射的にそちらを見てしまった。
すると、全く何の表情も浮かべずに猛スピードで早歩きをするエリオットと、それを追いかけるシルビア・ティヘラがこちらの方へと向かって来ている。
やばい、やばい、やばい。
非常にやばい。
私はさりげなーく、今来た方向にターンした。
大図書館に入ってやり過ごすのだ。絶対やり過ごす。
最大限気配を消して、慌てず歩く。
よし、あと少し。あと少しで大図書館に入れる。
「リシュリー、こんな所で何してるの……?」
エリオットの声が後ろからした。
やばい、やばい、やばい、やばい、やばい。




