銀のハサミ
中庭でエリオットと長椅子に座った。
少し寒いが、大教室の中は生徒達の熱気が充満していたので、ひんやりとした風を気持ち良く感じた。
あったまっていた自分の頬が冷えてゆく。
「エリオット、冷たい空気が気持ち良いね。
大丈夫?」
「ありがとう、リシュリー。
うん、だいぶ落ち着いた」
エリオットの顔色がだいぶ良くなっていた。
良かった、良かった。
運命の人に逢うということは、喜びだけではなくて強い衝撃もあるのかもしれない。
私はエリオットと繋いでいる手を膝の上でブラブラと動かしてみた。
そして、エリオットの気分が良くなるかなと思って、ちょっとした話をした。
「ねえ、エリオット。
フェルマー兄さんがついに、今度の再誕日にマリエッタをデートに誘おうとしてるよ。
私、この前フェルマー兄さんが一人でぶつぶつ言いながら、マリエッタをデートに誘う予行演習してるの見ちゃった」
「え、本当に? フェルマー兄さん、ついにかあ。
でも、再誕日以上のデートに誘うチャンスなんて無いし、フェルマー兄さんの気持ちも分かるよ」
「上手くいくかなあ。
でも、私マリエッタ大好きだから上手くいくといいな。
だって、フェルマー兄さんとマリエッタが結婚したらマリエッタがお姉さんになるでしょ。
ずっとマリエッタがアルコ牧場に居て、しかも家族になるなんて夢みたい」
「そうだね。それで二人に子供が出来たら、アルコ牧場はもっと賑やかになって、楽しくなるよね」
「本当だ! 確かにそうだね。
そう思ったら、もう楽しみになってきた。
早くデートして、早く婚約して、早く結婚しないかな」
「リシュリーは子供が大好きだもんね。
それでさ、えっと、今年の僕達の再誕日のことなんだけど……」
フェルマー兄さんの家での様子を見ていると、モジモジとしていて、上手くいく気は全くしなかったけど、良く考えてみれば、フェルマー兄さんとマリエッタが結婚するって最高じゃないか。
大好きなマリエッタがいつも牧場に居て、しかも子供が出来るかもしれないなんて。
赤ちゃんのお世話はパロマが赤ちゃんの頃しかしたことないけど、全力で手伝いたい。
マリエッタの側で、マリエッタと一緒に赤ちゃんのお世話あれこれをすることを想像したら、俄然フェルマー兄さんとマリエッタの結婚を全力で応援する気になった。
マリエッタがフェルマー兄さんのことをどう思っているかは今のところ全く分からないが。
そんな素敵な未来を思い浮かべることに熱中していたので、その気配が近付いて来たことに全く気が付かなかった。
「あの、はじめまして!
私シルビア・ティへラっていいます」
いつの間にか私達が座る長椅子の前にシルビア・ティヘラがやって来ていた。
どうしよう。これ、私お邪魔虫というやつでは?
二人で話させてあげた方が良いと思い、エリオットと繋いでいる手をほどこうとしたが、それにエリオットが気付いて、また痛いくらいの力で手を繋ぎ直された。
「あ、はじめまして。私は」
「……ちに……るな」
挨拶されたら、挨拶し返さないと、と思い、私が口を開くとエリオットがとても低い声を出した。
見ると、またあの目になっている。見間違いじゃない。やっぱりあの瞳の中にあったのは怒りだ。何もかも巻き上げてどこか遠くに吹き飛ばそうかとするように怒りが渦巻いている。
「えっと、あの。
私、あなたと是非お話ししたいって思って」
シルビアがエリオットに話しかける。
「こっちに来るな!!
僕達に近づくな! 視界に入るな! 何も話しかけるな!!」
エリオットが怒鳴った。
とても驚いた。エリオットが怒ったところなんて、これまで見たこと無かったから。
声を荒げたところさえ見たことないというのに、女の子に、しかも運命の人に、こんなひどい態度を取るなんて。
確かにエリオットは学び舎で他の生徒に話しかけられるのは嫌そうだったが、こんな強い拒絶的な態度を取ることは流石に無かった。
声を荒げ、怒鳴って、こんなことを言うなんて。
シルビアもとても驚いていて、驚愕と恐怖が混ざったような表情をしながら、後退りをした。
「ちょっとエリオット、どうしたの!?
今日なんかおかしいよ。本当に大丈夫なの」
私はそう言って、エリオットの腕を取る。
まさかそこまではしないとは思うけれど、もし万が一殴りかかったらどうしようと思ったのだ。
そして、殴りかかってもおかしくないくらいの、めちゃくちゃな怒りをエリオットからは感じた。
エリオットが少しだけ我に帰って、エリオットの腕を掴む私の手を撫でてから、シルビアから私を守るように私の前に立った。
「分かったな。もう二度と僕達の前に現れるな。
永遠に」
エリオットはそう言うと、繋ぎ直した私の手を引いて大教室へと歩き出した。
どうしよう。どうしたらいいの。
エリオットが何を思ってあんなことを言ったかは分からないけれど、さすがにあれはまずいんじゃないの。
見ると、シルビアが泣いていた。へなへなとその場にへたり込んで、目をこすって泣いている。
うわああ、泣いちゃってる。泣いちゃってるよ。
衝撃だった。
エリオットが、女の子を怒鳴って泣かせた。
しかもその女の子はおそらくエリオットの運命の人だ。
これは、私の中で、もはや果樹園での出来事を超える衝撃の事件だった。
大教室に戻って自分達の席に座ると、エリオットはまた震えが戻って来たようで、なんとか落ち着こうと自分の手で額を押さえて、何度も深く呼吸をしていた。
額には脂汗が浮かび、とても辛そうだ。
「エリオット、やっぱり今日おかしいよ。
ねえ、今日はセト先生に言って、もう帰らせてもらおう。
私も一緒に帰るから。
牧場に帰って、なにか果物のジュース飲もう。
この前フレサの実のジャム作ったから、それを紅茶の中に入れて飲んでも良いし。心配だよ」
「リシュリー……
うん。そうしたい」
「うん、帰ろう。エリオット。
それで落ち着いたら、一緒に編み物しよう。
ヤギ達の防寒着を今たくさん作ってるの。
編み物ってやってくうちにどんどん集中して、心が落ち着くでしょ。多分またパロマが邪魔しに来るけど、私が追い払うから。一緒に美味しい飲み物飲みながら、編み物しよう」
そう言うと、すぐに私達はカバンに荷物をまとめてセト先生に許可を取って学び舎から出て行った。
なんとなく、エリオットにたくさんの言葉をかけた方がエリオットを落ち着かせることが出来る気がして、私は沢山話しかけた。
今のエリオットの心はぺちゃんこにしぼんでいるから、それに空気を入れるようなイメージで。
そして、早くしないとと思い、珍しく私がエリオットの手を引いていた。
中庭でのあの騒動を見た誰かが、先生に通報して、もし厳しい先生にでも捕まったら学び舎からなかなか出られなくなると思ったからだ。
今の状態のエリオットにそれは、とても酷だ。
ヴェネラの街の大通りをエリオットと手を繋いで歩く。いつもとは違う、まだ昼の街の帰り道だ。
街路樹に飾り付けられたヴェネラ貝の貝殻が、日の光でキラキラと輝いている。
民家や店々の窓辺には、街路樹に飾り付けられているのと同じヴェネラ貝の貝殻が、まるでサンキャッチャーのように飾り付けられていた。
一つだけ麻紐に繋がれているものもあれば、五つくらい繋がれているのもある。
それらは、イハの海からの海風を受けてきらめきながら、カラコロと音を出して揺れていて、とても素敵だった。
こんなに素敵な街の中を歩いているのに、エリオットはまた辛そうに震えだした。
急いで牧場へと帰る私達が歩く大通りには、真新しいピカピカの、理髪店・銀のハサミが完成していた。




