リシュリー・アルコの決心
目が覚めた。まだ朝ではなく真夜中だというのに。
頭が物凄く痛い。
ギギーという不快な音が頭中に鳴り響いている。
とてつもなく巨大な、錆びた重い扉が床に傷跡を付けながら閉まっていくような音だ。
そして、今見ていた夢の記憶が消えていく。
ダメだ、この記憶は何か重要な鍵を握っている気がするのに。
血楔病のことと、約束が出来ないことへの。
待って、消えないで。消えていかないで。
ベッドの横にある机の上のノートとペンを取って、わずかに覚えていることを急いで書いた。
シ、シ、シエ……シエラ。
あの壊れてしまった女の人の名前はシエラだった。
いつも夢に見る時は、あまりの悲しみと不幸で壊れてしまっていたけれど、今回の夢ではまだ壊れていなかった。
嬉しそうで、幸せそうだった。
そして、あのシエラと話していた男の人。
あの、とても美しいけど、厳しそうな禁欲的な感じの人。
駄目だ、もう名前も思い出せない。
思い出そうとしても、顔もぼんやりとモヤがかかっている。
二人が何を話していたかについても、全くもって思い出せない。
なんで、どうして思い出せないの。
そして、記憶が大方消えてしまうと、不快な耳鳴りも治まった。
ほとんど忘れてしまった。何かとても大事な夢だったというのに。
それにしても、まだ頭が痛い。痛くて目も開けられないくらいだ。
痛みをごまかすため、両腕でギュッと自分の体を抱きしめた。
そして、手で自分をさすっているうちに、段々と痛みが和らいできた。
目をゆっくり開いた。
今日は満月で、窓から明るい月明かりがサラサラと差し込んでいた。
「なにこれ」
パジャマから見えている自分の素肌に、蛇が這い回った後のようなアザが無数に出来ている。
パジャマを脱ぎ、下着姿になって全身を見てみると、体中のほぼ全ての部分にそのアザが出来ている。
よく見ると、まるで太い蔓が身体中に巻きついているようだ。
そして気がついた。
これは、多分私が獣のように血を奪っている時にエリオットが付けたものだ。
あの時、おぼろげな記憶ではあるがエリオットにすごく強く体中を抱きしめられていた。
そして、多分痛みが強いと思われる時、より強い力でエリオットは私にしがみついていた気がする。
きっとこれはその時についたものだ。
私がちょっとしたケガをすることさえ恐れる、あの優しいエリオットがこんなアザをつけるなんて、相当の痛みを感じていたに違いない。
大丈夫だって言っていたけど、やっぱり大丈夫なんかじゃなかったんだ。
申し訳なくて、心が痛んで、涙がまた出てきた。
やっぱりダメだ、このままでは。
こんなこと、許されるわけない。
人の血を奪って、なおかつこんな痛みを与えるなんて、異常なことだ。
この数年、定期的にエリオットの血を奪い続けていくうちに、自分でも恐ろしいことに、この異常さに慣れてしまっていた。
だけど、こんなのまともじゃない。
呪われているから、そうしないと自分が生きていけないから、そんなどんな理由をつけたって、エリオットにあんなことして良い理由になんてならなかったのに。
本当に本当にごめんね、エリオット。
ーーそして、リシュリー・アルコは決心した。
なんとかして、この病を治さなければいけない。
ジャイム様は、まだ血楔病を治す方法は見つかっていないって言っていた。
でも、それは治す方法が無いという意味じゃない。
まだ見つかっていないだけで、きっと方法はある。
もし、治すことが出来なかったとしても、"供物"の、エリオットの血を奪わないで済む方法が見つかればそれで十分だ。
"供物"の血の代替品さえ見つかれば。
エリオットを痛みと苦しみから解放することができる。
今まで、エリオットの優しさに甘え続けて、そして現実から目を逸らしたくて、考えることを避け続けていたけれど、このままだったらエリオットはどうなるだろう。
一生、私に血を与え続けるために、私のそばに居続けなければいけない。
今だって、夜以外ほとんどの時間、エリオットはそばに居続けていてくれている。
でも、いくらエリオットがそれで良いと言っていたとしても、エリオットの自由を私が奪い続けているという事実に変わりはない。
それに。
きっとこのままでは一年なんてあっという間に過ぎて、十七歳になってしまう。
このままではエリオットは誰とも結婚出来ないだろう。
もし本当に好きな人が出来ても、優しいエリオットは、私のそばに居て血を与え続けることを選ぶと思う。
エリオットはこのままでは、一生私という怪物に縛り付けられる。哀れな供物として。
そして。
これは、エリオットと初めて出会ったその日から、ずっと強く感じ続けていたことだけれど。
エリオットが婚約者に選ぶ人、そして夫婦として結ばれる人は、もうあらかじめ運命として絶対的に決まっている気がする。
そしてその人は、いよいよもう私達のすぐ近くまで来ている気がする。
かなり強くそう感じる。
エリオット自身も運命の相手がいることには気付いていないだろうけど、この勘はきっと当たる。そんな気がした。
その人はきっと、光に満ち溢れていて誰からも愛され、望まれる人だ。
色彩に溢れたエリオットの隣で、エリオットのその色を更に引き立たせて輝かせるような。
そして、その人と結ばれれば、エリオットは絶対に幸せになる。
これはもはや確信がある。
エリオットとその人が結ばれることは、決して変えてはいけない運命なのだとも、強く感じる。
いつもエリオットと一緒に居る私にとって、それはとても寂しいことかもしれないけれど、大切だからこそエリオットの幸せを祈らなければいけない。
これは、なぜか絶対にそうしなければいけないという確信があった。
そうしなければ、自分もシエラのように不幸になると。
でも、そうは決めたものの、一体何から始めれば良いだろう。
とりあえず、まずは手掛かりになる情報が必要だ。それを集めなければ。
でも、どうやって?
……!
そういえば、冬に神殿内では大きな人事異動があって、神官養成学校の附属の大図書館の館長が変わるってこの前ジャイム様が言っていた。
今までの館長は保守的だったが、新しい館長は開放的な考えの持ち主だとも。
そして、その影響でもしかすると大図書館の一般神領民の利用可能書架が拡大されるかもしれないと言っていた。
ジャイム様も一応血楔病について調べてくれているようだったが、他にもやることは沢山あるはずで、全ての本を読んだ訳ではないだろう。
もしかしたら一見関係ないように見える情報が、血楔病に繋がっているということもあるかもしれない。
行ってみよう、大図書館に。
それで片っ端から、ちょっとでも血楔病に関係してそうな記述を探すのだ。
でも、それには一つ問題があることに気が付いた。
これはエリオットの幸せの為にやろうとしていることだけど、きっとエリオットは反対する。
だいぶ前に、もしかしたら血楔病について書かれた本があるかもしれないから大図書館に行ってみたいと、エリオットに言ったことがあった。
「別に僕の血を飲めば良いだけなんだから、血楔病を無理して治す必要なんてないよ」
なんて言われて、結局大図書館には行けなかった。
そして、なんとなく、血楔病を治してエリオットを自由にしてあげたいということと、エリオットには運命で決まった結ばれる相手がいるということは、決して伝えてはいけない気がしていた。
それを言ったら、何かとんでもなく悪いことが起こりそうな嫌な予感がする。
それが何故なのかは分からないけど、絶対言ってはいけない気がする。
だから、大図書館へはエリオットの目を盗んで行くしかない。
だけれど、朝早くからやって来て、それからずっと一緒に居て、夕飯まで私や私の家族と一緒に食べることが多いエリオットと離れている時間なんて、夜しかない。
そして、夜間は大図書館は一般神領民には開放されていない。
うーん、どうすれば。
良く考えたら、エリオットと私、いくらなんでも一緒に居すぎでは?
あ、そういえば。
刃物を重要な商売道具や品物として取扱う家業の家の子供は、成人の十七歳を迎える年の前年の冬に、神官養成学校で開かれる特別講義を受講しなければならないことになっていたはず。
鍛冶屋の息子であるエリオットは、それに行かなければならないはずだ。
エリオットのお兄さん達も皆受講していたし、受講期間中は結構忙しそうだった。
これだ!
なんというグッドタイミング!!
エリオットが特別講義を受講している期間が、多分唯一と言っても良いチャンスとなる。
これを逃せば、きっともうエリオットと離れていられる時間なんてそうそう無い。
一人で大図書館に行くために、その期間中はもしかするとベモット拘禁の儀式をいつもより多くしなければならなくなるかもしれない。
それは本当に申し訳なく感じるが、長い目で見たエリオットの幸せの為、血を奪わせて貰ってエネルギーを補給させて貰うしかない。
よし。大図書館で、なんとしてでも血楔病の情報を見つける。
この冬に、なんとかしてエリオットを解放するための手がかりを見つけるんだ。
ーーこうして、リシュリー・アルコの決心は固まった。




