一番熟れた甘い果実の夢
目を開けると、エリオットの腕の中だった。
いつの間にか気を失って眠っていたようだ。
エリオットはまだ服の前ボタンが全て開いたままで、その素肌が触れているところから、エリオットの温かい体温を感じた。
心臓の鼓動の音も聞こえて来る。なんだかとても安心する音だ。
記憶が曖昧になるくらい一心不乱に血を飲んでいるうちに、生命エネルギーが満ち足り、世界との繋がりも強まったらしく、血への渇望はすっかりおさまっていた。
見上げると、エリオットはなぜだかとても安らいだ優しい顔をして私を見つめていて、私の頬を何度も何度も撫でていた。
「エリオット……
私、一体どうしちゃったんだろう。
本当にごめんね。本当に本当にごめんね」
言いながら、涙が次々溢れてくる。
どうして、あんなことになってしまったんだろう。
あんな風には二度となりたくなかった。
絶対なりたくなかった。
やっぱり果樹園になんて来ちゃいけなかった。
私のような怪物が、この楽園に来てはいけなかったのだ。
「泣かないで、リシュリー。
リシュリーがどんな風になったって、僕は絶対リシュリーのそばを離れない。
どんなリシュリーでも嫌いになんてなるはずない。
血だって、いくらでも、ずっとあげるって、あの時そう言ったでしょ」
エリオットはいつもの優しい笑顔でそう言った。
涙を指でぬぐってくれる。
そして、柔らかく抱きしめて、背中をさすってくれた。
それに安心して、エリオットにしがみついて子供のようにたくさん泣いてしまう。
しがみつく私の頭にエリオットが自分の頬を寄せて左手でトン、トンと優しく背中を叩いてくれている。
エリオットはなんて優しいんだろう。
さっきの、あの嵐のような瞳は、私の見間違いだ。
そして……あの時エリオットはなんて言ったんだったっけ。頭の中にノイズが響いて思い出せない。
もしかしたら、あの場面全てが、血に飢えた私の頭が作り出した妄想だったのかもしれない。
きっと、そうだ。
あんな酷いことをした怪物に、こんな風に優しくしてくれるエリオットは、いつもの優しい優しいエリオットだ。
念のためみんなより一足先に帰らせてもらうことにした。
体調が悪くなってしまったとアダンに伝えた時、アダンはなんだか心配そうに、私に何か伝えたさそうだけど、何かに怯えているようだった。
でも、エリオットが早く牧場に帰った方が良いと言うので今日誘ってくれた感謝だけ伝えて、牧場へとエリオットといつものように手を絡めて帰った。
牧場に着いてエリオットが自分の家へと帰って行く時、私はもう一度謝った。
「エリオット、今日は本当にごめんね。
埋め合わせなんて言ったら失礼かもしれないけど、私に出来る事なら、なんでもするから。償わせてね」
「そんな、気にしないでって言ってるのに。
でも、そう言ってもらえるなら今度晴れた日にピクニックに行きたいな。
水路の近くの、二人で見つけた僕達だけの秘密の花畑に。
また僕がリシュリーの大好物の甘い卵焼きのサンドイッチ作るから」
エリオットはそう嬉しそうに、もう今からその予定を心待ちにしているように言った。
「行こう、行こう。
私もちょっとしたもの、何か作るね。
わあ、今からすっごく楽しみ。
あの秘密の花畑で食べるエリオットのサンドイッチは世界一美味しいんだ」
私は約束は出来ないが、こうして同意することは出来る。それが約束が出来ないことについての唯一の救いだった。
これまで約束のことについて分かっていることは、相手から「約束だよ」というような言葉を受けた時、言葉を何も返せなくなってしまうこと。
そして、自分から決して約束が出来ないことだった。
なので、なんとなくそうなったことや、強制力を伴わない予定の取り決めなどは普通にすることが出来た。
どうやら"約束"という言葉を互いに交わし合うことと、強力な拘束力を持つ未来の取り決めが、決定的に出来ないようだった。
「ありがとう。とっても楽しみだね。
じゃあ、僕はそろそろ帰るね。
……リシュリー、忘れないで。
いつでも僕はリシュリーのそばにいるから。
ずっと血をあげるから。いつまでもずっと」
エリオットはそう言って私の両手を自分の両手で握り、繋いだ手の指の絡まりを強くして、私の目をじっと見つめてそう言い、帰っていった。
なんだかとても真剣な目だった。
その夜、あの壊れてしまった女の人の夢を見た気がした。
厳密に言うと、あの壊れてしまった女の人がまだ壊れる前の夢だ。
「シエラ、調子はどう?」
あの女の人が、シエラと呼ばれている。
呼んだのは、長い漆黒の髪を後ろで三つ編みの一本結びにして高貴な感じの服を着ている、エリオットと同じくらい美しい顔をしている朱い目の男の人だった。
服は見たことの無い形で、白い詰襟のシャツの上から、丈が長く袖が無くて、肩のところが紐になっていないエプロンのような赤紫色の服を重ねて着ていた。
その男の人は全体的になんとなく、エリオットに似ていた。
でも、決定的な違いがあった。
エリオットはどこか官能的で妖艶な雰囲気を持っていたが、その男の人はとても禁欲的な厳しい自制の気配があった。
赤紫色の服の左胸には、何かの紋章が縫い込まれ、それはなんとなくだが神の道を示し表している気がした。
「カイン、来てくれたのね。
調子は結構良いよ。元気なくらい。
カインと会えたから、もっと元気出てきちゃった」
びっくりした。あの女の人がとても嬉しそうだ。
いつもほとんど忘れてしまうが、あの女の人、シエラが夢に出て来る時は、壊れてしまうくらい悲しそうで不幸そうだったから。
そして、その声。
初めて聞いたけれど、私の声と似ている気がする。
「良かった。最近あまり会えていなかったから心配していたんだ」
「カインのその気持ちだけで十分嬉しいよ。
忙しいのは仕方ないもの。
僧院で、多くの聖職者の中から選ばれて、重要な仕事を任されるなんて、とてもすごいことだよ」
「僕……私には荷が重いよ。聖女様の教育係なんて。
私はどこか田舎の小さな僧院で教えを説きながら、シエラとのんびり暮らせるだけで、それだけで十分すぎるくらい幸せなのに」
そう言うと、その男の人、カインはシエラの頬へと手を伸ばし、しかし頬に触れる寸前で手を止めて自分の方へと戻した。
「十七歳に、十七歳にさえなれば。
正式に夫婦にさえなれば、君に触れることが出来る。
十七歳になったら、ここから出て、どこか二人だけで暮らせる所に行こう。
僧院にはもう、そう願い届けを出してる。
きっと叶うはずだ。
……それで、子供を沢山作るんだ。
そして、ずっと仲良く暮らそう。いつまでもずっと」
それを聞いて、シエラは照れて何秒か固まっていたが、本当に心から嬉しそうに笑って言った。
「そうだね。出来たら、海が見える場所がいいな。
それでね、動物達もたくさん飼うの。
子供達もたくさん、動物達もたくさん。
それでカインがいるなんて、まるで天国みたいね。
みんな歌って踊っていたりしていそう、なんてね」
「そうだね。
でもね、シエラ。
いつも言うように、物や動物達には、魂は無いんだよ」
カインは何も知らない幼い子供に言い聞かせるように、もうその話を大勢の人に何千回と教え慣れているように、シエラに言った。
それを聞いたシエラは、顔には出さないがとても悲しそうだった。
その時、二人が居る部屋がある建物の外から、ものものしい複数の声が聞こえてきた。
「あいつらを探し出せ
一人残らず見つけ出して、磔にしろ
そして灰になるまで燃やし尽くせ」
それをシエラに聞かせないように窓とカーテンを閉めると、カインが言った。
「次の収穫祭、一番熟れて甘くて美味しい実を見つけてあげる。
約束する。
収穫祭でとれた一番熟れた甘い果実を食べた者は、ずっと子宝に恵まれるって言うからね」
そう、少しいたずらっぽい目をしてカインが笑った。
「うん、約束だからね」
シエラがとても幸せそうに言った。
そこで夢は終わった。




