貪り屠るもの
どうしたのだろう。こんなエリオット見たこと無い。
「エリオット、どうしたの?
調子悪そうだよ。大丈夫?」
その私の言葉に、混沌として暗闇に呑まれていたエリオットの瞳に、光がほんの少しだけ戻った気がした。
腕を掴む力も少し緩んだ。
だけど。
「おーい、リシュリー!
早く来てくれよおー」
アダンの声が聞こえてきた方を気にする素振りを見せた時、再びエリオットの瞳の中の嵐が荒れ狂った。
先程よりもっと強く。灯台の光へと向かって進む船を逃すまいと、壊し、沈めるような嵐だ。
そして、エリオットがゾッとするほど美しいのに、見ているこちらの心が痛むほど、ひどく悲しい笑顔で言った。
「……ねえ、リシュリー。
僕が、一番熟れて甘くて美味しい実を、見つけてあげるよ」
エリオットのその言葉を聞いた途端、体の真ん中に穴が空いた気がした。あの時と同じように。
そこにエネルギーが吸い込まれていく。
ゴウゴウと音が聞こえるのではないかというくらい強く。
止められない。このままでは。
どうしよう、どうしよう。
朝、ベモット拘禁の儀式をしたのに。
血を奪ったのに。
でもおかしい、これはいつもと違う。
いつもなら、生命エネルギーが枯渇した時でも、ベモット拘禁の儀式のおかげで飢餓感は無かった。体に力が入らなくなるだけだ。
今は血が欲しい。体中が血を欲している。
激しすぎる渇きで死んでしまいそうだ。
血が飲みたい。血が欲しい。
ダメだ、ダメだと思えば思うほど、どんどん欲しくなって、血への渇望を止めることが出来ない。
どうしても止めることが出来ない。
これは、あの時と同じだ。
一番初めにエリオットの血を奪った時。
獣のようにエリオットに襲い掛かった時と。
このままではいけない。どうにかしないと。ここは牧場ではないのに。もし誰かに見られたら。
多分捕まって、殺される。
「エリオット、どうしよう。
なぜか今、血が、血が欲しいの。
なんとか、牧場まで帰らないと」
なんとか、なんとか頑張って帰らないと。
なんとかすれば帰れるはずだ。
大丈夫、エリオットが隣で一緒に歩いてくれるはず。
よろよろとプラタス果樹園の入り口へと向かおうとする。
「リシュリー、我慢しないで。
僕の血を飲めば良い。
そうすればその苦しみから解放される。
こっちへ来て。誰にも見つからない場所へ行こう」
エリオットがそう言って、掴んでいた私の腕を体ごと引き寄せ、私の腕を掴んでいるのとは反対の腕を私の腰にまわし自分の腰に引き寄せて強く固定させた。
そしてどこかへ歩き出した。
なんとか逃げ出そうとしても強い力で腕の中に閉じ込められ、かなり近い所に居るエリオットから美味しそうな匂いがしてきて、理性が効かない。
今の私は人間ではない、"供物"の血への渇望に、おぞましい食欲に支配された怪物だ。
自分の中の怪物と闘って、でも負けてしまって辿り着いたのは、果樹園の敷地の端で鬱蒼とした樹々に隠されたような、物置として使われている小さな木の小屋だった。
その扉を開け、私をそこに優しくだけど有無を言わさず押し込むと、すぐに扉を閉めて小屋の中に置いてあった農具を何個かその扉の前に置いた。
そして、エリオットは服の前ボタンを素早く全て外し大きく広げ、上半身を見せつけた。
肌や筋肉がいつもより多く見えて、それが血への渇望をひどく強めた。
「こっちへ来て。リシュリー。
僕の血を飲むんだ」
腕を引っ張られて無理矢理抱きしめられ、頭をエリオットの首元へと固定させられる。
首元の血管が目の前にあった。
もうダメだった。
エリオットを壁に押さえつけた。
獣のように噛み付き、血を吸い上げる。
いつものように加減が出来なくて、エリオットがあまりの痛みで苦しみの叫び声を上げた。
大きく震えながらのけ反っているのが分かる。
溺れている時になんとか波間から顔を出して、必死で息を吸う時のような呼吸になっている。
震えがおさまった後、エリオットは力が抜けて座り込んでしまったが、私はそのままエリオットに覆い被さるような格好になり、血を飲み続けている。
なんて酷いことをしているんだろう、私は。
でも止めることが出来ない。
悲しくて涙がたくさん出てくる。
悲しい、悲しい。
小屋の外から、鳥達の歌が聴こえてくる。
咲き誇る花の香りが優しい風に乗って薫ってくる。
果樹の葉が互いを擦らせて出すざわめきの音と、よく育った果実が風に揺れる音がしている。
遠い場所から、みんなの笑い声が聞こえてきて、楽しそうな気配を感じる。
地上の楽園のようなこの場所で、私は血を飲むことを止めることが出来ない。
私は怪物だ。
狩り取った獲物を貪り屠る、血に飢えた獣だ。
エリオットの血を泣きながら奪いながら、私は忘れたかったあることを思い出していた。
昔、アルコ牧場で牧羊をしようとしたことがあった。
羊を飼育して、伸びた羊毛を刈り取らせてもらってそれをウールにして、街の仕立て屋や生地屋に売って収入を増やそうとしたのだ。
実際に、十数頭の羊を買って飼育し始めた。
その頃もう外に出られるようになっていた私は、羊達のお世話を買って出ていた。
羊達はとても可愛くて、暖かくて、お世話をするうちに心を許し始めてくれている気がした。
だけど。
ある暖かい春の夜、全員殺されてしまった。
狼達がやって来たのだ。海の道を通って。
狼達はまだ完璧に整備しきれていなかった羊舎の脆い場所を見つけ、そこを壊して入り込んで羊達を皆殺しにしたのだ。
翌朝見た羊達の亡骸は、皆貪り屠られ、血や内臓の破片があたりに飛び散っていた。
腐り始め、濁って何も映さない眼球が、少し離れた所に落ちていた。
羊達と見つめ合った時、確かに感じられた知性の光は全て消え去っていた。
私はあの狼と同じだ。
獲物を貪り屠り、後にはただ惨たらしい亡骸しか残さない。
出来ることは奪い去ることだけだ。
何かを育てて未来に実を結ばせることが出来ない。
約束も出来ない。誰にも未来を与えられない。
大切なエリオットに痛みと苦しみしか与えられない。
いつだってそうじゃないか。
ふとジャイム様の言葉を思い出した。
ジャイム様。
食べられたものはきっと喜びなんて感じない。
ただ悲しみと、痛みと、絶望があるだけだよ。
食べるものと食べられるものの間には、何もない。
あるとするなら、この不条理な世界を成り立たせるため命に組み込まれている、おぞましい一方的な欲望だけ。
一方の命を長らえさせるための、利己的な都合だけ。
そのために、捕食者は獲物を食べて殺すんだよ。
殺さなければ生きていけない。
世界が最初からそんなふうに創造されているせいで。
どうして世界はこうなの。ジャイム様。




