禍々しい朱い夕焼け
どうしよう。どう言って断ろう。
勉強時間が始まって、机に栄養についての学問の教科書を出して勉強を始めたものの、頭の中はどんな理由をつけてアダンの誘いを断ろうか、そのことでいっぱいだった。
せっかくの誘いの申し出を断るのは心苦しいし、果物泥棒のサル達の泥棒連携プレーは心の底から見てみたい。
だけど、アダンの家に行くことは出来ない。
ごくたまにエミルの家に遊びに行く時は、エリオットについて来てもらう上に、その前日に念のためベモット拘禁の儀式をして血を貰っていた。
まだ生命エネルギーが枯渇していないにも関わらず、あの儀式をしてエリオットを苦しませるのはとても心が痛かった。
エミルは私が虚弱体質だと知っていたから、遊びに行く日も体調が万全な日に合わせてくれたし、その日の朝ダメそうなら連絡無しで来なくて良いから、と言ってくれていた。
なので本当は、ベモット拘禁の儀式をする必要は無かったのに、エリオットが念には念を入れようと言って、遊びに行く前の日は必ずあの儀式をすることにしたのだった。
エリオットはベモット拘禁の儀式をすれば、自分も傷が癒えたり、調子が良くなるからと言って、むしろ自分はあの儀式をしたいと言ってくれていた。
エリオットによれば、儀式の効果なのか、血楔病の"供物"はもともとそういうものなのか、私に血をいくら飲まれても貧血に全くならないとも言っていた。
でもそれがエミルの家に遊びにいくのを心の底から楽しみにしている私への優しさということを分からないほど、私は馬鹿ではなかった。
なので、本当は瞳の色が白銀色に戻った時だけ、必要不可欠な時だけしか、ベモット拘禁の儀式はしたくない。
アダンの家に行くということは、その前日かその日出かける前にあの儀式をしなくてはならないということだ。
そこまでして、泥棒ザル達の連携プレーは見たくない。
それよりも、大切な幼馴染みのエリオットが苦しまないことの方が重要だった。
よし、家の仕事を手伝わなければならないと言おう。秋はやることが沢山あるから、怪しまれないはずだ。
そんなことを考えているうちに、休憩時間になった。
「じゃあさ、リシュリー、うちに来るのいつにする?
今度の休息日とかはどうよ」
さっそく前の席に座っているアダンが身を乗り出して話しかけて来た。
もうすっごく楽しみにしている感じだ。
申し訳ないけれど、断らなくては。
「あのね、アダン、そのことなんだけどね」
勇気を出して口を開いた。ちょうどその時。
「なになに? なんの話してるの?」
エミルがやってきていたようで、私達の話に興味ありげに参加してきた。とても心強い味方が来てくれたと思った。
「あ、エミル。リシュリーを我がプラタス果樹園に招待したんだよ。それで、その日取りを決めようとしてるとこ」
「え、いいわね、それ。
あんたこの前、俺のところの果物が一番旨いから、学び舎のみんなにそれを証明するため、みんなまとめて果樹園に招待するって言ってたわよね。
リシュリーを招待するなら、私たちみんなまとめて招待しなさいよ」
「はあ!? ちょっと待てよ、俺はだな」
人気者の二人の会話を聞きつけて、どんどん生徒達が賑やかに集まってきた。
「どうしたの? どうしたの?」
「アダンが学び舎のみんなをプラタス果樹園に招待してくれるんだって。果物も食べ放題だって」
「おい、ちょっと待て。今なんて言った?
そんなことしたら、うちの果樹園はすっからかんになっちまうだろ!?」
「えー、そんなこと言ってアダンの家の果物、本当はそんなに美味しくないんじゃあないの?」
「そういえばプラタス果樹園のライバルのテレンス果樹園の果物、最近評判良いよね。この前食べたら甘くてとろけそうだった」
「うちの果物が一番旨いに決まってるだろ。
……全く仕方ないな、お前ら。
くそ、みんな来て良いことにしてやる。証明してやるよ、プラタス果樹園の実力ってやつを。
ただし、収穫の手伝いをするんだからな。果物もちょっとだけ食べさせてやるが、あくまでおまけだ。
果物食べ放題じゃないからな!
日にちは次の休息日だ。くそっっ」
こうして、学び舎の生徒達有志による、プラタス果樹園へのちょっとした遠足が決定した。
エミルはちゃっかり、セト先生にその引率を引き受けさせていた。
学び舎からの帰り道、私は後悔していた。
あのちょっとした騒ぎのせいで、アダンにプラタス果樹園には行けないと伝えられなかった。
遠足が行われる次の休息日まであとちょっとしかない。それまでにまた学び舎に行けるだろうか。
手紙を書いて謝ろうか。色々と考えていた。
「エリオット。アダンに果樹園には行けないって言えなかった。そのことどうやって伝えたら良いかな。
せっかく誘ってもらったのに、何も言わずに遠足に参加しないって、人としてどうかと思うよね」
あの時青白くなっていたエリオットだが、今はすっかり調子が戻ったのか、いつもの血色の良い美しい肌の色に戻っていた。
「せっかくだから、行こうよ。
最終的に学び舎の生徒なら誰でも行っても良いってことになったから、僕も行けるし」
あのエリオットがこんなことを言うなんて!
一番苦手そうなアダンの家に行くことについて乗り気だなんて!
「でも、そのためにベモット拘禁の儀式をするの、申し訳ないよ。やっぱり私、果樹園には行かない」
「大丈夫だよ、リシュリー。僕なら大丈夫。
アダンだってリシュリーに来て欲しいと思ってるよ。一緒に行こう。
でも、念の為、果樹園に行く日は前日じゃなくて、出かける前にあの儀式をしよう。
果実の収穫は体力を使うだろうから、念のため、ね」
エリオットが優しい笑顔で、私を見下ろして言った。毎日一秒ごとに身長差が開いていっている気がする。
手を絡めて繋ぎ、気持ちの良い夕方の風に乗って、エリオットの肩に届くくらいのサラサラの金髪から良い匂いがしてくる。
ヴェネラの街のそこかしこから、夕飯の支度をする音や匂いが漂ってくる。
店々は夜の掻き入れ時の為に準備を始め、人が発する活気の匂いが街中を満たそうとしている。
それら全てが混じり合ったこの匂いは、幸せの匂いだと確かに思う。
だけど、何か違和感を感じる。
いつもの、ただ優しいだけのエリオットの笑顔ではない気がする。
何か私には捉えきれない感情を孕んでいる気がする。
ザワザワ、ザワザワと、あの感覚がする。
どうして、なんで、優しいエリオットにこんな感覚を感じてしまうの。
「あ、見て、リシュリー。
あそこ、フェルマー兄さんが居るよ」
その声で現実に戻り、エリオットが指差す方を見てみると、フェルマー兄さんがいた。
あのノッポと赤毛の天パの組み合わせはフェルマー兄さん以外にそうそう居ない。
その日牧場で取れたミルクを、ロバのケトラ夫妻が引くロバ車で、取引先のレストランやバルに搬入しに来ているのだ。
評判のレストラン・バンケットの、評判の看板娘のマリエッタと、店の前で話し込んでいる。
目がおたまじゃくしのような形になって垂れ下がっている。
ニヤニヤ、ヘラヘラとしている。
牧場で兄弟達といる時は、長男の威厳を必要以上にアピールしてくるフェルマー兄さんのあの姿。
とても面白い。バンダーとミグラに話そうっと。
「フェルマー兄さん、マリエッタ、こんにちは」
「うわっっ、リシュリー、エリオット!!!
今学び舎からの帰りか?
ちょうど良い、俺も今全部搬入が終わったから、マリエッタと話し始めたとこなんだ。たった今な。
ロバ車に乗せてってやるよ」
驚かす気持ちが全く無いとは言えなかったが、思ったより驚いていた。
私達はマリエッタからちょっとしたお菓子を貰い、手を振って別れた。
器量良しで働き者のマリエッタのことはフェルマー兄さんだけでなく、私達も大好きだった。
エリオットとロバ車の荷台に乗る。
ケトラ夫妻の引くロバ車がポカ、ポカ、とゆっくりとアルコの丘を上がっていく。
荷台からはイハの海へと沈んでいく夕日が見えた。
だがその夕日はまるで地獄の空に浮かぶ業火の炎の球のようだった。
そしてそれが起こす夕焼けは、凄まじいほど禍々しい朱の色で、島全体を朱く染め尽くし、焼き尽くそうとしているように見えた。




