紋章が刻まれた髪留め
「今日エリオットが血をくれたから、明日は学び舎に行けるね。
最近調子が不安定でなかなか行けなかったから、久しぶりだね。嬉しいな」
手を絡めて繋ぎながら、明日のことを話す。
エリオットはまだ横たわって呼吸を整えている。
明日は学び舎に行ける。それを考えただけでワクワクしてくる。
「……そうだね。明日はどんな髪留めにする?」
エリオットはいつもと同じようにそんなに嬉しそうじゃない。
あの日。初めてエリオットの血を奪った日にジャイム様がもしかすると、と推測したことは当たっていた。
それまでの私にとって有毒なものであったはずの日光に当たっても何ともなくなり、虚弱な体質も完璧とは言えないものの、だいぶ改善された。
特に血を奪った次の日は、その血のおかげでエネルギーが満ち足りているので、とても調子が良くなる。杖も必要無いくらいに。
そのため、念のため数ヶ月間血を奪った後の私とエリオットの様子を見て、二人とも大丈夫であることがほぼ確実になった十二歳の時、ジャイム様の勧めもあり、それまで行けなかったヴェネラの街の学び舎に行けることになった。
学び舎は神殿が運営する、家業を営む家の子供が通う学校の通称だった。
同じようにヴェネラの街にある、神官を育てるための神殿附属の神官養成学校とは、同じように神殿が運営している学校でも、全然その形態が違っていた。
神殿附属の神官養成学校は全寮制であり、入学とともに生徒全員がそこに備えられた寮へと入り共同生活を行う。
そして、朝から決められたスケジュール通りに授業を受けて、礼拝を行い、修行を行う。
一方学び舎は生徒それぞれが好きな時に来て、それぞれの家業に役立つ実用的な学問をそれぞれのペースで学ぶ、とても自由な場所だった。
毎日来て沢山勉強している生徒も居れば、滅多に来ない生徒も居た。
朝早くに来て昼前には家業を手伝うために帰る生徒も居れば、お昼ご飯が終わってからやって来る生徒も居た。
家業によって繁忙期も違うので、名前だけは聞いたことはあるけど会ったことの無い生徒も多く居た。
そのような場所なので、私達が学び舎に来るのが不定期なことについて誰も不思議に思っていなかった。
私は学び舎が大好きだった。
エリオットの血を奪うようになってから、自分の部屋から出て、牧場の中は自由に歩き回れるようになった。
それでも、アルコの丘を降りヴェネラの街に出て、家族やエリオット以外の人を見たり、喋ったり、同じ位の歳の子と友達になるのは、ずっと夢に見ていた最高に楽しくて嬉しいことだった。
十二歳から学び舎に入る生徒は珍しかったらしいが、出会った子達は親切に受け入れてくれて、すぐ友達が沢山出来た。
特に大繁盛しているお土産物屋のエドラ物産館を営んでいる家のエミル・エドラとは親友になれた。
学び舎は私に、友達や学問や、外の世界を教えて与えてくれたのだった。
例の血楔病のことについては、神殿に人脈を持つジャイム様が、学び舎の中でも信用出来る限られた人にそのことを伝えて、便宜を図ってくれた。
そんな大好きな学び舎だが、エリオットはあまり好きではないようだった。
アルコ牧場の中で私や私の家族と過ごしているときは表情豊かで、よく喋るエリオットだが、ヴェネラの街へ行くと別人のように大人しいというか、私以外に対して無表情で冷たい感じになってしまう。
そして。これは単なる私の勘だけれど、ある特定の誰かに会ってしまうことをとても恐れているような雰囲気を、ヴェネラの街でのエリオットからなんとなく感じていた。
学び舎では基本的に誰にも自分から話しかけないし、話しかけられても本当に必要最低限の対応しかしない。
しかもその時、特に相手が女子の時はものすごーく嫌そうな雰囲気を醸し出す。相手が泣いてしまいそうになるくらい。
あれは本当にやめた方が良いと思う。
最初学び舎に行き始めた時、すごく美しい男の子が居るぞと、みんなエリオットと友達になりたくてこぞってやって来たが、そんな感じなのですぐ飽きられていた。
今ではエリオットは、私と一緒に丘の上から学び舎にやって来る、美しいけど無口でつまらないやつ、という悲しい人物像が確立されていた。
それまで、優しくておせっかいで人懐こいエリオットしか知らなかったから、エリオットにそんな一面があったとは……と驚いたものだ。
そして少し困るのは、いつ血が不足して体に力が入らなくなってもすぐに助けられるように、などと言って、学び舎でもいつも何気なく側にいることだった。
休憩時間に友達と窓際に行って喋っている時も、気がつけば、少しは離れているが結構近い場所に居る。
別に聞かれてまずいことを喋っているわけではないけれど、なんとなく聞かれたくないこともある。
トイレに行っても出てくると、ちょっと遠くで何気ない感じを醸し出しながら立っている。
これは普通に嫌だ。
一応もうすぐ十六歳の私達は思春期まっただ中のはずだ。
そんなこともあり、牧場で過ごしている時よりも、学び舎に居る時の方が、言っちゃ悪いけれどエリオットのことを若干めんどくさく思うのであった。
しかし、そんなことは言ってはいけない。
学び舎では神殿から派遣された先生から教わるというだけではなく、同じような学問が役立つ家業の子が近くの机に座りお互い教え合うのも勉強方法の一つだった。
その時、沢山の本を読んでいて賢くて物知りなエリオットは分からないところをすぐに教えてくれるし、教え方も上手かった。このことはいつも感謝していた。
一応牧場でも一緒に簡単な勉強はしていたが、学び舎で教わる、もっと難しい学問はすぐ分からなくなってしまって、そんな時はすぐエリオットが教えてくれた。
本当はエリオットは鍛冶屋の家の子のはずだが、自分も牧場の仕事に役立つことを勉強したいからと言っていつも私の隣に座っていた。
最近は、ヴェネラの街付近で一番大きい果樹園の息子で、毎日学び舎にやって来ているというアダン・プラタスも近くに座って、三人で一緒に勉強することが多く、お互いに教え合ってやっていた。
牧場と果樹園は、土についての学問や、栄養についての学問など、知っていると役に立つ学問がかなり多く共通していたからだ。
アダンは誰とでもすぐ打ち解けるような明るい性格の持ち主で、友達が沢山いるせいか面白い話をいっぱい知っていて、話していて楽しくて面白い友達だった。
そして、学び舎に行く日は朝エリオットが早めに迎えに来てくれて、髪の毛を編み込んで結ってくれた。
その時はいつも牧場にいる時に使うようなシンプルな髪結紐ではなく、ちょっとした飾りが付いた髪留めを使ってやってくれた。
本当に色々と作るのが好きなエリオットは、これも手作りしたらしく、その髪留めの飾りには鍛冶屋フェレールの紋章とは違う、エリオットが作った独自の紋章が刻まれていた。
その紋章はカッコ良い上にちょっとした高級感を出していて、なかなか良い感じだった。
街に行く時はちょっとオシャレにして行きたい年相応の乙女心を持つ私としては、そうしたオシャレ要素は喜ばしいことだった。
ただ、その紋章を、私は前にどこかで見たことがある気がしていた。
だけど、似たような紋章なんて探せばいくつもあるし、そのことを考えると、あのザワザワした感覚がかなり強くして気持ち悪いので、ただ素敵な髪留めを作ってくれたことに感謝するようにしていた。
エリオットの紋章が刻まれた髪留めはいつの間にかかなりの数と種類になっていて、最近はその日の気分や洋服に合わせて選べてご機嫌なのであった。
こうして考えてみると、学び舎のこと関連でもエリオットに感謝すべきことは沢山あった。
「うーん、じゃあ、この前赤い蝋石で作ってくれたバラの花の形のやつにしようかな。
とっても可愛くて気に入ってるんだ。
作ってくれて本当にありがとうね。エリオット」
「そっか。気に入って貰えて良かった。
僕もあれ、自分でなかなかの出来だと思ってたんだ。
紋章も上手く刻めたし、何よりリシュリーの薄紅色になった瞳の色にも良く合うし」
「明日何着て行こうかな。髪留めに合うやつを選ばなくちゃ。
あ、そういえばこの前のアダンの話、面白かったよね。
果樹園にたまにどこからかやってくる果物泥棒のサルの話。そして、そのサルとアダンの戦い。
引き分けが多いって言ってたね。
でも、サルと人間が戦って引き分けになるって、どういう状態のことなんだろう。
私、この話を聞いてから、アダンと泥棒ザルが本気で格闘して、お互い最後の一撃で同時に倒れる映像がふとした時に頭に浮かんできちゃって、笑っちゃうの。
来てるだろうけど、明日アダンも居るといいな」
「…………そうだね」




