銀の戒め
あれから約五年の月日が経った。
私とエリオットはこの秋が終わり、冬が来れば十六歳になる。
しかし、やっと辿り着いた屋根裏部屋に描かれた聖なる六芒星の様子はあの日と何一つ変わらない。
あの日から屋根裏部屋は私とエリオットの儀式のための部屋になった。
床に描かれた六芒星の中心の正六角形を囲む六つの正三角形の中には、父さんと母さんとエリオットが探し出した六つの銀で造られた物が置いてある。
遠い国の記念コインが三つと、スプーンとフォークが一つずつと、ナイフが一つ。
全て貰い物だったのが我が家らしかった。
描かれた六芒星の、六つの正三角形の中に銀で造られた物を置き、中心の正六角形の中で、激しい渇望を感じる対象を摂取すれば、そのものへの飢餓感を一定期間抑えることが出来るのがベモット拘禁の儀式だった。
これをすることにより、私が血を求めて獣のようになることは無くなった。
ただ、血が足りなくなってエネルギーが不足すると体に力が入らなくなっていくので、念のためにいつも杖を持ち歩かなければならなかった。
銀のナイフを目に入れたくない様子で、エリオットがそれに背を向けるように六芒星の中心の正六角形の中に胡座をかいて座った。
そして、服の前ボタンを一つ一つ上から下へと外していき、大きく首元をはだけさせた。
「リシュリー、準備出来たよ。
早くこっちへ来て」
エリオットにおずおずと近づいていく。
行きたくない。本当は行きたくない。
ジャイム様にベモット拘禁の儀式をしてもらってから、一番初めにエリオットの血を求めた時のように自分を抑えられなくなることは確かに無くなった。
だけど、エリオットの血を奪う自分へ対する嫌悪感はどんどん強まっていた。
うつむいてエリオットの前に立つと、エリオットに手を繋がれる。
「心配しないで。僕は本当に大丈夫だから」
優しく、だが強く繋いだ手を引かれ、エリオットの胡座の上にお互いの腹部が合わさるように座り込む。
生命エネルギーが溢れ出す場所である互いのおへその位置を合わせるというのがこの儀式の効果を高めるために重要ということだった。
十六歳が近づき、エリオットはあの日より格段に大人びてきていた。
可愛らしさを僅かに残すものの、類まれなどこか妖艶な美しさと、凛々しさを併せ持つ男性の姿へと着実に変化していた。
それに、鍛冶屋の血のせいかエリオットは、その中性的な美しい顔に似合わず筋肉が付きやすい体質だった。
そのため、服の上からではあまり分からないが、同年代の男の子達に比べてたくましい体つきをしていた。
私に合わせて一緒に牧場仕事をしているのも原因だろう。
そのせいかその血は子供の時に比べ、どんどん甘く濃厚になっていた。
自分の両手をエリオットの両肩に置くと、エリオットが私の脇の下から自分の腕を私の背中へとまわす。
そして、片方の手で互いの腹部を固定させるように私の腰を自分の方へ引き寄せ、もう片方の手で私の髪を撫でる。
左の首もとの、大きな血管を見る。
今日こそは、痛くないようにしなければ。
その血管に顔を近付けると、エリオットが息を飲むのが分かった。
最近大人に近づくにつれてどんどんその強さを増している、あの蠱惑的で芳しいエリオットの匂いがする。
大きな血管目掛けて優しく噛みつき、皮膚から浮き出して一番歯を刺すのに失敗しなさそうな血管の場所を舌で探していく。
特に浮き出ている場所を見つけ、自分の歯を刺すと、甘く濃厚な血の味が口の中に広がった。
それを吸い、飲み込んでいく。
温かさと安心感が広がっていく。
エリオットと合わせた自分のおへそから、地中深くへと根が張り世界と結びついていくのを感じる。
それが起きる時とても大きな誰かから、ここに居ても良いよ、と言われる気がする。
逆に言えば、その時にしかその声は聞こえない。
私はいつもその瞬間を、一瞬のようにも感じるし、とても長いもののようにも感じる。
「うぅっ……はぁ……っ……ぅっ……」
エリオットが苦しそうに息を吐き出す。
また痛くしてしまったんだ。
エリオットが大人へ近づいているように、私も大人へと変わっている。
噛む力も子供の時に比べて強くなっているのは当たり前のことだ。
年々エリオットは噛まれた時に、こういう風に苦しそうにするようになっていた。
ごめんね、ごめんね。
出来るだけ早く終わらせなくては。
一気に多く血を吸った。
「あああっ……っ……っぁ……!」
ひときわ苦しそうにエリオットが声を上げた。
「ごめんね、ごめんねエリオット!
もう終わったから、大丈夫だから!」
首元から顔を離し、エリオットの腕の中から六芒星の外へと、飛び退いて離れた。
私はこの儀式を行う時常に、自分はその聖なる魔法陣の中には本来入ってはいけない魔の物だという気がしていた。
エリオットの首元の傷口がみるみる塞がっていく。
エリオットは、そのまま床へゆっくり倒れ込んだ。
金色のサラサラとした髪が床に流れ、同じ色の長い睫毛を伏せて肩を上下させ、口で息を吸っては吐いている。
とても苦しそうだ。
やっぱり痛くないなんて、嘘だ。
優しいエリオットは優しい嘘をついているに違いないのだ。
「はぁ……はぁっ……っ
リシュリー、本当に、もう大丈夫なの?
こっちに来て。瞳の色を見せて」
横たわったままのエリオットが、大きな呼吸のせいでいつもよりばら色に染まった頬でこちらを見て言った。
近づいていき、瞳の色が見えるように顔を近づけると、エリオットの右手が伸びてきて、私の頬を包み撫でた。
互いにじっと見つめ合う。
その紺碧の瞳は潤っており、たゆたう涙の海がその中にあるようだった。
そして、もしもその海が起こす津波にさらわれれば、永遠に帰って来ることが出来ない気がした。
「薄紅色になっているでしょ。
もう大丈夫。
痛かったよね。いつも本当にごめんね」
「違うんだ、痛いわけではないよ……
ただ。ただ少しだけ、そう、疲れてしまうだけだから安心して。
もう少しこうしていても良い?
出来れば手を繋いでいてくれると嬉しいんだけど」
「分かった。私に出来ることなら何でもするから、何でも言ってね」
「本当に?嬉しいな。
リシュリーと手を繋ぐと力が湧いてくるんだ」
エリオットと手を繋ぐ。私よりだいぶ大きくなってしまった手。
同じくらいだった背も頭一つ分は違くなってきている。
私達は大人へと近づいている。
十七歳になればもう成人だ。結婚も出来る歳になってしまう。
エリオットはとても優しいから、あの時から今まで、嫌な顔一つせずに毎日一緒に居て必要な時に血をくれ続けているけれど、エリオットが苦しむ様子を見るのはとても辛い。
果たして本当に、これで、このままで良いのだろうか。
あの時ジャイム様であってジャイム様ではない誰かに言われた言葉を、最近良く思い出していた。
でも、血を飲まなければ動くこともままならなくなる私は、エリオットから離れられない。
一人でなんて、旅に出られるわけがない。
その時、どこからか視線を感じた。
ザワザワ、ザワザワとした感覚を辿り目を向けた先にあったのは、横たわるエリオットの後ろで、正三角形の中で護られる銀のナイフだった。
それは、おそらく私にこう言っていた。
このままではいけない、このままではいられないんだよと。




