キノル湖畔のジャイム様
「これから、私が血への渇望を抑えるまじないを行おう。
牧場主殿、この牧場の中で一番高い場所はどこだ?魔法陣が描けるくらいの広さがあってだ」
「それなら、この母屋にある屋根裏部屋ですわ。
そこが、牧場の中で一番高い場所です」
「そうか、それではこれからそこに行く。
そしてべモット拘禁の儀式を行う。
なんでも良いから、銀で造られたものを六つ用意出来るか」
「はい。なんでも良いのなら、なんとか用意できると思います。
母さん、探そう。きっと探せばあるはずだ。家中を探して、銀で出来たものを六つ集めるぞ」
そう言うと、父さんと母さんは銀で出来たものを探すために、バタバタと急いで私の部屋から出て行った。
「リシュリーちゃん、もう動けるか?」
寝た体制のまま指や、腕や足を動かしてみる。いつもよりすんなり動く。呼吸もしやすい。
自分の体の様子をぐっと集中して感じてみると、とてもその調子が良くなっていることに気がついた。
血や、栄養や、酸素が体中を勢いよく巡り巡っているのを感じる。
そして何より、脚に力が入らずふわふわと上へと浮いていってしまいそうな気持ちの悪い浮遊感が、これまで常にあった。
でも、その時は、おへそのあたりから根が生え地中深くへと伸びていて、それによって体が固定されているように感じた。浮遊感は消えていた。
とても温かく安心する感覚だった。
これが、世界との繋がりを深めたということなのだろうか。
「はい。動けます。
今、とても調子が良いです」
「そうか、なら私達は先に屋根裏部屋へ行っていよう。
エリオットは牧場主殿とアルコ夫人の銀の物探しを手伝ってあげなさい」
こちらを心配そうに見てから、エリオットはジャイム様に返事をし、父さんと母さんの元へ向かった。
久しぶりに訪れた屋根裏部屋は、修理予定の壊れた農具や、その修理につかうための工具や、かなり長い間保存が出来る飼料などが置かれて雑然としていた。
ジャイム様はそれらを壁際にせっせと運んで行き、ある程度のスペースを作った。
そして、マントの内側に縫い付けてあるポケットから、色のついた石を取り出し、非常に真剣な顔で聞いたことのない言語の呪文を唱えながら大きな六芒星を描いた。
「今はもう誰も使うことのなくなった言葉だよ。
忘れ去られているが、私の中に生きている。
リシュリーちゃん、人間というのは時に、信じたくもない過酷さの中を生きねばならないことがある。
水のない砂漠を歩いてゆくようにな。
君は、まだ子供だ。しかし、非常に強い魂を持っているのを感じる。きっと歩いてゆける」
六芒星を描き終わるとジャイム様はとても優しく慈悲深い顔でそう言った。
「ジャイム様。きっと私はいつかとてもとても酷いことを誰かにしたのだと思います。
そうでなければ呪われるなんてこと、あるわけない。
私ね、ジャイム様。
エリオットの血を飲んだあの時よりずっと前から、自分が存在するのを許されていない気がしていたの。
何かとても悪いものだって。
浄化されて消滅すべきものだって。
これまで誰にも言わなかったけれど、確かにそう感じるの」
私は告白した。
それは、物心ついた時から、いや、もしかしたらそれよりずっと前から私の中に棲み続けているものだった。
家族はそのことを考えると涙が出るくらいの温かい愛情で私を愛してくれていた。
だけど、私は、誰かとても近しい人達から底無しの憎悪を向けられる感触を知っていた。
そして、それにちゃんとした理由があることも。
自分がとても悪いものであり、世界に存在することを許されないものなのだという確信があった。
それを常に誰にも知られないようにしなければならなかった。
だから、自分が悪いものでないように振る舞った。
いつも笑って、喜び、ご機嫌であるようにすることで、自分が無害なもののように見せたのだ。
「リシュリー、よく、聞きなさい。
この世界にその存在を許されないものなど、ありはしない。
全てのものは、ただ在るというだけでその役目を果たしている。
浄化というのはね、リシュリー。
光で全てを焼き尽くすことではない。
汚いもの、淫らなもの、野蛮なものを、あってはならぬと排除するのではない。
美しいもの、喜ばしいもの、輝けるもの、それらだけをただひたすらに求めるのでもない。
この天国のような牧場の、土の中を考えてごらん。
芽吹くことが出来なかった種や、殻を破ってすぐ力尽きて死んでしまったヒヨコの亡骸や、牛達の糞尿が埋まっているだろう。
それらは、温かい日の光に優しく照らされた暗涼な土の中に抱かれながら、他の命によって存在していることを許され、食べ求められる。
そして、喜びの熱が発せられ、溶けて絡み合いその土を更なる豊穣な土へと変化させる。
そして、いつか新しい命がその土から芽吹き、花を咲かせ、実をつけるだろう。
豊かな土の中には、醜いものも、悲しみも苦しみも含まれている。
逆に言えばそれらは存在することを許されたとき、生まれ変わり、土を豊かに変えるのだ。
そのような、大いなる醗酵と熟成により起こる再生が、浄化なのだよ」
その言葉の意味をまだ幼い私は半分も理解することは出来なかった。
しかしその言葉が、全てのものに平等に与えられる恵みの雨のように細胞の一つ一つに降り注ぎ、染み渡っていくを感じた。
そして、不思議なことが起きた。
ここは母屋の屋根裏部屋のはずなのに、同時に川のある荒れ野でもあった。そして始まりの地だった。
ジャイム様の目がいつもと違った。
ジャイム様であってジャイム様では無かった。
その瞳はあまりに澄んでおり、それは人間が持ちうることのない透度だった。
その瞳に見つめられると、なにもかもを見透かされているのに赦されている気がした。
だがその川は、これから彼が歩くであろう苦しみや迫害に満ちた受難の道を表すかのように、死の海へと続いていた。
「そして、リシュリー。
君は、いつか。
そう、成人年齢の17歳が近づくとき。
この世界に再び生まれるための、巡礼の旅に出るだろう。
この世界に本当の意味で生まれるための旅に。
そして、これはとても重要なことだからよくお聞き。
その巡礼の旅には、一人でゆかなければならない。
どんなに辛くても、必ずたった一人で」




