「扉を開けてはダメ」
黒鉄の装飾によって描かれたシエラは、虹色の瞳を悲しそうに歪めながら私を見ていた。
他の女性達と同じように、腹部からおびただしい量の赤い血を流しながら。
シエラの唇が動いた。
夢の中で何度か聞いた、私の声に良く似たシエラの声がした。
「扉を、開けてはダメ」
シエラは私に、そう訴えかけてきた。
掠れた小さな声だったが、とても、とても必死に、心の底からそう訴えているのが分かった。
すると、扉に描かれている他の何万もの女性達の首が、一斉にグルンと動いた。
一斉に、全ての女性が私を見た。
何万もの女性達全てが私の方に顔を向け、無数の瞳が私を見つめるその様は、得も言われぬ恐ろしさがあった。
そして女性達の何万もの唇がシエラと同じように動き出した。
同時に、無数の女性の声が聞こえ始めた。
「扉を開けてはダメ」
「扉を開けてはダメ」
「扉を開けてはダメ」
「扉を開けてはダメ」
「扉を開けてはダメ」
「扉を開けてはダメ」
一様に同じ言葉を発し続ける女性達の声が、鳴り響くように満ち溢れた。
怒鳴っているような声もあれば、懇願するような声もあった。
高い声もあれば、低い声もあった。
それら無数の声は、音の波を作るように巨大な扉から私へと押し寄せてきた。
私はその波に圧倒された。
身の危険を感じるくらいの圧倒だった。
その波からなんとか身を守ろうと、知らないうちに目をつむり両手で頭を守っているほどに、それは凄まじかった。
エリオットの声がいつの間にか聞こえなくなっていたことにも全く気付かなかった。
押し寄せる女性達の声の波を頭からかぶり続けているうちに、なぜか不思議と女性達の顔をもっとよく見たいという願望が生まれ始めた。
一人一人がどんな顔をしているのか、どんな髪の色をしているのか。
私はギュッとつむっていた目を開けた。
しかし目を開くと、女性達の顔を見ることはもう出来なくなっていた。
シエラの、あの美しい虹色の瞳を見ることも。
なぜなら、巨大な扉は上から下まで、見える範囲の全てが真っ赤に染まっていたからだ。
女性達の腹部から流れ出た血によって。
先程までは、あくまで絵画の一部として、女性達の腹部に血が描かれているという風だった。
しかし、今は違う。血が動いている。
重力の法則の影響を受け、下へ下へと流れている。
装飾を超え、液体として流れ動いている。
女性達の腹部から流れ出た血が、女性達を赤く染めていた。
あまりに大量の血が流れ落ちているため、巨大な扉そのものが血を流しているようにすら見えた。
その様子を眺めているうちに、赤い血は扉の一番下の部分、この真っ白い場所の、真っ白い地面へと到達していた。
真っ白い地面が赤く染まっていく。
落ちる血の勢いは次第に強くなり、滝のようになっていった。
そして勢いを持った赤い血が、私の方へと流れ寄せてきた。
赤い血の波をつくるようにして。
波はどんどん大きくなり、津波のような大きさになって押し寄せてきた。
私は本能的な恐怖を感じて、赤い血の津波から逃げた。
巨大な扉から遠ざかるように走った。
すると走りながら、だんだん意識がぼんやりとしてきた。
眠りに落ちる寸前に夢の世界と現実の世界が混ざり合っていく時のようになってきた。
だんだん元の場所へと、馬車の中へと自分の意識が戻っていくのを感じる。
馬車の中で私を心配しているヌッちゃんやステラやジャイム様、そしていまだバサバサフーフーし続けているジュードさんの映像が浮かんできた。
おそらくあれがここからの出口だ。
あの映像に集中して走っていけば、私の意識は馬車の中へと帰れるだろう。
良かった。なんとか戻れそうだ。
扉を開けずに済みそうだ。
無事に、元の世界へと戻れそうだ。
しかし、エリオットの声が再び聞こえてきた。
「リシュリー、待って!
待ってよ、行かないで、行かないでリシュリー。
僕から逃げて行かないでよ!
行かないで、リシュリー」
もう随分と扉から遠ざかっているはずなのに、扉は強固に閉ざされ続けているはずなのに、エリオットの声は今までよりハッキリ聞こえてきた。
「嫌だよ! 嫌だ! 嫌だ!
行かないで! リシュリー!!
もうどこにも行かないで!!
僕から離れていかないで!
永遠に一緒にいて!!
嫌だ! 嫌だ!」
「僕達は婚約している!
正真正銘の婚約者同士だ!!
夫婦になるんだ!
だから片時も離れちゃいけない!!
永遠に一緒にいなければいけないんだ!!」
エリオットのその声は、絶叫へと変わっていった。
その声に意識が強く引っ張られる。
それに伴い馬車の映像がぼやけていく。
だめだ、このままでは戻れなくなる……!
一体どうしたら……!!
その時、遠くから鳥が飛んできた。
よく見るとそれは大きな鷲だった。
頭が白く胴体が黒い、若い大鷲だ。
その大鷲は私のそばまで来ると、私に併走するように真横を飛んだ。
そして、喋り始めた。
「リシュリーさん、大変っしたねwww
迎えに来たっすwww もう大丈夫っすよww
自分の背中に乗って下さいww」
「え、その声、ジュードさんですか!?
ジュードさん、こんなことまで出来るんですか!?」
「色々出来るって言ったじゃないっすかww
まー、無事で良かったっすwww
今回はとりあえず、あの世界線行きは免れたようっすねwww とりあえずww
さ、行きましょ行きましょww
ぴょんとジャンプして、背中乗っちゃって下さいwww」
私は言われた通り、ぴょんと今は大鷲になっているジュードさんの背中に向かってジャンプした。
すると上手い具合にジュードさんの背中に飛び乗ることが出来た。
ちゃんと羽毛がフワフワだ。
「さあ、どんどん高度上げて飛んでいきますよww
しっかり掴まってて下さいっすwww」
私を背中に乗せたジュードさんは、大きな羽根をバサバサと羽ばたかせ、どんどん高度を上げていった。
「お前!!
僕の婚約者を、僕の大切なリシュリーを、どこに連れていくんだ!!
許さない! 許さない!!
……なんでお前は、その場所に入れるんだ!!
どうして僕のリシュリーは、お前をその場所に入れるんだ……!
なんで、なんで……!!
リシュリー……どうして……
リシュリーーーーーー!!!!」




