星降る夜の口づけ
「さあさあwww どうぞこのアイオラス海中湖神殿特製の馬車にお乗り下さいwww ご覧の通りの大きな馬車なんで、全員いっぺんに乗れますよwww」
私は黒に銀色の縁取りがされた、大きなアイオラス海中湖神殿の馬車に乗り込む前に、ジャイム様の家を見つめた。
大木に抱かれた、素朴で温かさにあふれた石造りの家を。
ここに滞在させてもらった時間は日数的に考えればそこまで長くはなかったけれど、とても濃い時間を過ごさせてもらった。
こんなことを思うのはあまりに無思慮かもしれないが、楽しかった。
ジャイム様やヌッちゃん、ステラと寝食を共にしながら過ごしたこの日々は、楽しくて、温かくて、きっと一生の思い出になるような大切な時間だった。素晴らしい時間だった。
きっともう二度と起こらない奇跡のような時間だった。
そういう時間は、大抵それが終わってしまってから、過去になってしまってから、それがいかに素晴らしい時間だったか気付く。
その時間は永遠に戻って来ないこと、その時間の中に生きることはもう二度と出来ないことに気付く。
もっとも、その渦中においてそのことに気付いてしまっても、時間の流れを止めることなど出来ない。
最高の時間が訪れていることに気付いても、その中に留まり続けることは出来ないのだ。
それらはとても悲しいことだが、同時に、だからこそ生きるということは、この上なく切なく、儚いからこそ美しいのかもしれない。
そんなことを思いながら見上げたジャイム様の家を抱きそびえ立つ大木は、その数多の葉の合間から星や、流れ落ちる星の砂子の金色の輝きが滲み出ていた。
その姿は、大木が光る果実を枝いっぱいにつけているようだった。
もしくは、大木が光り輝く木へとその姿を変えたかのようだった。
そしてその光によって、私に何かを伝えようとしてくれているように感じた。
なんとなくそれは、私との別れを惜しむ気持ちのような気がして、もしそうだったらとても嬉しいと強く思った。
私も、大木との別れがとても惜しかったから。
「はいリッちゃん、金色の羊の毛のお守り!
ステラっちによれば、これが完全版金色の羊の毛のお守りらしいわ。
どんなものからも、リッちゃんを絶対守り続けてくれるって。
あたしもね、どうかリッちゃんをお守りくださいって念じながら羊毛を編んだのよ。
つまり、このお守りの中にはヌッちゃんのリッちゃんを想う愛のパワーも入ってるから、守りの力倍増ってこと!」
アイオラス海中湖神殿へと走る馬車の中で、隣に座るヌッちゃんが、私に金色の羊の毛のお守りを渡してくれた。
私はそれをすぐ自分の左手首にグルグル巻き付け、ギュッと結んだ。
なぜ左手首にしたかというと、そちらの方が朱いアザの侵食を遅らせることが出来そうだからだ。
「ありがとう! ステラ、ヌッちゃん。
金色の羊の毛のお守りから、すごく強い守りの力を感じる。
これが私を守ってくれる限り、巡礼の旅に出られるよ」
私はヌッちゃんとステラに向かってお礼を言った。
二人とも嬉しそうにしてくれた。
ステラは、もうすっかり白いモコモコの毛のいつものステラの姿に戻っていた。
背中の翼もいつの間にか消えていた。
どうやらあの金色の姿でいられるのには時間的な限りがあるようだ。
「いやーwww それはどうっすかねwww」
私の前で長い脚を組んで座っているジュードさんが言った。
その顔は一見ニヤニヤしているように見えるが、目の奥は笑っていなかった。
「え? どういうことですか、ジュードさん」
「確かにその金色の羊の毛のお守りには、あらゆる魔を退ける退魔の力があるっすwww
だけどリシュリーさんの左手薬指のその朱いアザの呪いの力は、金色の羊の毛のお守りの退魔の力と同等、もしくはそれを超えるレベルの力っすよwww
もちろんお守りをしてた方がしてないよりは全然いいっすけど、完全な防御が出来るとは思わない方がいいっすwww
ってイタタタタタタ! やめて下さいステラさんwww 腕噛まないで下さいwww」
「じゃあ私、巡礼の旅に出られないんすか……?」
「ちょwww そんな悲しそうな顔で見ないで下さいよリシュリーさんwww
自分が言いたかったのは、油断大敵ってことっすよwww
大丈夫っす、リシュリーさんは巡礼の旅に出られますwww 自分が保証するっすwww
だからステラさん、腕から歯を離して下さいwww 頼みますwww この通りっすwww」
ジュードさんはニヤニヤしながらも、ステラを自分の腕から必死に引き剥がそうとしていた。
ジュードさんを正面からマジマジ見つめると、鷲に似ていることに気付いた。
細く高く通った鼻筋や、鋭い黄色の目の感じが鷲に似ている。
そして、ジュードさんは頭の真ん中で髪の色が白と黒に分かれている不思議な髪型をしていたが、その白と黒という二色も鷲を連想させた。
歳はフェルマー兄さんよりやや上の二十代半ばくらいに見える。
あらゆる意味で賢い、若い雄鷲というイメージがピッタリだ。
「でも、その呪いの発信者は舐めない方が良いですよwww その人只者じゃないっすwww
自分でも本気で戦って相討ち出来るかどうかってとこっすかねwww
って、うわーwww もう来たかーwww」
ジュードさんがステラに腕を噛まれながら、カーテンの隙間から窓の外を覗き見て言った。
ドルミル記念病院からジャイム様の家まで来た時に使った海の道は今日は出現しておらず、アイオラス海中湖神殿へ行くのにはアルコの道を通らなければならなかった。
アルコ牧場や、鍛冶屋フェレールのすぐ横を通る道を。
私は一瞬ためらったが、ジュードさんと同じようにして窓の外を見た。
アルコの丘を下っていく景色が見えた。
鍛冶屋フェレールが少し前に見える。
鍛冶屋フェレールの奥のレンガ造りの大きな家には灯りがともっている。
今は深夜だが、フェレール一家もまだ起きて再誕日や双角海蛇座流星群を楽しんでいるのかもしれない。
アルコの道のすぐ横にある工房は暗く、人の気配は無いように思えた。
しかしそれは間違いだった。
馬車が更に鍛冶屋フェレールへと近づくと、二つの人影が工房の前に見えた。
私にはその人影が誰だかすぐ分かった。
エリオットとシルビアちゃんだ。
その二つの人影は、蠢きながら重なっていた。
二人は抱き合い、深い口づけを交わし合っていた。
それは遠くから見てもそれが非常に官能的なものだと分かるくらいの、激しい口づけだった。
その時、大きな星の砂子が近くを流れ落ち、その光がエリオットの顔を照らし出した。
エリオットはシルビアちゃんと官能的な口づけを交わしながら、ただじっと私の方を見つめていた。
ただひたすらに、ねめつけるように、ゾッとするような狂気の瞳で私を見ていた。




