幸福な帰路
「では、みなさん! 家に無事帰るまでが大会です、気をつけて帰りましょう!」
「小学生じゃあるまいし……」
夜九時半、俺らはいつものファミレスで大会の打ち上げをして、もう遅いので各自、家に帰ろうとしていた。
「じ、じゃあ、家に帰らなかったら、大会は終わらないんだ。私は永遠を手に……」
「大会が終わらないなら、体育館の使用料が永遠に発生するよー?」
「か、帰ります……」
「よし、いい子! 私は車で送ってもらうけど、みんなはどうする? 乗ってく?」
「いえ、僕は近いので。ついでに加藤さんも送って行きます、方向は同じだよな?」
「つつ、ついでって。……ん? お、送るって、わた、わ、私を!?」
「当たり前でしょ、見るからに危ない人なんだから」
「ど、どういう意味で!?」
加藤さんは、夜目にもはっきり顔を赤くしていた。
怒っているのか、照れているのか?
さて、俺はどうしようか。
ぜひとも堀田先輩とご一緒したいところだけど、ドライバーが先輩のお父様だったら気まずいな。
お母様でも緊張するけど、それはそれで好印象を……
「私たちは路面電車に乗ります。でしょ?」
「へ? ……おう。へ、俺?」
「わかった。じゃあ、まっすぐ帰るんだよー。サヨーナラー!」
そう言うと、堀田先輩は大きく手を振りながら、大通りを駅前へと歩いて行った。
おうふ、油断してたら、路面電車なんかで帰ることになってしまった……。
早川たちは駅とは反対方向へ帰り、俺たちはとりあえず目の前の電停に向かった。
それにしても、三島さんが路面電車に乗るというのが、何か引っかかるんだが、……そうだ思い出したぞ!
「おい! そういえば今日、財布忘れたんじゃなかった?」
「うん、だからアンタが必要なの。財布として」
この性悪女め!
それならお前だけでも堀田先輩の厚意に甘えればよかったのに!
「まったく……あ、小銭ないぞ。一万円って両替できたっけ?」
「無理。チャージは?」
「してない、駅まで戻るか?」
「……使えない。それなら歩いて帰る」
そうほざくと、三島さんは一人、どんどん歩いて行ってしまった。
なぜだ、なぜ俺が責められなくてはならないんだ?
……一緒に歩くのは久しぶりで悪くないかもしれないけど。
俺らは小川に沿った、緑道公園の中を並んで歩いた。
普段、手が汚れるようなことはしないのに、俺はなんだか照れ臭く、ツツジの葉なんか引きちぎっては指で潰していた。
クロガネモチの並木からは、夜でもハイテンションなセミのシャウトが降り注いでくる。
「……今日は、惜しかったね」
そのセミの声に隠れるようにして、三島さんが話しかけてきた。
「ああ、まさかタイムで順位が決まるとはね」
結局、人生ハードモードの俺の順位は七位で、入賞は逃してしまった。
一方、同じく完登した早川は、三位入賞を果たしたとかね。
マジでぶっ飛びそうだよ。
「まあ、上位入賞者だって俺と同じ完登なんだ。レベルの差がはっきりしたわけじゃないし、落ち込みはしなかったよ。ただ……」
「ただ?」
「ただ、俺にも目標ができた」
この言葉を聞くと、三島さんの表情は自分が幸福になったかのように、晴れやかになった。
このスッカラカンな俺にも、とうとう目標ができたんだ。
三島さんについてクライミングを始めて、今日まで一緒に登ってきて、クライミングが好きになったから。
「俺は、全国大会に出るような選手になってやる! ありきたりだけど、スポ魂連中とは思い立った理由はまーったく、違う!」
「……違うって、どんな理由なの?」
「地道な練習をしたくない、顧問やコーチにとやかく言われたくない、そもそも部活の複雑な人間関係なんてまっぴら。不仲な部員たちが最後には一つになることが素晴らしい? そんなの勘弁してくれ! だから俺は、このグータラ根性のまま全国大会に出てしまうことで、スポ魂漫画でちやほやされる美徳の全部を、非リア充代表として侮蔑してやるんだ!」
三島さんは、さっきの満面の喜色はどこへやら、心底あきれた顔をしていた。
そんな顔をするな、三島さん。
どうせ俺は冷めていて、やる気がない《今どきの若者》で片づけられるモブなんだ。
それなら、モブはモブのやり方で栄光をつかんでやればいい!
「こんな俺にクライミングはピッタリだよ。別に部活である必要がなくて、そうすると顧問やコーチもいらなくて、ただ他人の登り方から自分でコツを見出せばいい。そして大好きなことが、登ることそれ自体が、何よりのトレーニングだなんて!」
俺の熱弁に、とうとう三島さんは吹き出してしまった。
「アンタって、本当にひねくれてるというか……ヘンタイだよね」
「ひねくれてるから、健全に全国大会を目指すんだ。まっすぐな変態は刑務所に行くぞ?」
「それなら、ひねくれてるアンタを応援する。……私も支えてもらって来たから」
三島さんは俺の横で無邪気に笑っていた。
惜しいことに、夜だから顔はよく見えない。
実は、……俺が全国大会に行きたい本当の理由は横にいる、これからもクライミングを続けて必ず高みへと登るだろう、その三島さんの傍にずっといたいだけなんだけどね。
あ、でも待った。
そういえば、今日の大会で三島さんは男子に勝ったんだから、……これから《不可能への挑戦》ってどうなるんだ?
まさか、これで終わり!?
クライミング続ける理由なくなっちゃった!?
「あの、三島さん。今日は三島さんが文句なしで一番だった、男子も含めて。それは俺も心から祝ってるんだけど、その、これからは……?」
「ねえ、私があれで満足すると思う?」
そう言うと、三島さんの切れ長の瞳は不敵に輝いた。
ファミレスで俺に、《不可能への挑戦》を語ったときの、あの目だ!
「あれは力で勝ったんじゃなくて、発想で勝っただけだから。それに、男子のレベルも高かったとは言えないし。大丈夫、私は狭い世間に籠っているような人間じゃない、まだまだ上を目指していく。だって私は、《不可能への挑戦》に燃えるクライマーなんだから」
三島さんは、その胸中にきらめく情熱を、俺の前で力強く言ってのけた。
……よかった、そりゃそうだよな!
こんな大口叩く筋肉バカが、一地方の頂点で満足するはずなんかないよな。
それでこそ三島さんだ!
俺はこの傲岸で、無謀で、非凡な三島さんが、三島さんのことが、……
「でも」
「え?」
「でも、……川内君になら今日のこと、褒められてもいいかな?」
そう言うと、三島さんは照れて赤くなった顔を隠そうともせず、俺の顔を覗いていた。
な、なんだよ、いきなり改まって!
しかも、苗字で呼ばれたのは初めてじゃないか!?
それはそれで問題ある気がするけど、……このデレは千載一遇のチャンス、ここは男なら大胆な行動に出るべき瞬間だろ!
「お、おう! よく頑張ったな……」
俺はそうつぶやきながら、大胆にも三島さんの頭をナデナデしてみた。
少し照れながらも、甘えるように俺のことを見つめる三島さんイメージして。……
だが俺は、自分の人生がハードモードに設定されていることを忘れていた。
三島さんは頭を撫でられると驚きに目を見開いて、俺の手を振り払ってしまった。
「ちょっと、……アンタさっき! その手で、葉っぱを引きちぎってたでしょ!?」
「……え、あ! そういえば!」
「もう、バカ! 汚いんだから、……髪に葉っぱついてない?」
「大丈夫! ついてない、ついてない!」
「もう……」
三島さんが髪を払い終わると、俺らは自分たちの滑稽さに、思わず吹き出してしまった。
二人の大笑いが一段落すると、三島さんは照れたように顔を伏せて、
「実はね、私の挑戦って、もう一つあるの」
「もう一つ?」
「うん、一週間前に私たち会ったでしょ? あの後、すみちゃんとメールして、……いろいろなこと聞いて、大会が終わったら挑戦してみようって決めてたこと。この挑戦があるから、もしかしたら私は、引きこもるのをやめたのかもしれない」
すると三島さんは、手を差し出してきた。
いや、何か握っているな、……切符?
「それってもしかして、今朝の両想い切符か?」
確か券番号「1001」で、両想い度百パーセント(笑)の伝説の切符だ。
「うん。……私のもう一つの挑戦は、これを川内君に受け取ってもらうこと」
「ひぇ……?」
三島さんは緊張しながらも、その目はまっすぐ俺の目を見ていた。
……え、ちょ、これは、その、どういうことなのか?
両想い切符の相手って、切符を差し出された俺だとすると、受け取って欲しいのが俺だとすると、……ええええ!?
迷信を信じたいときだって、今朝駅で言ってたな。
そう言えば、加藤先輩が三島さんに頼まれたとかなんとか、彼女の有無を訊いてきたけど、……それはこの、《挑戦》のため!?
三島さんは根気強く目を合わせていたけど、俺の沈黙が長いからか、だんだんその瞳がうるんできた。
「私の願いが、届けばいいなって。……」
これ以上躊躇していたら、彼女は泣き出してしまうかもしれない。
でも、そんなことさせない。
ずっと傍にいたこの俺が、三島さんを泣かせるわけがないじゃないか。
「その願い、受け取った!」
わざと明るく返事をして俺が切符を受け取ると、三島さんはかろうじて、泣くのをこらえたようだった。
「この両想い切符とやらで、俺らはどこまで行けるんですか? ねえ、三島さん?」
「……ん、どこへでも。海の果ても、山の頂上も、不可能の先へだって行く」
「すごい切符だね、これからどんな景色を見られるのか楽しみだよ」
俺が笑う、三島さんも微笑む。
ああ、この時間と空間がいつまでも続けばいいのに!
でも俺のロマンチックな願いは、三島さんのスマホが鳴ったことで、二秒で砕けた。
「あ、もう十時過ぎてる」
「マジか、ゆっくり歩きすぎたね。三島さんの帰りが遅くなったのを心配するメール?」
「ううん、おじいちゃんが帰るときは車で送ってやるって。……でも、このまま歩かない?」
「そうだな、ここまで歩いて来ちゃったし。俺が家まで送るよ」
俺は両想い切符をなくさないように財布にしまうと、三島さんと並んで歩きだした。
三島さんの家に着くまで、俺たちは何もしゃべらなかった。
いや、いつも一緒に登っている俺らが無理にしゃべる必要なんて、そもそもなかった。
三島さんは幸福を噛みしめるように、ローファーの靴底を小気味よく鳴らして歩いて、俺はやっと見つけた目標と、ついさっき燃え上がった情熱に胸を張り、見馴れた町にも新鮮な感動を見出して歩いていた。
浮かれた俺らが知らずに早歩きになったのか、時間が俺らに嫉妬してさっさと過ぎたのか、三島さんの家にはあっという間に着いてしまった。
「……送ってくれてありがとう。夏休みも一緒に登ろうね」
「おう、いくらでも付き合うよ。終業式くらいは来るか?」
「ん」
「そうか。じゃあ、おやすみ」
邸内に入った三島さんの姿が、木々のかげに見えなくなるまで見送ると、俺は家に向かってゆっくりと歩き出した。
この幸福を楽しむのに、十分な時間を持つために。……




