いつかのいつか、今のいつか
さて、今の幸福を楽しむためにとりあえず、昔の俺のことでも振り返ろうかな。
入学したての頃は、夢や情熱なんてこれっぽっちも持っていなかったし、青春なんてもってのほかの、暗い生活を送っていたっけ。
そのくせ強がって、「今のところは……」とか「いつかはきっと!」とか、いろいろ言い訳してたな……。
その強がりは、結果としては間違っていなかったんだろうだけど、あの当時は何の当てもなく言ってたし、三島さんと会えなかったら何も変わってなかったと思う。
だが今は違うぞ!
相変わらずグータラな俺ではあるけど、やりたいことを見つけたんだから。
それはもちろん、クライミングのことだ。
それに目標も見つけた、クライミングの全国大会に出ること。
どんな大会があるのか詳しくは知らないけど、……そんなことは関係ない。
だって、三島さんの挑戦を見届けるのが俺の夢で、目標はそのための手段に過ぎないんだからね。
そして、まだ心に冷めたところはあるけど、情熱だって一応持っている。
言わなくてもわかると思うけど、それは三島さんと俺の……デュフ!
アバンチュールのことに決まっているじゃないか!
あの笑うたびにわざわざ柏手を打つ、クラスメートのサッカー部の連中にも自慢してやろうかな?
三島さんのことを狙っていたようだし、惨めに悶絶するに違いない!
こんなちっぽけな夢と目標と情熱だけど、ただ流されるだけだった昔の、寝起きに食パンを牛乳なしで食べるような、パサパサした日常から解放されたことは確かだ。
何というか、腹の底から力が湧いてくるような、何か行動せずにはいられないような気力に満ちてきた。
それはきっと、俺にも《意志》が芽生えたってことなんだろう。
今のレベルアップした俺なら、ハードモードに人生も乗り切れそうだ。
ああ、それもこれも、三島さんに出会ったからなんだよなあ……。
三島さん!
それにしてもかわいかった。
直接想いを言わないで、両想い切符を渡して伝えようとした、あのいじらしさ!
いかにも口下手な三島さんらしいやり方だ。
あの感動をもう一度噛みしめ……って、まずい。
調子乗って忘れてたけど、今の時間は、……もう夜の十一時!
なんだかんだ時間が経ってたんだな。
スマホも丸一日の活動で電池が切れる寸前じゃないか。
メールも何件か来てるし。
たぶん、お母さんかメルマガなんだろうけどね。
夜も遅いし、早く家に帰れとか送ってきたんだろう。
ほっておいて、もう少しブラブラ歩くとしよう。
……さて、入学式のころには持っていなかった夢や目標や情熱は手に入れたけど、何か物足りない気がする。
もちろん幸せではあるんだけど、幸せすぎて地に足がついていないというか。
甘い思いだけして酸っぱさがないからか、青春や人生を生きているって感じがしない。
だってほら、堀田先輩に加藤先輩、早川や三島さんだって、それぞれが身を裂かれるような思春期らしい悩みを抱えているだろ?
その悩みに、自分なりに打ち勝とうと不器用にもがいているからこそ、みんなは青春の中にいて、しっかりと人生を生きている。
じゃあ、今の俺は生きていないのか?
ただ単に嬉しいことに包まれて、心が浮ついて、本当は天国か夢の中にいるような気がする。
もしかしたら俺には、まだ向き合っていない何か重大なことがあるんじゃないのか……?
そう思っていると、スマホがポケット内でバイブしていた。
今日はメルマガ日和らしい。
『おめー☆』
送り主は、一応連絡先は交換したけど、一生連絡は取らないだろうと思っていた二階堂さんからだった。
ほかのメールも見てみると、メルマガとお母さんのメールに混じって、早川と加藤先輩からも、何かを祝福する文面のメールが届いていた。
一体これは何のことかと思いながら、未読メールの最後の一件の送信者を見ると、それは堀田先輩からだった。
受信時刻は二十一時三十七分。その内容は――
『長い間待たせちゃってゴメンね! お返事、決めました。私、川内君の告白を受けることにします。ぜひぜひ付き合いましょう!』
――メールを読み終わると同時に、スマホの充電が切れて画面は暗転してしまった。
そのどす黒い画面に映る、俺の無様な顔と向き合っているうちに、やっと早川たちから送られてきた祝福メールの意味が飲み込めた。
それは、俺と堀田先輩が付き合うことになったからだ!
このことに気がつくと、俺の天国にいるかのような幸福も瓦解してしまった。
メールの受信時間からすると、打ち上げが終わって、解散してすぐに送ってきたのか。
そして、堀田先輩がこのことをみんなにメールして、――俺が一方的に告白して、それが保留になってたんだ。堀田先輩が受け入れたら、その時点でカップル成立だからな――そして、早川たちが祝福してきたのか。
でも、なんで先輩はみんなにメールを……。
いや、本当に問わないといけないのは、いつかの、浮薄で無責任な俺自身に対してだ。
どうして?
どうして早川に乗せられて、軽いノリで告白なんてしてしまったんだ?
どうして俺はいつも、他人に動かされて行動するんだ?
どうして今までの俺は《自分の意志》だなんて、当たり前のものすらなかったんだ……!!
堀田先輩は、三島さんにもメールを送ったのかな?
……送ってるよな、先輩は何も知らないんだし。
そう言えば、俺が両想い切符を受け取った後、三島さんが時間を教えてくれたよな、「もう十時過ぎてる」って。
ということは、……堀田先輩のメールのほうが先だったわけだ。
どうしよう、三島さん。
俺は君のことが好きだ!
君が今、自分の告白が後出しだって気づいても、遠慮して引き下がろうとしても、俺は君を引き留めるだろう。
――なら俺は、堀田先輩を振るだろうか?
いや、俺にそんなことはできない。
もちろん、告白した手前、義理からそう思うのでも、みんなに知られているから体面を気にしているわけでもない。
――じゃあ俺は、どうして迷っているのか?
それは、……俺は堀田先輩のことも、好きなのかもしれないからだ。
安易に告白したはずなのに、どうしようもなく三島さんが好きなはずなのに、メールを見て気づいたんだ。
俺は堀田先輩のことも好きなんだ!
だから、……だから、引き裂かれるように苦しいんだ。
まったく、俺の人生はどうしてこうも、ハードモードなんだろうか?
こんなに酸っぱい悩みが俺に降りかかってくるなんて。
こんな形で青春を手に入れるなんて。……
俺は呻きながら夜空を仰いだ。
露を落とした萩の枝が跳ね上がる、あのいにしえの景色とまるで違わず。
夜空には、無数の星がきらめいている。
俺の瞳も、その煌めきに混ざっている。……
でもね、三島さん。
俺は今、なぜだか笑っているんだ。
こうして悩んでいるのに、苦しいはずなのに、おかしいことなんか一つもないのに。
きっと君自身、この叫び出したい気持ちを、すでに理会しているだろう。
「俺は今、生きている!」




