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いつかのクライマー  作者: 大田区トロフィーモフ
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不可能への挑戦 その1

 最後に行われる、男子リード決勝のルートは少し変わっていた。

 スタートは垂壁から始まって、《トラバース》と呼ばれる横移動で可動壁の下部まで行き、その傾斜の目一杯取られた、可動壁を登り切ってゴールとなるようだ。

 一年生男子の決勝進出者が多かった割には、男子リードは予定通り、午後三時過ぎに競技開始となった。

時間を気にしていたスタッフも、見るからにほっとした様子だ。

 そんな彼らとは対照的に、オブザベーションのために入って来た選手を見た観客は、なぜかどよめいていた。

「おい、川内。なんで男子リード決勝に、三島と加藤さんたちがいるんだ?」

「は……?」

 見るとそこには、三島さんと加藤先輩がオブザベーションに参加していた。「テヘ、ちゃっかり混じっちゃった☆」ってレベルではない!

「ほー、女子はタイブレークやるんだ。一年生男子の代わりに、急きょ決めたのかな?」

 ……急きょ?

 ハハ、……マジかよ、じゃあ男子と混じって戦うっていうのか?

 三島さんが言っていた《不可能への挑戦》が、今から目の前で本当に始まるっていうのか。

 とりあえず、これと決めたものをよじ登った先に何かがあるかもしれないって、私がアンタに可能性を見せてあげるって、それを今日ここで見せてくれるのか!

「それなら僕らが登ったトップロープの、一年生男子の決勝ルートで決めればいいじゃないですか? なんでわざわざ……」

 早川は自分の順位が決めてもらえないイラ立ちか、それとも二人が自分よりも高い、男子リードの決勝の舞台にいることが面白くないのか、スタッフでもない堀田先輩を問いただした。

「うーん、それはたぶん、二人の実力を二階堂さんが知ってるからかな? リードのグレードは早川君たちより上だからね」

 堀田先輩は穏やかな態度ではあるけど、早川にはっきりとレベルの差だと言ってのけた。

 ボルダリングでは互角でも、リードでは二人に負けている早川は黙るしかない。

「それに、すっごく難しいルートは実力差が出るから、勝敗がはっきりするでしょ?」

 確かに、順位をはっきりさせるだけなら、そのほうがすぐにケリがつきそうだ。

 二人の実力だと、一年生の男子決勝ルートも完登しちゃうかもしれないし。

「……まあ、そうですね」

 そうつぶやいた早川は、怒っているかと思ったら、不安そうな顔をして二人のことを眺めていた。

 特に加藤先輩を見ているような……?

 ルートが長い分、七分に延長されたオブザベーションを終えて、選手たちはアイソレーションルームに戻って行った。

 競技の順序としては男子リードなので、初めに出てきたのは男子の選手だった。

 個人的には女子のタイブレークを早く見たいけど、大会としてはまず、進行通りに競技を終わらせることを優先するみたいだ。

 さて、壁に取りついたトップバッターの選手は、出だしから苦戦していた。

 見た目としてはカニの移動のように地味なトラバースだけど、垂壁から傾斜の少ない可動壁の下部を移動するとあって、ホールドは指がかかるギリギリの薄さの厳しいカチらしい。

 クライマーは足で体重を殺そうとするけど、足専用のホールドである《フットホールド》が極端に小さかったり、傾斜したりしているから、何度も足を滑らして宙に浮かせていた。

 結局、最初のクライマーはトラバースで体力を消耗してしまったのか、ビレイもいらないような高さから、誰の声援もないまま、ずり落ちてしまった。

その後に出てきた何人かの選手は、トラバースは何とか乗り切っていたけど、ルーフ壁のように傾斜した、壁の可動部まで登るクライマーはいなかった。

「ふん、あそこの第一核心でのクリップが難しそう」

 堀田先輩が言いたいことは俺と早川にも分かった。

 ルーフの手前とはいえ、かなり傾斜した壁面にボルダリングで使うようなカチが連続している部分があって、そこのクリップに選手たちは苦戦していた。

 こういう場合は核心の手前か、核心を越えてからクリップすればいいんだけど、手間からクリップできるギリギリの範囲には唯一、ホールドに指が一本しかつっこめないような《ポケット》ホールドしかない。

 かといって核心を越えてしまうと、壁がきつく傾斜しているので、下方のクリップをする余裕はなさそうだった。

 そもそも核心自体、越えるのが難しそうだ……。

 前半のトラバースで疲労した選手たちは、なんとか核心の手前でクリップしようとしていたけど、ポケットに一本の指を突っ込んだまま落ちたらどうなるのか容易に予想がつくので、届くはずのない距離から手を伸ばしては、泣く泣く体力が尽きて落ちて行った。

 ちなみに、その危険なポケットはルートセッターの皮肉なのか、涙滴型をしていた!

 クリップをしないと、その飛ばしたクリップより上に足を上げると即失格なので、無視はできない。

 見ているほうももどかしいが、クライマーたちはもっとイラ立っていた。

「二階堂さんの悪ルート、……ってやつですか?」

 聞かなくてもわかることを俺が口に出したのは、登り終えた選手たちが二階堂さんに聞こえるくらいの声で、平然とルートのことを悪罵していたからなんだよね。

「県大会レベルじゃねーよ――」

「一本指ポケットなんてつけやがって、事故が起きたらどうすんだ――」

「そもそもあいつは、ルートセッターに向いていない――」

 当の本人は、いつものようにヘッドホンを頭につけて、のんきに首を振っていたけど。

 核心に入ってからクリップを試みた選手もいたけど、片手で保持できるようなホールドではないので、あえなくロープを手繰っただけで落ちて行った。

「今年度、残念賞、集まったー、クライマー、単なるクレイマー☆」

 二階堂さんは(彼としては)選手のレベルの低さに嫌気がしたのか、俺らの横を通ってどこかへ行ってしまった。

 二階堂さんが出て行くと、余計に男子リード決勝を終えた選手たちは腹を立てて、ルートへの批判から、二階堂さんへの批判に変わって行った。

 中には「不可能だ!」なんて叫んでいるやつもいる。

 大会の雰囲気は最悪だった。

「ねえ、川内君はヒメちゃんとすみちゃんの、どっちを応援するの?」

 次々とクライマーが《不可能な》核心で落ちる決勝戦に堀田先輩もあきたのか、急に答えにくい質問を吹っかけてきた。

「どっちって、……そりゃあ、二人とも応援しますけど」

「じゃあ、どっちが勝つと思う?」

 そう言うと堀田先輩は、顔をそむける俺の目をグイグイとのぞき込んでくるから、気づかいや照れで余計に答えづらい!

「うっ、俺は、……加藤先輩のほうがグレードは上ですけど、三島さんなら、きっと何かを起こしてくれるかなあと、……信じています」

「ふーん、ヒメちゃんのほうが好きなんだー?」

「いやいやいや、なんでそうなるんですか! どちらが勝つか言っただけでしょ!?」

 俺は必死で打ち消そうとしたけど、堀田先輩はなぜか真顔のままだったので、これ以上の否定はできなかった。

 ぐぬぬ、人をからかい馴れてやがる……。

 そこへ二階堂さんが戻ってきて、俺らの横に突っ立ってスマホをいじっていた。

 壁を見ると男子リード決勝は終わっていて、一年生女子のタイブレークが行われることがアナウンスされた。

 時間が押しているようで、俺らの背後では早くも表彰式の準備をしている。

 ちらほら帰ってしまう観客もいる中、最初に出てきたのは加藤先輩だったが、なぜかスタッフは混乱しているようで、

「なんで、あの小さい子のほう先に出したの? あっちが上級生で経験者なんだって」

「え、てっきり背の大きいほうかと……。ゼッケンの番号で言ってくれればよかったのに」

「名簿見ればわかるだろうが。こんな不可能なルートで、後に初心者出したら盛り上がりに欠けるだろ……」

 などと、ずいぶん勝手なことをしゃべっていやがった!

 そんなことなど知らず、小さい子である加藤先輩はトラバースを危な気なくこなしていた。

 背の低さと腕の短さは、クライミングでは不利なんだけど、加藤先輩はそれを補うような保持力を持っているし、遠いホールドへは体の軽さを生かし、ピョンと跳ねるようにして飛びついて、器用な登りを見せていた。

 跳ぶたびにおかっぱヘアーを揺らしながら登る加藤先輩のいじらしい姿は、観客の秘められたロリコン魂をも揺すぶるのか、野太い声で「ガンバ!」と応援する声がちらほら聞こえる。

 調子よく登る加藤先輩だったけど、核心前に着くころにはさすがにバテてきたようで、だんだん肘が曲がって、足も震えだした。

「ガンバガンバ!」

「アレ! 思い切って行っちゃえ!」

「レストしろー」

 見るからにクライマーが危うくなると、学校の違いやレベルも何も関係なしに、見知らぬ観客が見知らぬ選手をつい応援しちゃうんだよね、クライミング競技って。

 みんなが戦っているのは、純粋に壁だけなんだって気づかされる瞬間だ。

「……ポケットから無理にクリップするなよ、そもそも登ることが不可能なルートなんだ」

 早川はいつの間にか立ち上がって、心配そうに加藤先輩を見つめていた。

 加藤先輩は、ポケットでクリップするような危険なことはせず、そのまま核心に入った。

「あれじゃダメだ、落ちたな」

 二階堂さんが俺にボソッとささやき終わる前に、カチに指をかけてクリップしようとしていた加藤先輩は、手繰ったロープを落としてしまい、急いでホールドにしがみつくこともむなしく、落ちてしまった。

 ビレイヤーもあらかじめ確保の体勢をしていたので、落ちた加藤先輩はロープで振られることなく、勢いをそのままにスルスルと降ろされた。

「ハッ、……加藤さんも頑張ったけど、僕ならせめて、次のモーションを起こしただろうな、ポイントも加点されるし。クリップできなくてずり落ちるとか、ダサ過ぎ」

 さっきの心配顔から一変、早川は機嫌よく加藤先輩を罵って一息つくと、また床に座った。

 早川はあんなこと言っているけど、加藤先輩は男子選手に負けずに、核心まで登ったんだ、十分すごいのに。

 どうして素直にほめてあげられないのか……?


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