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いつかのクライマー  作者: 大田区トロフィーモフ
43/48

完登

 午後一時半に、競技は再開された。

 予選も終わって俺は少し落ち着き、アイソレーションルームに集まった決勝進出者を見てみると、朝来たときは強そうに思った、体のごつい連中はほとんどいなかった。

 なんだ、緊張していた俺はひるんじゃったけど、あいつらはただ体がごつかっただけで、別にクライミングが上手いわけじゃなかったらしい。焦らせやがって!

 その(俺を含めた)精鋭たちの中に、スタッフが入って来た。

「一年女子はオブザベが終わったらすぐ始めるんで、荷物も持ってきてくださーい」

 いよいよ女子の決勝だ。三島さんと加藤先輩は淡々と荷物をまとめて、別れを告げに来た。

「じゃ、アンタら二人も頑張って」

「ああ。三島も、加藤さんには負けなるなよ」

「こ、こんなときまで早川君は私を虐げるなんて……。せ、川内君、応援プリーズ!」

「え? そうだな、じゃあ中二っぽく、『闇に飲まれよ!』」

「や、闇に飲まれるって、なんだか落っこちるイメージなんだけど……」

 いい加減に言葉を交わしてお互い和んだ後、別れ際に三島さんは俺と、今一度目を合わせて挨拶すると、決勝の舞台へと向かった。

 行ってこい、三島さん。

 君の挑戦のために!

 さてと、残った俺は登るまでの待ち時間と闘わなくてはならない。

 スマホは禁止されているし、アップ用のボルダー壁には選手たちがたかっていて登れなさそうだ。

「あー、暇だ。俺も女子の決勝見たいんだけどなあ」

「堀田さんがムービー撮ってるぞ。それと、他校の女子はかなり下手らしいから、三島と加藤さんの一騎打ちになるだろうって」

「なおさら見たくなるじゃないか! 俺は肉眼で見たいんだよ、肉眼で」

「どちらかが一位か二位になるのがはっきりしているんだ、僕は興味ないな」

 興味がない!?

 俺に闘争心がないことを詰ったくせに!

 いや、もしかしたら早川は興味がないんじゃなくて、どちらが勝つか、だいたい予想をつけているのかもしれない。

 単純に加藤先輩のほうがグレードが上だし、勝つのも先輩じゃないかって。

 確かに、実力からすると三島さんが勝つことは想像できない。でも、……

「でも、俺は三島さんが勝つと思う」

 早川に言うでもなく、むしろ自分に言うようにしてつぶやいた。

 それでもやっぱり、三島さんに何かを期待しているから。

「……ま、大会は何が起きるかわからないからな。何が起きているのかも、ここからじゃわからないが」

「うん、見たいなあ……」

午後二時、一年生女子の決勝は出場者が少ないだけあって、もう競技が終わったようだ。

 今度は一年生男子がオブザベーションを行い、すぐに決勝戦が始まった。

 俺は三番手で登ることになっているそうなので、オブザベーションを終えると早川としゃべる暇もなく、メインアリーナの扉の横で待機させられた。

 とりあえず、今見てきたルートの手順の整理でもするか。

 決勝と言うだけあって、頭がこんがらがるような部分があったからな。

 と言うのも、今まで触ったことのないホールドがあるからで、一体どこに指を突っ込んで持てばいいかわからないから、手順が混乱しちゃうんだよね。

 これは、登ったときにお触りして判断するしかない(ゲス顔)。

 わからない部分は飛ばして、自分の登っていく姿をイメージすると、ムーヴは予想できても自分ができるかわからない、このルートの《核心》に突き当たった。

 物語で言うとクライマックスみたいなものかな。

 まず右手で持ちやすさのわからない小さなホールドをつかんで、足を上げてから左手で小さなアンダーホールドをつかむ。

 普通は上から指をひっかけてホールドをつかむけど、《アンダー》はそのホールドが逆向きについていて、手ですくい上げるようして持つことになる。

 リレーのバトントスみたいに、持ち方が変わることだってあるんだ。

 で、その二つのホールドをつかんだら豊満なお尻のような丸い《スローパー》と呼ばれるホールドに手を伸ばす。

 平地なら普通の変態でもつかめるけど、傾斜した壁のお尻は重力のせいで、手をかけてもズルズルと滑るんだよね。

 言葉にすると簡単そうだけど、このホールドが普通に手を伸ばしても届かないような距離に取りつけてあるんだ。

 クライマーをレベルによって峻別する、核心に間違いない。

 だから《ランジ》と言って、クライマーがスローパーに向かって、飛ぶことになるんだと思う。

 いかにも二階堂さんが好きそうな核心だ。

「はい、次は二十二番、ハーネス見せて? ……はい、OK!」

 よし、いよいよ俺の出番か。これからはおふざけ禁止だ。

 前に登った二人への拍手はそれほど聞こえなかったから、途中で落ちたんだろう。

 決勝の舞台へ足を踏み入れると、同時進行で競技をしていないから、メインアリーナ内のすべての人の視線と関心が俺だけ(!)に向けられ、思わず中二病を発病しそうだった。

 まあ、初対面の俺にいきなり応援が注がれるわけもなく、二階堂さんの小さな「ガンバ☆」の声と、会場に流れる二階堂さんの好きそうなBGMを背に、寂しく壁に取りついた。

 この、低音重視の抑揚のない音楽のせいで「聞こえるのは、僕の鼓動だけ!」的な感動は一切なく、あるのは思わずヒヤリとするような、持ちにくいホールドだけだ。

 筋力も使うし、力んで思わず息を止めるから、前腕の筋肉が次第に張ってくる。

 休もうにもホールドが悪すぎて、腕を振れないしチョークもつけられない。

 ……予選とはまるで違う。

 こうして、事前にイメトレした通りに手と足をがむしゃらに動かして登ると、誰だか知らない人の声援が聞こえてくるようになった。

 頭上には、例のお尻に飛びつく、核心が見えた。

 知らない人に応援されるってことは、やっぱりここが核心だったみたいだ。

 その手前で、無理に手をぶら下げて一呼吸レストすると、右手には持ちにくいホールドを、左手ではアンダーのホールドをつかんだ。

 さて、ここから右手を伸ばして飛びつくか、それとも左手か?

 どちらを選ぶかで成功率が変わってくる気がする。持ちやすいのは、左手のアンダーだ……。

 俺は猫が獲物に飛びつく前、尻を左右に振るように、体を上下に揺らしてリズムと勢いをつけると、一か八か、……右手を伸ばして飛んだ!


 ――壁から体を離して、何もない空間に手を伸ばす不安と恐怖。

 それでも何かをつかむことを信じて飛んでしまった勇気と確信。

 観客としては宙に浮かんだのは一瞬でも、クライマーには栄光か墜落かの裁きが下るまでの、永遠を垣間見る待ち時間。――


 それらの煩わしい、混沌とした思考を打ち破るようにして、俺の右の手のひらはしっかり、ポリウレタン樹脂製のお尻を、スローパーをお触りしていた!

 観客も一時に緊張から解放されて、歓声や拍手を、雪崩を打つように送ってくれた。

 ぶっちゃけ、核心の先も難しくて落ちそうだったんだけど、なんとかエクスタシー状態のバカ力で乗り切って、決勝ルートも完登してしまった!

 やっぱ俺TUEEEE!

 そして今度こそは確実に、俺だけに観客の拍手が注がれていた。

 感動で失禁しそう……。

 幸い、ハーネスで下半身が締めつけられていたので失禁はしなかったけど、口元から笑みがこぼれてしまうのは抑えようがなかった。

「デュフ、……ただいま! フヒッ、決勝ルート完登してやりましたよ!」

「おっかえりー、川内君! 完登だから、あとはあぐらをかいて表彰式を待つだけだねえ!」

「ちょ、堀田先輩、持ち上げたって何も出ませんよ?」

「でで、でも、完登したならもう、ほ、本当に勝ち負けなんて気にしないでいいんだよ!」

「にやけ過ぎてキモイ」

「前に登った二人は核心のランジで落ちちゃったけど、よくぞ、あそこでつかんだ! 二階堂さんに鍛えてもらった甲斐があったねー!」

 いやあ、べた褒めも悪くないね! これは俺の優勝だよな、完登したんだし! あと、三島さん、こっそり悪口ぶっ込むのはやめて? 割と傷ついてるからね?

「あの、女子はどうだったんですか?」

「ヒ、ヒメちゃんと私が完登して、女子はタイブレークがないから、同位優勝だと思う」

 へえ、すごいじゃないか!

 これなら、三島さんはおじいさんにいい報告ができるし、加藤先輩も、前にファミレスで宣言した大会での優勝を実現したわけだ!

 壁では俺の次に出てきたクライマーが登っていたけど、例の核心で落ちてしまった。

 完登した俺様は、自分より下の順位が決まっていくのを眺めるだけなので、実に気楽だった。

 でも三島さんの言うように、目についたものによじ登った感慨とか、そこから何かが見える気がするとか、そんなことはまるでなかった。

 なんかモヤモヤした、霧中にいるような……。

 次に登ったクライマーが落ちても、この不穏な霧は晴れなかった。

 続いて出てきた六番目の選手は、早川だった。

「あー、早川君も登っちゃうだろうなー」

 壁に取りついてからわずか三秒、奇妙なことに、堀田先輩は早川の完登を予言した。

 先輩は何を言っているのかしらと思う間に、その予言と俺の不安は現前した。

 早川はどこに苦戦するでもなく、楽々と完登してしまいやがった!

 俺が何よりもショックだったのは、背が高く腕のリーチがある早川にとって、核心のランジは別に飛ばずに、手を伸ばしただけで届いてしまう距離にあることだった。

 早川だけではない。

 その後に出てきたクライマーたちも、意外とあっさり核心を乗り越えて完登していった。

 登ってる本人としては、絶望的に遠く見えた核心だったはずなのに……。

 結局、一年生男子の完登者は八人もいた!

 自惚れていた俺もさすがにへこみ、登り終えた早川に声をかけることすら忘れていた。

「……あの、堀田先輩。この場合、どうなるんですか?」

「うーん、同位が三人くらいならタイブレークの再登だったけど、……八人となると時間的に厳しいから、登り切るまでのタイムで決めると思う」

 堀田先輩の言うように、一年生男子の結果はタイムで決める旨がアナウンスされた。肝心の順位は表彰式で言うらしい。これでは一体誰が優勝するのか、まったく予想がつかない。

 ホント、人生って無駄にハードモードに設定されてるよね!

 このとき、俺は三島さんと加藤さんの二人が二階堂さんに呼び出されて、アイソレーションルームに入っていくことに気づかなかった。……


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