対峙
と、俺らが歩いて行く方向、川上から風に乗って何かフルーティーで、蒸れたようなにおいが漂ってきた。
クンカクンカ。
……これは、ピチピチJKのにおい!
俺がJKのにおいに気づいたとき、三島さんも何かに気づいたようで、急に歩みを止めた。
「どうした?」
三島さんの顔を覗くと、ただでさえ鋭い切れ長の目を、ある一点に向けて恐ろしいほどに凄ませていた。
口は堅く結んでいるけど、下あごがかすかに震えている。
三島さんの視線の先に目を向けると、土手の階段にリア充って感じの女子高生たちが座っていた。 それぞれ、ワイシャツ姿であったり、カーディガンを羽織ったりしていてわかりにくかったけど、スカートの柄を見ると、俺らと同じ後楽学園の生徒らしい。
「もしかして、あれが諸悪の根源たちなのか?」
三島さんは目をそらさないまま、小さくうなずいた。
……そうか、あいつらが早川たちの話していた《例の女子グループ》ってやつか。
この漂ってくるJKのにおいも、正体がわかると、なんだか胸がムカムカしてきた。
「どうする、引き返す?」
「向こうも、もう気づいてる。……ここで逃げたら笑われる」
とは言っても、相手はリア充だぞ?
いくら女子でも、リア充が集団になってると、小心な男子は、その、……ビビっちゃうんですけど。
それでも、三島さんはゆっくりと歩き出した。
仕方ない、ついて行こうじゃないか。
「首謀者も、いる……」
そうか、三島さんを追い詰めた、《不可能への挑戦》を邪魔したやつがここにいるのか。
「誰が黒幕か、はっきりしてるんだね」
「うん……」
そして、三島さんが相手に気づかれないように向けた指先が示したのは、階段の一番上で腰を下ろさずに立っている女。そいつは、……
「紺カーディガン!」
……って、誰だっけ? このあだ名をつけた覚えはあるんだけど。
「ほら、《よしこ》で初めて登った日、道で私がぶつかったトリオの……」
そういえば、三島さんはクライミングジムを出たところで、加藤先輩のいたトリオにぶつかったけど、そのメンバーだったかもしれない。
こいつが黒幕……。
何というクソモブ!
トリオにいた加藤先輩は、今は一緒に登っている。赤カーディガン氏は険のある顔つきだけど華があった。
でも、紺カーディガンなんて誰が覚えているんだ!?
こんな、……こんなやつが?
これといった関わりもないモブキャラが、三島さんの挑戦を邪魔していたのか?
そもそも、こいつは一年生じゃないじゃないか。
「なんで、あいつが……?」
「確か、私たちがみんなでお昼を食べるようになった頃からだと思う。私のクラスに知り合いがいるのか、教室に入り浸るようになって……」
「二年だか、三年生なのに?」
「さあ、加藤先輩が抜けてからトリオを解散でもして、どこのグループにも属せなかったから一年生にすり寄って来たんじゃない? ……それで、私のことが嫌いな人たちと話が弾んで、グループの一員になって、私への攻撃を指示して。クライミング部時代に堀田先輩をいじめたのも、あいつが裏から指示してたみたいだし」
「何か、恨まれるようなことをした覚えは?」
「さあ。……どうせ、道でぶつかった日のことを、いつまでも覚えていたんでしょ」
おいおい、それが猫なら褒めるけど、あいつだって人間の脳みそを持ってんだろ!?
そんな小さなことをいつまでも覚えているなんて、なんと執念深いやつなのか。
いや、こんな器の小さい人間だから、裏でコソコソいじめなんて指揮するのか。
堀田先輩へも、流されやすい赤カーディガン氏のことを使って、攻撃していたらしいからな。
それもおそらく、かよわい自分自身を守るために!
もう川辺は夜に包まれていたけど、俺らは紺カーディガンと、その他諸々の顔がわかるほどの距離に近づいていた。
遠く街灯の明かりが、この対峙を冷やかすように照らしている。
紺カーディガンの顔にこれといった特徴はなく、無難な壁紙といった感じの女だった。
これが三島さんの高尚で、中二病じみて、それでいて魅力的な《不可能への挑戦》に立ちはだかる、いじめの黒幕。
うんざりするほど高い壁、なのか。……
「クソっ、殴ってこようか?」
「やめて! そんなことしたら、私たち二人とも終わりだから……」
う……、興奮しすぎた。
ちくしょう、二次元なら男女平等パンチで済むのに。現実では、俺が告訴されておしまいか。
だけど、こうして何もできずに黙っているしかないなんて、あんまりだよな。
三島さんもどうしようもなく、顔をうつむけて、無気力な瞳を川面に向けていた。
「やっぱり、女の敵はおん……」
「それ以上言うな!」
三島さんがポツリと言おうとしたことを、俺は全力で阻止した。
女の敵は女!?
そんなタンスの裏にたまった、古代のホコリみたいな慣用句を引っ張り出してきてどうするんだ?
それをオチにしたところで何が変わる!
俺は三島さんに体を向けると、その両肩をつかんで、じっと目を見つめ、
「そんなことない。何かに挑戦する人にとって、退屈な水平の日常生活から垂直の世界に飛び出した人にとって、誰だって敵になり得るんだ。《不可能への挑戦》をするんだろ? 三島さんはそんな狭い、性別や学校や世間のしがらみの中に、籠っていちゃいけない人なんだ!」
俺は必死で訴えた。
言葉が伝わらなくてもいい、この俺の気持ちが伝わってくれれば!
寡黙な三島さんと登るときは、いつも目を合わせれば、言いたいことはだいたい伝わっていた。
今も気持ちが通じたのだろうか、あるいは俺が《不可能への挑戦》を笑わなかったことを感謝していた三島さんのことだから、その挑戦を後押しされたのが嬉しかったのか、無気力だった瞳に怒りが一瞬浮かんだ後、いつもの輝きが戻って来た。
悔しかったからだろ、一瞬見えた怒りの理由は?
なら、三島さんの気持ちに火が付いたはずだ。あとは、これからどう《行動》を起こすか。
三島さんが、三島さんだけが決めるんだ。
すると、三島さんは俺の夏服のワイシャツの、だらしなく出た裾を軽くつまんだ。
「少しの間、こうしててもいい?」
「へ? そりゃ、別に構わないけど……。あいつらの前だぞ?」
「いい、そんなの怖くない。だって私は、誰かと比べて特別になった気でいる小さな人間じゃないし、日常生活の足の引っ張り合いにも興味がない。ライバルはただ《不可能》だけの人間なんだから……なんてね。ヘンタイに言われて、筋トレを始めた昔の気持ちを思い出した」
ハハ、言ってくれるじゃないか。
そうだ、俺は三島さんの傲岸で、無謀で、非凡なこの心意気に惚れたから、一緒にクライミングを始めたんだ。
と、裾を引っ張って小声で、
「……そのかわり、私の傍にいてくれる?」
「ああ、もちろん、傍にいるよ。一体何度、俺が三島さんの挑戦を、神がかりな働きで助けてきたと思ってるんだ!」
階段の前を通り過ぎるとき、何か声をかけられた気がしたけど、俺ら二人の会話にかき消されて何も聞こえなかった。
いじめについては何の解決もしていないし、どうしようもない。
こうして通り過ぎることしかできないけど、俺が傍にいてやる。
そんなこと気にせず、一緒に突き進んでいこう。
ただただ、三島さんの挑戦に向かって。
いじめてきたあいつらが悪いんだ、俺たちが引き下がる理由なんて、どこにある?
後ろからはどっと笑い声が起こったけど、歩いて行く俺たちからはあまりにも離れていたから、何を笑ったのかはわからない。
振り返ると、女子グループの姿はもう、闇に沈んでいた。




