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いつかのクライマー  作者: 大田区トロフィーモフ
38/48

対峙

 と、俺らが歩いて行く方向、川上から風に乗って何かフルーティーで、蒸れたようなにおいが漂ってきた。

 クンカクンカ。

 ……これは、ピチピチJKのにおい!

 俺がJKのにおいに気づいたとき、三島さんも何かに気づいたようで、急に歩みを止めた。

「どうした?」

 三島さんの顔を覗くと、ただでさえ鋭い切れ長の目を、ある一点に向けて恐ろしいほどに凄ませていた。

 口は堅く結んでいるけど、下あごがかすかに震えている。

 三島さんの視線の先に目を向けると、土手の階段にリア充って感じの女子高生たちが座っていた。 それぞれ、ワイシャツ姿であったり、カーディガンを羽織ったりしていてわかりにくかったけど、スカートの柄を見ると、俺らと同じ後楽学園の生徒らしい。

「もしかして、あれが諸悪の根源たちなのか?」

 三島さんは目をそらさないまま、小さくうなずいた。

 ……そうか、あいつらが早川たちの話していた《例の女子グループ》ってやつか。

 この漂ってくるJKのにおいも、正体がわかると、なんだか胸がムカムカしてきた。

「どうする、引き返す?」

「向こうも、もう気づいてる。……ここで逃げたら笑われる」

 とは言っても、相手はリア充だぞ?

 いくら女子でも、リア充が集団になってると、小心な男子は、その、……ビビっちゃうんですけど。

 それでも、三島さんはゆっくりと歩き出した。

 仕方ない、ついて行こうじゃないか。

「首謀者も、いる……」

 そうか、三島さんを追い詰めた、《不可能への挑戦》を邪魔したやつがここにいるのか。

「誰が黒幕か、はっきりしてるんだね」

「うん……」

 そして、三島さんが相手に気づかれないように向けた指先が示したのは、階段の一番上で腰を下ろさずに立っている女。そいつは、……


「紺カーディガン!」


 ……って、誰だっけ? このあだ名をつけた覚えはあるんだけど。

「ほら、《よしこ》で初めて登った日、道で私がぶつかったトリオの……」

 そういえば、三島さんはクライミングジムを出たところで、加藤先輩のいたトリオにぶつかったけど、そのメンバーだったかもしれない。

 こいつが黒幕……。

 何というクソモブ!

 トリオにいた加藤先輩は、今は一緒に登っている。赤カーディガン氏は険のある顔つきだけど華があった。

 でも、紺カーディガンなんて誰が覚えているんだ!?

 こんな、……こんなやつが?

 これといった関わりもないモブキャラが、三島さんの挑戦を邪魔していたのか?

 そもそも、こいつは一年生じゃないじゃないか。

「なんで、あいつが……?」

「確か、私たちがみんなでお昼を食べるようになった頃からだと思う。私のクラスに知り合いがいるのか、教室に入り浸るようになって……」

「二年だか、三年生なのに?」

「さあ、加藤先輩が抜けてからトリオを解散でもして、どこのグループにも属せなかったから一年生にすり寄って来たんじゃない? ……それで、私のことが嫌いな人たちと話が弾んで、グループの一員になって、私への攻撃を指示して。クライミング部時代に堀田先輩をいじめたのも、あいつが裏から指示してたみたいだし」

「何か、恨まれるようなことをした覚えは?」

「さあ。……どうせ、道でぶつかった日のことを、いつまでも覚えていたんでしょ」

 おいおい、それが猫なら褒めるけど、あいつだって人間の脳みそを持ってんだろ!?

 そんな小さなことをいつまでも覚えているなんて、なんと執念深いやつなのか。

 いや、こんな器の小さい人間だから、裏でコソコソいじめなんて指揮するのか。

 堀田先輩へも、流されやすい赤カーディガン氏のことを使って、攻撃していたらしいからな。

 それもおそらく、かよわい自分自身を守るために!

 もう川辺は夜に包まれていたけど、俺らは紺カーディガンと、その他諸々の顔がわかるほどの距離に近づいていた。

 遠く街灯の明かりが、この対峙を冷やかすように照らしている。

 紺カーディガンの顔にこれといった特徴はなく、無難な壁紙といった感じの女だった。

 これが三島さんの高尚で、中二病じみて、それでいて魅力的な《不可能への挑戦》に立ちはだかる、いじめの黒幕。

 うんざりするほど高い壁、なのか。……

「クソっ、殴ってこようか?」

「やめて! そんなことしたら、私たち二人とも終わりだから……」

 う……、興奮しすぎた。

 ちくしょう、二次元なら男女平等パンチで済むのに。現実では、俺が告訴されておしまいか。

 だけど、こうして何もできずに黙っているしかないなんて、あんまりだよな。

 三島さんもどうしようもなく、顔をうつむけて、無気力な瞳を川面に向けていた。

「やっぱり、女の敵はおん……」

「それ以上言うな!」

 三島さんがポツリと言おうとしたことを、俺は全力で阻止した。

 女の敵は女!?

 そんなタンスの裏にたまった、古代のホコリみたいな慣用句を引っ張り出してきてどうするんだ?

 それをオチにしたところで何が変わる!

 俺は三島さんに体を向けると、その両肩をつかんで、じっと目を見つめ、

「そんなことない。何かに挑戦する人にとって、退屈な水平の日常生活から垂直の世界に飛び出した人にとって、誰だって敵になり得るんだ。《不可能への挑戦》をするんだろ? 三島さんはそんな狭い、性別や学校や世間のしがらみの中に、籠っていちゃいけない人なんだ!」

 俺は必死で訴えた。

 言葉が伝わらなくてもいい、この俺の気持ちが伝わってくれれば!

 寡黙な三島さんと登るときは、いつも目を合わせれば、言いたいことはだいたい伝わっていた。

 今も気持ちが通じたのだろうか、あるいは俺が《不可能への挑戦》を笑わなかったことを感謝していた三島さんのことだから、その挑戦を後押しされたのが嬉しかったのか、無気力だった瞳に怒りが一瞬浮かんだ後、いつもの輝きが戻って来た。

 悔しかったからだろ、一瞬見えた怒りの理由は?

 なら、三島さんの気持ちに火が付いたはずだ。あとは、これからどう《行動》を起こすか。

 三島さんが、三島さんだけが決めるんだ。

 すると、三島さんは俺の夏服のワイシャツの、だらしなく出た裾を軽くつまんだ。

「少しの間、こうしててもいい?」

「へ? そりゃ、別に構わないけど……。あいつらの前だぞ?」

「いい、そんなの怖くない。だって私は、誰かと比べて特別になった気でいる小さな人間じゃないし、日常生活の足の引っ張り合いにも興味がない。ライバルはただ《不可能》だけの人間なんだから……なんてね。ヘンタイに言われて、筋トレを始めた昔の気持ちを思い出した」

 ハハ、言ってくれるじゃないか。

 そうだ、俺は三島さんの傲岸で、無謀で、非凡なこの心意気に惚れたから、一緒にクライミングを始めたんだ。

 と、裾を引っ張って小声で、

「……そのかわり、私の傍にいてくれる?」

「ああ、もちろん、傍にいるよ。一体何度、俺が三島さんの挑戦を、神がかりな働きで助けてきたと思ってるんだ!」

 階段の前を通り過ぎるとき、何か声をかけられた気がしたけど、俺ら二人の会話にかき消されて何も聞こえなかった。

 いじめについては何の解決もしていないし、どうしようもない。

 こうして通り過ぎることしかできないけど、俺が傍にいてやる。

 そんなこと気にせず、一緒に突き進んでいこう。

 ただただ、三島さんの挑戦に向かって。

 いじめてきたあいつらが悪いんだ、俺たちが引き下がる理由なんて、どこにある?

 後ろからはどっと笑い声が起こったけど、歩いて行く俺たちからはあまりにも離れていたから、何を笑ったのかはわからない。

 振り返ると、女子グループの姿はもう、闇に沈んでいた。


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