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いつかのクライマー  作者: 大田区トロフィーモフ
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グラウンドフォール その3

 山岳部員の二人と別れ、加藤先輩との帰り道。電停に向かって俺らは歩いていた。

 今日はレストするとはいえ、暇だし、みんなの様子を少し覗きに行くことにしたんだ。

 まあ何より、俺の働きを労ってもらう必要もあるからね!

「あ、あの、今日は、つつ、ついて来てくれて、ありがとう」

「いえ、俺がいなかったらどうなっていたか怪しいので、……来てよかったです」

「うう、ふみのやつが戦いを仕掛けてくるから。まったく、中二病なもので。じ、邪魔しちゃって、申し訳ない……」

 それなら、加藤先輩も割と邪魔だったけどね。

「そ、それと、川内君を呼び出したのは、も、もう一つ理由が……」

「え、俺に何か?」

 と、ここで路面電車が来てしまったので、気になるところで会話は中断された。

 ちょ、俺だけを呼び出すってことは、もしや……。

 どうしよう、俺のモテ期来ちゃった?

 放課後になって少し時間も経っているので、車内に中高生はいなかった。

 一般の乗客は、隣の車両におばあさんが一人座っているだけで、シチュエーションとしては悪くない。

「で! 何です、俺が選ばれた理由とは!」

 あまり鼻息荒く話を蒸し返したからか、加藤先輩は若干引いてしまった。

「え、えっと、その、川内君って逢衣ちゃん……堀田先輩と、付き合ってるの?」

それきた! 二人きりになったら、彼女の有無を聞かれるパターンは間違いない!

「……って、三島さんが」

「もちろん! 付き合っていないし、しかも童て……って、え? なんで三島さん!?」

 なんだ、告白キタコレとか思ったけど、違うのかよ!

 それに、依頼者が謎なんだが。

「なな、なんか、普段からちょこちょこ、あ、逢衣ちゃんと目を交わしてるから、その、女の勘で察したんじゃないかと。でも、付き合ってなかったんだ」

 女の勘!

 三島さんはそういうことは鈍いかと思ったら、なかなか鋭い勘じゃないか。

「まあ、残念ながら付き合ってないですよ。二次元ではモテるんですけどね、課金してるし」

「じ、じゃあ、報告してもいい?」

「二次元の嫁のことを? どうしよう、課金してるってお母さんにも言ってないのに……」

「そっちじゃない! つつ、付き合ってないって」

「あ、そっちですか。それだとなんか面白くないんで、俺が堀田先輩から想いを寄せられているかのように、尾ひれをつけまくって……」

 そんな具合にいろいろと注文を付けていると、路面電車はクライミングジムの最寄り駅に到着した。

 《よしこ》の前の路上には、早川のオシャレ自転車が置かれていた。

 中に入ると、三島さんが早川のビレイで登り始めようとしていて、堀田先輩は二人から離れた床で、柔軟体操をしているところだった。

「堀田先輩、申込書に署名もらってきましたよ。やることはまだありますけど、まずはほめていただかないとね。さあさあ、ほめろ!」

「すごーい、川内君! 優秀! 天才! 日本一!」

「ちょ、声が大きいし、大げさにほめ過ぎて、俺があさましく見えるじゃないですか!」

「ふふ、だって簡単な仕事だもーん。あ、背中押して」

 ちくしょう、好き勝手振り回しやがって!

 美女に振り回される気分は悪くないけどね!

 いや、ちょっと待て。背中を押すってことはつまり、堀田先輩に触るってことか?

「え、ちょ、それは加藤先輩にやってもらえば……」

「すみちゃん、漫画読んでるもん」

 本当だ。加藤先輩は、早川が休憩中に読むために持ってきている漫画を、勝手にマットに寝転がって読んでいた。

「じゃあ、フヒッ、遠慮なく触……押しますね。せーのっ」

 デュフフ、合法的に堀田先輩に触われるなんて、柔軟体操とはなんと素晴らしい口実!

タンクトップの上に薄いジャージを羽織っているとはいえ、手のひらには先輩のぬくもりが伝わってくるし、腕には先輩の体のささやかな抵抗がかかり、髪を束ねて露わになったうなじからは、スズカケノキの葉のような甘い香りが漂ってくる。

 ……最高!!

 ただ、うっとりとした俺の脳内の上部、その一か所はまだ冴えているというか、なんか、黒々とした闇が鎮座しているような感じがする。

 ふと気になって顔を上げてみたけど、脳内のことなので何が見えるわけでもない。あるのは見馴れたクライミングウォールだけだ。

 正面にある壁では、三島さんがロープを思いっきり手繰って、クリップをしようとしているところだった。

 なんてことはない、ありふれた景色だ。

 ただ、何か様子がおかしい。まだ何かはわからないんだけど、何かがきっと。

 目の前で登る三島さんをよく見ると、床から四つ目のクリップまではしていたが、五つ、六つ目は飛ばして、七つ目のヌンチャクに今、クリップしようとしているところだった。

「あれ、ちょっとー、川内君?」

 柔軟体操の手伝いが何か、つまらないことに思えて、ゆっくりと先輩から手を離してその場に立つと、壁だけを見つめる俺の頭の中に、次々と疑問が浮かんできた。

 三島さんはなぜ登っているのか、登っているルートは何か、どうして二つもクリップを飛ばしているのか、どうして早川は注意しないのか、三島さんはどうして七つ目のクリップはしようとするのか、早川はなぜ、それに合わせてロープを繰り出しているのか……?

 堀田先輩も顔を上げて、三島さんのことを見ていた。

 漫画を読んでいたはずの加藤先輩でさえ、ふと視線を壁に向けて、ぼんやり眺めていた。

 そして、俺が堀田先輩をよけて前に踏み出したそのときだった。

 三島さんは手にしていたロープを落として、瞬く間に視野から消え去った。

 背後で、誰かが短く叫んだような気がした。

 俺は駆け出していた。目の前では、早川が無駄だとはわかりながら確保の姿勢を取り、ヌンチャクがヒステリックな音を立てて壁面を叩いたかと思うと、上からロープが、先端にクライマーを結びつけたまま振り落ちてきた。

 傾斜の付いた壁から振り子のように落ちてきたクライマーは、ロープがくるぶしに引っかかっていたのか、落下中に体が回転して真っ逆さまになると、頭を軽くマットにぶつけてバウンドすると、壁面に背中をぶつけて静止した。

「三島さん!」

 俺が誰よりも早く傍に駆け寄ると、クライマーは上体を起こそうとしたので、肩を手で押さえつけて横にした。

「大丈夫だから、大丈夫だから……!」

 落ちたショックからか、大きく目を見開いたクライマーは、なんともないことをアピールしようと何度も体を起こしかけたが、その度に俺は無言で肩を押さえつけた。

「ヒメちゃん、しっかりして! わかる?」

「何今の、手繰り落ち?」

「ハ、ハーネス、はずして、あげ、あげないと!」

「あの、よかったら僕、車出しましょうか?」

「す、すまん、川内。三島さんの登りが機械化してたから、馴れて余裕で登れるルートだと」

「頭、打ってましたよ」

「大丈夫です、大丈夫です……」

「私が傍にいたのに、気づけなかった……」

「手足はちゃんと動かせてる」

「あの、ごめんな、三島。いつものように、川内がビレイしていたらこんなことには……」

「いい、一応、氷持ってきたから、く、首にでも当てて」

 何人もの人が集まって、しゃべっているのはわかっていたけど、誰が誰だかはわからなかったし、そんなことは気にもならなかった。

 俺は茫然と、グラウンドフォールした、地に堕ちたクライマーのくるぶしを見つめていた。

 そこには、ロープが擦れてできた軽い火傷の跡があった。確か、ロープバーンと言ったと思う。

 傷と呼ぶにはあまりにも物足りなく、官能的な薄桃色をしたそれは、今周りにいる誰よりも親身に、堕ちたクライマーに寄り添っていた。

 あたかもその存在こそが、美しい肌をつなぎとめている秘密であるかのように。

 俺はそいつを、ただじっと見つめていた。


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