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いつかのクライマー  作者: 大田区トロフィーモフ
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前兆 その1

 告白後、俺の緊張とは裏腹に、堀田先輩は何事もなかったかのように接してくれた。

 振られたんじゃないんだし、俺だって胸を張っていてもいいよな?

 早川も、ライバルである俺が撃沈したと思い込んでいるので、いつもと変わりがない。

 どうやら、誰かにバラした様子もなさそうだ。

 告白したら何か、人生が変わるかと思ったけど、それは童貞の幻想だったようだね。

 しいて変わったところを言えば、あのメールを受け取って以来、なんとなく堀田先輩から目が離せなくなったことかな。

 今はどこにいるかと視線を泳がすと、体の硬い加藤先輩の背中を押して、柔軟体操を手伝っていた。

 さて、これから先輩とどうやって関係を深化……

「ちょっと」

 何事かと思ったら、ぼんやりと堀田先輩を眺めていた俺の幸福を崩すように、三島さんの蹴りが尻に突き刺さっていた。

「ゔっ、三島さん、シューズ履いて蹴るのやめて! 俺の尻が四つに割れたらどうするの!?」

「登るって、さっきから言ってるのに、あんたが無視してニヤニヤしてるからよ」

 マジかよ、無意識に笑っていたとかキモイな、俺……。

 だが、堀田先輩を眺めていたことはバレていないみたいでよかった。

 それにしても、なんと乱暴なやつだ! もっと、堀田先輩を見習ってもらいたいものだね。

「じゃ、黒四角、登るから。私から目を離さないでよ?」

「ああ、もちろん。ビレイヤーとして、よそ見は許されないからね!」

「ん」

 さてと、うるさい三島さんも登ったことだし、先輩はどこにいるかな?

 堀田先輩は、早川のビレイをしている加藤先輩と何か話していた。俺の視線に気づくと、目で笑ってくれた後、キッと顔つきを変えて、ちゃんとビレイに集中しなさいと、手振りでたしなめられた。

 それと同時に、クリップしようと三島さんがロープを引っ張り上げたので、残念ながら、俺は堀田先輩から視線を逸らさなくちゃならなかった。

 それにしても、三島さんはよく登る。登るだけ上手くなるって堀田先輩が言うように、三島さんは一年生の中で一番上達していて、早くも11bのルートに取り組んでいた。

 そのレベルをバストで例えると、俺と早川が10dに挑戦していて、その5・10台のクラスがAカップだとすると、5・11台のクラスはCカップくらいで、それくらい厳然とした越えられない壁があるよ。

 そんな三島さんを見上げていると、腕がパンプしてきたのか、しきりに振って休んでいる。腕が疲れると不思議なことに、足も連動して震えて出すから、そろそろ落ちるかもしれない。

「テンション」

「はいはい、いいよー」

 三島さんは、肉体の限界まで挑戦して落下(フォール)することを選ばないで、壁の途中で休むことを選択したようだ。

 俺がビレイ器を通したロープを持った右手を、腰に引き寄せてロープを張ってあげると、三島さんはホールドから手を放してぶら下がった。

 こうやって途中で休んじゃうと、登ったとカウントすることはできない。休まずに一息で登り切ると、完登として認められるんだ。

 前にも言ったけど、初挑戦のルートを、誰の登り方も見ずに完登する《オンサイト》が一番価値がある。

 で、二回以上挑戦したルートを完登すると、それは《レッドポイント》って呼んでいて、登れるまでに挑戦した回数が少ないほど、オンサイトに次いで価値がある。

 まあ、俺らは初心者だからオンサイトは難しくって、とりあえず何度も挑戦したビッチなルートの完登を、つまりレッドポイントを目指して登っている。

 さて、ぶら下がっている三島さんは一途に、これから自分の登っていく先のルートの手順を確認しているからか、高所恐怖症は発症していないみたいだ。

 待っている間、ビレイヤーは暇なので、俺は加藤先輩のビレイで登る堀田先輩を見ていた。

まるで、池に落とした小石が描く波紋のように、無駄なく力を伝播させて登る先輩の姿は、いくら眺めていても飽きない。実に、ふつくしい。

 と、先輩の登り(と先輩本人)に見惚れているところへ、三島さんが声をかけてきた。

「ん、行きます」

「お、いってらっしゃい!」

 三島さんは、この一回の休憩だけでルートを登り切って、また終了点で固まった。その高所恐怖症患者を、無理にロープを繰り出して降ろすと、何か浮かない表情をしていた。

「なんだよ、暗い顔して? おっぱい揉む?」

「うん……」

 かなりの重病らしいね。

「え、マジでどうした? 今登った黒四角のルートなら、次で落とせるよ」

「そうじゃなくって、……もっと上手くなりたい」

 ふだんの傲岸な感じとは打って変わって、今日はなんだか弱気な三島さんだ。

 大会まであと一か月、結果を出せなかったらクライミングはやめるって、三島さんのおじいさんと約束しちゃったし、段々不安が大きくなってきたのかもしれない。

「何か、俺に協力できることがあればいいんだけど……」

 クライミングは口うるさく指導されなくても、人の登り方をよく見て、より多く登れば上達できる。それを言い換えれば、自分の力でしか強くなれないんだよね。三島さんがクライミングを続けるために、上手くなるのを手助けしようにも、何もできていないのが現状だった。

「協力してくれるの?」

「そりゃあ、おじいさんに認めてもらわないと。あと、ヘンタイって呼ばれないために」

「じゃあ、私たちも《夜の宴》に参加してみない?」

 う、夜の宴に参加するのか。クライマーのレベルが高いし、テンションも高いし、すぐに服脱ぐし、面倒くさい人が多いというか、そもそも面倒くさい人しかいないんだよな……。

「……仕方ない、三島さんが大会で結果を出すためにも、参加するか」

 どうせ何もしていないんだから、これくらいは協力しないとね。

「いいのね? じゃ、夜の宴に参加するからには、前みたいに家に着くまでアンタを連れて行くから、覚悟してね」

 三島さんはそう言うと、少し元気が出たのか、表情に明るさ(と傲慢さ)が戻った。

「また俺を犬のように……、塀にマーキングしちゃうぞ?」

「前より、アンタのヘンタイ度合が増してる気がする」

 と、そこへ空気の読めない加藤先輩が今さらながら、

「え、ヒ、ヒメちゃん《夜の宴》に出るの? その、ついに腐った? 目覚めた?」

「加藤先輩、変なタイミングで話に入るのはオタクの悪い癖です。目覚めてもないでしょう」

「うう……、つ、ついに川内君にまでディスられるとは……」

 横で笑っていた三島さんの表情は、光の加減か、少しひきつっているように見えた。


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