宴の後
とは言っても、まっすぐ家に帰る気にはなれないし、俺は一人で昼飯を食べることにした。
牛丼を食べながら、この後はまず模型店にでも行って、それから美容院に行ってイケメンになろうと計画を立てるが早いか、さっさと牛丼を掻き込んで店を出た。
いくつもの細い道を抜けて、陰気に黙りこくった住宅街を歩くと、道に面した銅板葺きの看板建築があって、そこが町の模型店だ。その横は空き地になっているから、半ば腐った下見板張りが丸見えで、表面だけを飾った看板建築のむなしさが倍増してしまっている。
ガラス戸は長いこと拭われていないのか、ひどく汚れていて、店内は人一人がやっと通れる隙間を開けて棚が置かれている。
商品には割引シールが貼られているけど、客もいない。
店に満ちているのはホコリとカビのにおいと、線香の寂しい香りだけだ。
この模型店の名前は、《早川模型》って言うんだ。
「おい客だぞ、喜べ店員!」
「……ん、おう」
この模型店はほかでもない、早川の実家だ。早川はレジで昼寝でもしていたのか、頬に袖の跡が、赤くついてしまっている。
「相変わらず、四季も巡って来ないような店だね。この割引シールは?」
「ああ、それか。いよいよ晴れて閉店することになったんだ、出血大サービス」
「そうか、……おじいさんは?」
「僕に店番を任せて、金策のために走ってる」
早川の家は、俺が小学生のころから首が回っていなかったんだけど、身なりだけは着飾っているから、三島さんも気づかなかったようだ。
早川も、誰にも話したりしないし。
あの大会が終わった後なので、顔を合わせて話すのは気まずく、棚を眺めまわしていると、遠い有名な観光地の鉄道模型がやたらと目についた。
「なんで、地元に縁のない土地の鉄道模型をごり押しするんだ?」
「あー、それか。最近テレビで食べ歩き番組ばっかりやってるだろ? だから、いろんな局で観光地へ行って食べ歩いて、当然その土地の電車も映るし、ゲストが乗ったりする。そのテレビに映った宣伝効果で、コンスタントに売れるんだよ」
「へー、知らなかった」
「まったく、じじいめ。こんな他力本願の商売しかできないから、潰しちまうんだよ……」
「引っ越しするのか?」
「いや、じじいの年金十万弱と、学園の出す奨学金の月二万で暮らしているんだ。ここを引っ越す金もない。借金ならある。つくづく、《よしこ》の年間パスに払った金が惜しい」
そうか。じゃあ、さっき言ってた「次の大会でも頑張る」云々は、実現しないのかもしれないのか。
俺は棚に飾ってあった未塗装の、飛行機模型の完成サンプルを手に取った。
「なんでこれ、塗装されてないの?」
「塗装したら、買った商品に色がついてないぞって騒ぐアホがいるんだ」
なるほど、どこの世界にも意味不明なクレーマーっているんだね。
「そうなんだ。これ、買うよ。自分で組み立てるのは面倒くさいし」
「それなら、ほかの……」
「いや、これがいい。お前が組み立てたんだろ? もちろん手数料もつけるから」
そう言うと、俺はカルトンに四万円を置いた。
「出来がいいから、ちょっとおまけ」
そして、早川が受け取るかを見もしないで出口へ向かったけど、「まいど」と小さく聞こえたので、売買は成立ってことかな。
ガラス戸に反射して、レジにいる早川の姿が映っていたけど、お辞儀をしたのかどうか、頭を下げたかと思うと、そのままカウンターに突っ伏してしまった。
と、そのガラス戸に何か黒いものが映り、驚いて振り返る前に、俺の後ろをその何かが通って外へ出て行った。小さな子供のようだったけど、道に出たときにはもう、誰もいなかった。
早川模型と打って変わって、駅前の美容院は華やかだ。
これで、カットしてくれる美容師がかわいい人ならよかったんだけど、担当したのは店長の中年婦人とか、もうね。
店長はこの絶望を覆い隠すように、俺の顔に白布をかけて髪を洗いだした。
その白布がずれそうになったから、顔の筋肉を総動員して直していると、離れたところから必死に髪型の注文をしている、震え声が聞こえてきた。
「ああ、あの、髪、み、短く……」
「ショートですね。どんな感じにします?」
「どど、どんなって。えっと、つ……」
「ツーブロック?」
「いややや、えっと、こ、こん」
「コーンロウ?」
「ちがっ、違います! こ、こんな感じに……」
声の主はスマホで髪型の画像でも見せたのか、どうにか美容師を納得させたようだった。
言葉で説明するのも難しいけど、写真を見せるのも結構恥ずかしいよね。「ちょ、おま、まず骨格削って来いよw」とか、言われたらどうしようかとか、いろいろ考えちゃう。
そして、髪を洗い終えた俺が体を起こしたときに、ちょうど声の主が髪を洗いに来た。
「……って、あれ? 加藤先輩だったんですか!」
「う、知り合いがいたとは……」
カットを終えた俺は、うつむく頭を五秒に一回持ち上げている美容師と、それでもうつむく加藤先輩とのぎこちない会話を楽しみながら、カットが終わるのを待っていた。
「うう、待ってたし……」
「なんか、面白かったんで」
加藤先輩の髪型は、漫画の美人教師キャラのような前下がりショートだった。……似合っているかどうかは、あえて触れないでおこう。
「あ、あの、ち、知的に見えるかな?」
おうふ、自ら触れてきやがった。
「いや、……挑戦すること自体が大切なんだと、俺は思います」
「答えになってないし! へ、変に気を使わないでいいよ……」
加藤先輩の心のダメージは、意外と大きかったようだ。
何というか、その髪型はやっぱ背がないと様にならないというか、先輩がやると子供っぽいというか。
「そういえば、加藤先輩ってストーカー時代から、よく髪型をいじってたんですか?」
「ス、ストーカー時代って。あれは、その、さっきも聞いてたと思うけど、か、髪型を上手く伝えられなかったから、不本意にも毎回髪型が変わっちゃっただけ……」
だいぶ重症なコミュ障のようだね。
「あれ、でも毎日会うたびに、少しずつ髪型変えてませんでした?」
「それは、……か、髪の成長が異様に早くて、どんなカットにしても、三日でおかっぱに再生しちゃって」
「もはや呪いの日本人形じゃないですか! なら、髪型チェンジは変装でも、趣味でもないんですね」
「う、うん、天然チェンジ。妹は一年くらい変わらないというのに……」
さて、こうして俺らは美容院から出て、なんとなく並んで歩いてしまっている。
フヒ、このチャンスを生かすために、大胆にお茶でも誘ってみようか?
「何その、ヒ、ヒコーキ?」
「ああ、これですか? 早川から買いました、バッグに入らなくって」
「は、早川君から? 盗んじゃえばよかったのに……」
早川に対してブラックすぎる!
やっぱり、ストーカー疑惑で捕獲され、便所飯でバカにされ、普段もオタ趣味を悪く言われてきたから、加藤先輩の(いろんな意味で)小さな胸は荒んでしまったのか……?
「あの、先輩。早川は(そこまで)悪いやつじゃないですよ?」
早川のためにも軽く弁護すると、加藤先輩は夜の猫のように目を見開いて、
「まま、まさか、私の気の弱さにつけ込んで、ずっとタメ語なんだよ!? 私の趣味も小バカにしてくるし……。せめて、堀田先輩が便所飯のときに、あいつを呼ばなかったなら……」
「あー、あの日ですか。でも堀田先輩のメールに気づいたのって、早川だけですよ? あいつがわざわざ呼びに来てくれたから、俺らも駆けつけられたんです」
「うっ、そうなんだ……」
「そうですよ、トイレでは先輩のことバカにしてましたけど。教室に来たときは、やけに真剣な表情をしてたもんだから、女子にキャーキャー言われちゃって。クソ腹立ちましたね」
意外なことを知ったからか、加藤先輩はしょげるように顔を伏せてしまった。それでもまだ興奮しているようで、いつの間にか耳まで赤くしている。
「でで、でも、やっぱりあいつがいなかったら、クライミングももっと楽しめるのに……」
ああ、「こいつさえいなければ、俺の人生イージーなのに!」って思うことってあるよね。
「かといって、加藤先輩がビレイしてくれないと、早川はクライミングを楽しめないらしいですよ?」
「そそ、それってどういう意味!?」
「なんか、堀田先輩は上手すぎでプライドが傷つくし、俺と三島さんはビレイヤーとして信頼できないから、加藤先輩くらいがちょうどいいって言ってました」
「ああ、そういうこと……、や、やっぱり腹立つ!」
加藤先輩の頬はリンゴのように紅潮して、ロリ度が普段の五割増しになっていた。これはだいぶ怒っているからなのかな?
「あ、あの!」
「何ですか?」
「うっ、ああ、あいつの情報、教えてほしいな……」
「え、情報って、やっぱり弱点ですか?」
これはまずい、普段気弱な加藤先輩のことだから、かえって復讐は粘着質で陰惨な……
「違うから! ク、クライマーとして困難を、自分で、の、乗り越えなきゃと思って」
「おお?」
そして、このときに話してくれたのが、例の赤カーディガン氏への反撃のことだった。
あれ以来いじめられてはいないけど、今度は体調管理に目覚めた赤カーディガン氏の、健康法のうんちくがうざいようだ。
つまり、かえって前より仲がよくなってしまったらしい。
「なるほど、じゃあ便所飯の後も、いろいろと苦労していたんですね」
「ほ、放課後につかまるから、Bクラスなのに、ジ、ジムに行くのが遅くなっちゃう」
「で、クライミングジムでは早川に捕まるわけですね。それにしても、先輩って結構ガッツあるんですね。てか、赤カーディガン氏といるのは嫌じゃないんですか?」
「い、意外と赤井さんも悪い人ではないというか、その、単に流されやすいだけだったというか……。だから、早川君ともちゃんと向き合ってみようかなって。あの、ま、まず、なんで早川君からあんなに高いお金を払って、その、ヒコーキを買ったの?」
「あれ、なんでそのことを!?」
じゃあ、さっき後ろをすり抜けていった影は、……加藤先輩だったのか。
あのやりとりも聞いていたのかもしれない。
だとしたら、ここで早川の家のことを隠しても仕方ないか。
「どうして、早川模型にいたんですか?」
「オ、オタクの情報網に、アニメくじの景品がたくさん叩き売りされてるって」
「……そうですか。あれは模型代じゃないで、クライミング道具の費用ですよ。あいつ、普通に金を貸そうとしたって、プライドが高くて受け取らないんです」
「む、昔からなの? その、……お、お金に困ってるのは」
「ええ、だからのし上がろうと《長い物》にすり寄る、俗物になったんでしょうね。まあ、生まれつきの可能性も……」
「早川君の家、線香のにおいがした」
それにも気づいていたか。……へへ、あえて無視しとこう、湿っぽい話は苦手だから。
「どん底にいるから、良くも悪くも上しか見ていないというか。今日の大会で、目の前のホールドをよく見ないで遠くのホールドに飛びつくとか、早川らしい凡ミスですよ」
加藤先輩はうつむいていたけど、横顔を見る限り真剣に話を聞いているようだった。
ちなみに、こうして話を続けるために、俺らはここまで延々と歩き続けていた。マジで喫茶店にでも入っておけばよかった、足が痛い!
「あ、あの、わた、私に何かできないかな?」
普段のブラック加藤先輩はどこへやら、思いつめた顔で先輩は尋ねてきた。
でも俺らは高校生だし、できることはたかが知れてる。貧困を救うことなんて無理だ。
「俺らじゃ、小銭の援助くらいしかできないですよ。特に早川みたいなやつは、同情してもらいたくなさそうというか。そもそも家の事情を、俺以外に知られていないと思ってるし」
「うん……」
「あいつは、自力で這い上がってくるんじゃないですか? なりふり構わず」
「でで、でも! 川内君がお店出る直前……たぶん、泣いてたと思う」
え、それは気づかなかった……。だから突っ伏したのか。
「も、もし自分で這い上がる人でも、大会のときみたいに、お、落ちちゃったらどうしよう」
落ちる? まさか、早川はプライドも高いし、やけを起こすこともないだろう。
それでも加藤先輩は不安なのか、梅雨時の雨雲のように表情が暗い。頬をつついたら、今にも大粒の滴が零れ落ちそうだ。
「とりあえず、多少鼻につくところがありますけど、これからは大目に見てやってください」
「うん……」
加藤先輩は、あいまいな返事を返したまま、何か考え込んでしまった。
これは、……承諾の相槌ってことでいいのかな? 俺は帰ろう、さすがに歩き疲れた。
俺が足を止めても、加藤先輩はうつむいたまま、どこかへと歩いて行った。あんまり悩み過ぎて、迷子にならなければいいけど。




