第3話 可愛いって、そんな簡単に言わないで
「莉子、今日は絶対に可愛い服を買おうね!」
「う、うん!」
土曜日の午前十一時。私は親友の高梨美月と、駅前のショッピングモールに来ていた。
今日の目的は、ずばり洋服探し。先日買ったピンクのTシャツに合わせるカーディガンも欲しいし、できれば新しいワンピースも見てみたい。せっかく大学生になったんだから、もう少しおしゃれを楽しみたいと思っている。
……問題は、私の体型なんだけど。
「莉子、また胸のこと考えてるでしょ」
「な、なんでわかるの!?」
「顔に書いてある」
「美月って、もしかして超能力者?」
「親友だからね」
美月は得意げに笑うと、私の手を引いた。
「今日は試着だけでもいいんだから。まずは好きな服を探そ!」
「うん!」
そうだよね。気に入った服があっても、絶対に買わなきゃいけないわけじゃない。試着して、似合うかどうか確かめるだけでもいいんだ。そう自分に言い聞かせながら、私は美月と一緒にお店へ入った。
◇
「……わぁ」
思わず声が漏れた。
店内には、可愛い洋服がずらりと並んでいる。淡い色のブラウス、花柄のスカート、ふんわりしたカーディガン。どれも可愛くて、見ているだけで気分が上がってくる。美月と一緒に何着か手に取っているうちに、私は奥のラックに掛けられた一着のワンピースに目を奪われた。
淡いラベンダー色の、膝下丈のワンピース。小さな花柄が散りばめられていて、袖は少しふんわりしている。ウエストには細いリボンがついていて、全体的に優しい雰囲気だ。
「……可愛い」
「ん? どれ?」
「これ……」
指さすと、美月がぱっと笑顔になった。
「いいじゃん! 絶対莉子に似合う!」
「ほ、ほんと?」
「ほんと! 色も可愛いし、丈もちょうどよさそう」
「でも……」
「胸?」
「……うん」
私は小さく頷いた。
ワンピースって、可愛いんだけど難しい。ウエストが絞られているものは胸元が目立ちやすいし、逆にゆったりしたものだと、胸のところから布が広がって、全体的に大きく見えてしまうこともある。しかも、胸に合わせてサイズを選ぶと、今度は肩が余ってしまう。
……本当に、洋服選びって大変。
「とりあえず着てみようよ」
「えっ」
「似合うかどうかは、着てから考えればいいじゃん」
「……そっか」
「そうそう。私も別の服試着するから、一緒に行こ!」
美月に背中を押され、私はワンピースを手に取った。
◇
「……どうしよう」
試着室の鏡の前で、私は固まっていた。
着てみたワンピースは、想像以上に可愛かった。ラベンダー色が肌によく馴染んでいるし、ふんわりした袖も、膝下まで広がるスカートも、すごく好みだ。ウエストのリボンを少し緩めると、胸元も思ったほど窮屈じゃない。肩の位置も合っているし、動きにくさも感じなかった。
……ただ。
「やっぱり、目立つよね……」
鏡の中の自分を見つめる。
いつものゆったりしたブラウスとは違って、身体のラインが少しわかる。胸元が大きく開いているわけでもないし、別に派手な服でもない。それでも、どうしても気になってしまう。
「莉子ー? どう?」
カーテンの向こうから、美月の声がした。
「う、うん。着られたよ」
「見せて見せて!」
「……笑わない?」
「なんで笑うのよ」
「だ、だって……」
「大丈夫。似合ってなかったら正直に言うから」
「それはそれで怖い!」
思わず笑ってしまった。私は深呼吸をして、そっとカーテンを開けた。
「……どう、かな?」
美月が私を見た。
そして。
「……え、可愛い」
「ほ、ほんと!?」
「めちゃくちゃ可愛いじゃん!」
美月は目を輝かせた。
「ちょっと待って。これ、すごく似合ってる! 丈もちょうどいいし、色もいい!」
「で、でも、胸が……」
「胸元、苦しくない?」
「ううん。大丈夫」
「じゃあ、着心地は?」
「……すごくいい」
「だったらいいじゃん。莉子はどう思う?」
そう聞かれて、私はもう一度鏡を見た。
可愛い。正直に言えば、すごく気に入っている。今までなら、体型が気になった時点で諦めていたかもしれない。だけど、このワンピースを着た自分は、思っていたよりずっと楽しそうに見えた。
……私、こんな服が着たかったんだ。
「……私、これ好き」
小さな声で言うと、美月が嬉しそうに笑った。
「うん。それが一番大事」
その言葉に、少しだけ勇気が湧いてくる。
……買っちゃおうかな。
そんなふうに思った、そのときだった。
「おっ、高梨ちゃんじゃん!」
聞き覚えのある、やたら元気な声。振り返ると、お店の入口付近に三浦航平くんが立っていた。
そして、その隣には。
「……朔也?」
黒髪の幼馴染、柊朔也の姿があった。
◇
「莉子ちゃんもいたのか! 偶然だな!」
「航平くん! こんにちは!」
「おう! 何、二人で買い物?」
「そうです。三浦先輩たちは?」
美月が尋ねると、航平くんは隣の朔也を親指で指した。
「こいつに付き合って、コーヒー豆買いに来たんだよ」
「コーヒー豆?」
「うん。いつもの店、ここに入ってるから」
朔也が短く答える。
そういえば、朔也は昔からコーヒーが好きだ。大学に入って一人暮らしを始めてからは、自分で豆を挽いて淹れているらしい。この前も、豆の種類によって香りが違うんだと話してくれた。私は苦いコーヒーがあまり得意じゃないけれど、ミルクたっぷりのカフェラテなら大好きだ。
「へえ。今日は何買ったの?」
「浅煎りのやつ」
「美味しいの?」
「うん。莉子にも飲みやすいと思う」
「ほんと? 今度飲んでみたい!」
「じゃあ、今度淹れる」
「やったぁ!」
朔也の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
……あ。また、その顔。
最近、朔也が笑うたびに、なんだか落ち着かなくなる。
「……っていうか」
航平くんが突然、私を見た。
「莉子ちゃん、その服……」
「……えっ?」
思わず身体がこわばる。
あ。そうだった。
私、今、試着中だった!
「似合うじゃん! めっちゃ可愛い!」
「……あ、ありがとうございます」
航平くんは明るく褒めてくれた。もちろん、嬉しい。でも、いきなりだったから、どう反応していいかわからない。
そんな私の隣で、美月がにやりと笑った。
「三浦先輩、珍しくまともなこと言いましたね」
「珍しくって何!?」
「そのままの意味です」
「高梨ちゃん、俺への当たり強くない!?」
二人がいつものように言い合いを始める。その間、朔也は何も言わなかった。
……あれ?
私はそっと、朔也を見上げた。
「……朔也?」
返事がない。
朔也は、私を見ていた。いつも少し眠たそうな黒い瞳が、ほんのわずかに見開かれている。驚いたような、何か言いたそうな。そんな表情を見たのは、初めてかもしれない。
「……朔也?」
「……ん?」
「……変、かな?」
不安になって尋ねると、朔也がはっとしたように瞬きをした。
「違う」
「ほんと?」
「うん」
それから、少しだけ視線を逸らして。
「……似合ってる」
ぽつりと、そう言った。
「……え?」
「そのワンピース」
朔也は再び私を見る。
「すごく似合ってると思う」
「ほ、ほんと?」
「うん」
少しだけ、間が空いた。
それから。
「……可愛いよ、莉子」
「…………っ!」
かああっ、と顔が熱くなった。
……え?
今、何て言った?
可愛い?
朔也が? 私に!?
「……り、莉子?」
美月が、妙に楽しそうな声を出した。
「顔、真っ赤だよ?」
「ち、違っ……!」
「何が違うの?」
「な、なんでもない!」
私は慌てて両手で頬を押さえた。
朔也は相変わらず落ち着いた顔をしている。
……ずるい。
そんな顔で、そんなこと言わないでよ。
心臓が、全然落ち着かないんだけど!
「……おい、朔也」
航平くんが、にやにやしながら朔也の肩を叩いた。
「お前、今ちょっと固まってたよな?」
「別に」
「いやいや! 絶対固まってたって!」
「うるさい」
「莉子ちゃんのワンピース姿、そんなに可愛かった?」
「……航平」
「はいはい、黙りまーす!」
航平くんは両手を上げた。美月は口元を押さえて笑っている。
……もう!
なんでみんな、そんなに楽しそうなの!?
◇
その後、私は試着室に戻って、元の服に着替えた。カーテンを閉めると、ようやく少しだけ落ち着いた。
「……可愛い、かぁ」
小さく呟いてしまう。
鏡の中の私は、相変わらず頬が赤かった。別に、可愛いって言われたことがないわけじゃない。美月だって、さっき褒めてくれた。航平くんも、明るく可愛いと言ってくれた。
なのに、朔也に言われた途端、どうしてこんなに嬉しくなったんだろう。
「……もう」
私は両手で顔を覆った。
朔也は幼馴染。小さい頃からずっと一緒にいる、気楽な男の子。……だったはずなのに。最近、その「気楽」が、どこかへ行ってしまった気がする。
私はワンピースをハンガーに戻すと、もう一度眺めた。淡いラベンダー色に、小さな花柄。ふんわりした袖も、やっぱり可愛い。
それに、さっき朔也が。
『……可愛いよ、莉子』
「…………」
思い出しただけで、また顔が熱くなる。
……よし。
私はワンピースをそっと抱きしめた。
「……買おう」
誰かに褒められたから、というだけじゃない。
私が、この服を好きだから。
それに。
……朔也に、もう一回見てもらいたい。
そんなことを思ってしまったのは、ちょっとだけ秘密だ。
◇
「お待たせ!」
会計を終えてお店を出ると、美月たちが近くのベンチで待っていた。
「おっ、買ったの?」
航平くんが紙袋を見て尋ねる。
「はい! 買っちゃいました!」
「いいじゃん! 似合ってたもんな!」
「ありがとうございます!」
「高梨ちゃんも何か買った?」
「私はカーディガンを一枚。三浦先輩は?」
「俺? 何も買ってねえ!」
「……何しに来たんですか?」
「朔也の付き添いだって言っただろ!?」
また二人の掛け合いが始まる。
私は笑いながら、朔也の隣に並んだ。
「……朔也」
「ん?」
「さっきは、ありがとう」
「何が?」
「ワンピース。似合ってるって言ってくれて」
「本当のことだし」
「……っ!」
ま、また!
どうしてそんなにさらっと言えるの!?
「……朔也ってさ」
「うん」
「最近、ちょっとおかしくない?」
「……俺が?」
「うん」
「どのへん?」
「……えーっと」
言えない。
距離が近いとか。優しすぎるとか。可愛いって言われるとドキドキするとか。
そんなこと、本人に言えるわけがない。
「……なんでもない!」
「……そ」
朔也は少しだけ首を傾げた。それから、私の持っている紙袋に目を落とす。
「……今度、それ着て」
「え?」
「そのワンピース」
「……うん?」
朔也は少しだけ間を置いた。そして、いつもと同じ落ち着いた声で言った。
「一緒に出かけない?」
「…………え?」
私は思わず足を止めた。
「……ど、どこに?」
「水族館」
「……水族館?」
「うん。前に行きたいって言ってたから」
……あ。
そういえば、先月、テレビで水族館の特集を見たとき、朔也に話したことがあった。新しくできたクラゲの展示がすごく綺麗らしくて、いつか行ってみたいって。
……覚えてたんだ。
「……えっと」
私は思わず、朔也を見上げた。彼はいつものように静かな顔をしている。でも、なんとなく、いつもより少しだけ真剣な気がした。
「……二人で?」
聞いてから、心臓が跳ねた。
朔也は一瞬だけ私を見つめて。
「うん」
短く頷いた。
「二人で」
「…………っ!」
……え? えええっ!?
二人で水族館!?
それって。それって、もしかして。
「……デ、デート?」
思わず口から出てしまった。
言った瞬間、顔から火が出そうになる。
やだ! 何聞いてるの、私!?
幼馴染同士で出かけるだけなのに!
ところが、朔也は笑わなかった。からかいもしなかった。ただ、私をまっすぐ見つめて。
「そういうつもりで誘ってる」
「…………っ!」
心臓が、どくんと大きく跳ねた。
……え?
今、なんて?
「……嫌?」
朔也が静かに尋ねる。
私はぶんぶんと首を振った。
「い、嫌じゃない!」
「……そっか」
「むしろ、その……嬉しい、けど」
最後の方は、ほとんど消え入りそうな声だった。それでも、朔也には聞こえたらしい。彼の目元が、ふっと柔らかくなる。
「……よかった」
その表情を見た瞬間、胸がきゅうっとなった。
……ああ、もう。
どうしよう。どうしよう、これ。
「ねえ、航平くん」
少し離れたところから、美月の声が聞こえた。
「なんだ、高梨ちゃん」
「あの二人、私たちの存在忘れてません?」
「……たぶんな」
「じゃあ、そろそろ退散します?」
「いや、待て。俺、まだ見たい」
「何をですか」
「朔也がどこまで頑張れるか」
「……三浦先輩、性格悪いですね」
「高梨ちゃんも笑ってるだろ!」
そんな会話が聞こえてきたけれど、今の私には返事をする余裕なんてなかった。
だって、朔也が。
あの朔也が。
私を、デートに誘ったのだ。
◇
その日の夜。
私は自分の部屋で、買ってきたワンピースをベッドの上に広げていた。
淡いラベンダー色の生地を、指先でそっと撫でる。やっぱり可愛い。買ってよかった。そう思えることが、なんだか嬉しかった。
……でも。
「……デート、かぁ」
ぽつりと呟く。
朔也と二人で出かけること自体は、別に初めてじゃない。映画を観に行ったこともあるし、買い物に付き合ってもらったことだってある。
だけど。
『そういうつもりで誘ってる』
今日の朔也の言葉を思い出す。
……あれって、本当にそういう意味だよね?
ただの幼馴染としてじゃなくて、男の子と女の子として。
……って、待って待って!
そんなふうに考えたら、ますます緊張するんだけど!
「……もう、朔也のばか」
私はベッドに倒れ込んだ。枕に顔を埋める。頬が熱いし、心臓もうるさい。
……可愛いって、そんな簡単に言わないでよ。
だって、今まで何とも思っていなかったはずなのに。そんなこと言われたら。
……意識しちゃうじゃない。
そのとき、スマートフォンが震えた。画面には、朔也からのメッセージ。
『来週の土曜、空いてる?』
私は飛び起きた。
「……っ!」
来た。
本当に来た。
デートのお誘いだ。
慌ててカレンダーを確認する。
来週の土曜日。
……空いてる!
『空いてるよ!』
送信すると、すぐに既読がついた。
『じゃあ、水族館行こ』
『うん! 楽しみ!』
少し間が空いてから。
『俺も』
たった二文字。なのに、それだけで胸がいっぱいになる。
「……もう」
私はスマートフォンを胸に抱きしめた。そして、ベッドの上に広げたワンピースを見つめる。
来週、これを着て。
朔也と、二人で。
……デート。
「…………っ!」
枕に顔を押しつけて、足をばたばたさせる。
どうしよう。楽しみすぎる。でも、緊張する。
それに。
……朔也って、私のこと、どう思ってるんだろう。
ずっと幼馴染だったから、そんなこと考えたこともなかった。でも、今日、あんなふうに見つめられて、可愛いって言われて、デートに誘われて。
……もしかして。
もしかしたら。
朔也は、私のことを。
「……っ!」
そこまで考えて、私は慌てて首を振った。
だめだめ! まだ、決まったわけじゃないんだから!
でも、胸の奥で小さな期待が膨らんでいく。
今までずっと、幼馴染だと思っていた男の子。その隣が、当たり前だった。
だけど、これからは。
……少しだけ、違う景色が見えるのかもしれない。
私はワンピースをそっと畳んで、クローゼットにしまった。
来週の土曜日。この服を着て、朔也に会いに行く。
そして。
……もう一回、可愛いって言ってくれたら。
きっと私は、今日よりもっと嬉しくなってしまう。
そんな予感がしていた。




